肝胆ブログ

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「大友義鎮 国君、以道愛人、施仁発政 感想」鹿毛敏夫さん(ミネルヴァ書房)

 

ミネルヴァの評伝「大友義鎮」が発売されまして、義鎮(宗麟)さんの内政・外交・文化面の知らなかった事績が豊富に紹介されていてかんたんしました。

一方、義鎮さんの生涯・合戦・家臣・ライバル(島津家除く)についてはあまり触れられていないのは素直に残念です。当著はとても面白かったので、その辺りを解説する後編も欲しいところです。

 

https://www.minervashobo.co.jp/book/b548715.html

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大友義鎮(おおとも・よししげ:1530年から1587年)戦国大名法名「宗麟」。
北部九州の守護公権力として領土と領海の統治に邁進し、ヨーロッパから訪れた未知なる宗教の宣教師や、外交交渉のために来日したアジアの国家使節に果敢に向き合った義鎮。国を超えて活躍したその生涯に迫り、事績と人間性に新たな光を当てる。

[ここがポイント]
◎ 混迷せるキリシタン大名=大友義鎮という悩ましいイメージを払拭し、最新研究成果に基づいた新しい「大友義鎮」像を描く。
◎ 「日本」という枠を超えて生きた真の姿に迫る。

 

はじめに

序 章 大友氏の史的背景と研究史

第一章 大友氏の歴代当主
 1 鎌倉期の当主
 2 南北朝・室町期の当主
 3 戦国期の当主

第二章 領国の拠点
 1 豊後府内の歴史的構造
 2 大名館の建設と都市づくり

第三章 領国の統治
 1 インフラ整備と夫役動員論理
 2 大内―大友連合の樹立と挫折

第四章 経済政策
 1 衡量制政策の展開
 2 豪商との相互依存関係

第五章 硫黄・鉄砲と「唐人」
 1 硫黄輸出と鉄砲国産化
 2 渡来「唐人」の経済的掌握

第六章 建築と絵画への造詣
 1 大名館・寺院の建設と障壁画
 2 唐絵の蒐集と贈答

第七章 アジア外交と貿易政策
 1 対明朝貢倭寇的活動
 2 臼杵丹生島城の築城目的

第八章 西欧文化の受容と評価
 1 カトリック世界との交流
 2 「キリシタン大名」像の虚と実

第九章 東南アジア外交の開始と競合
 1 種子島琉球・東南アジアとの交易
 2 対カンボジア外交権をめぐる抗争

終 章 義鎮の政治姿勢と経営感覚

おわりに
参考史料・文献
大友義鎮略年譜
人名・事項索引

 

 

一次史料や発掘成果をベースに大友義鎮さんの事績を再評価することを目的にしており、逸話的な義鎮さんの人物像である「酒宴乱舞・好色に浸っていろよき女に財宝を与え傾国に至る」「邪宗門に入信して仏家・僧坊・宗廟・神社、一々破却させる」の誤解を払拭せんと務めておられます。

同時に、大友氏歴代の事績の積み重ねや、豊後府内の発展、大内―大友連合の成立、豪商との結合、建築・絵画への造詣、そして明・東南アジア・西洋との独自外交等々、大友義鎮さんの誇るべき視点を次々と紹介いただける訳ですね。

 

こうした「歴史の敗者ということもありネガティブな評価が続いていた人物を、科学的な研究手法で以て再評価していこう」という流れは、三好家や畿内戦国史好きの私としてはシンパシーを感じます。

宮下あきらさんによる大友宗麟さんイラストが世に出たあたりから「大分県では大友宗麟顕彰が盛り上がってきているらしい」みたいな話を時折耳にしていましたので、ようやく最新研究の一端に触れることができて嬉しい限りです。

 

↓(参考 ※当著と関係ありません)宮下あきらさんの宗麟イラスト。漢濃度がすごい。畿内もこういうのほしい。

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本の内容に戻りまして、特に印象に残った点をいくつか。

 

  • 大友氏十五代親繁さん(1411~1493)の事績「雪舟さん支援」「豊後産硫黄の対明輸出成功」、すごいですね。親繁さん本人は質素な邸宅で暮していたというのも好感度が高いです。
  • 第二章「領国の拠点」、発掘成果や文献を駆使して府内(大分市)の発展過程を解きほぐしているパートが素晴らしいですね。中世都市がどのように栄えていくかの一事例として非常にクリアなイメージを描けますし、実際に大分市を訪れて散歩してみたくなります。
  • 大寧寺の変について、陶隆房さんと大友義鎮さんが、あらかじめ変の実行と晴英(義長)さんの山口入りについて密約を交わしていたとする一次史料ベース考察。しかも、海路で晴英さんが山口入りすれば大内氏家祖の伝承と整合して演出的によかろうという分析が興味深いです。
  • 九州商人と畿内(堺)商人の友好的繋がり事例。
  • 狩野永徳さんは、三好長慶さん菩提寺大徳寺聚光院での襖絵制作(1566)と、織田信長さん居城安土城での障壁画制作(1576)との間、大友義鎮さんのところを訪れて明人等と交流したり、丹生島城の書院の襖絵を製作したりしていた(1571)。
  • 島津家との「九州覇者」としての海外外交争いがとても面白い。島津義久さんが大友宗麟さんの派遣した対カンボジア外交・交易船を分捕った挙句、カンボジア王に「九州覇者は島津家ですさかい」と使節を派遣しなおしていた事例、はじめて知りました。
    その上で、大友家や島津家等の九州各家が蓄積した海外外交ノウハウが、豊臣家・徳川家という中央政権へ一元的に引き継がれていったという指摘はまことに意義深いものを感じますね。
  • あらためて大友義鎮さん(や九州大名)の独自の海外外交を見ていると、戦国大名をひとつの地域国家的存在と捉える見方にも説得力が増すかもしれない。この辺りは軽々に定義しにくいところではありますけど。

 

等々。

 

一方で冒頭にも書いた通り、有名な家臣方のご活躍ですとか、毛利家や龍造寺家や島津家との合戦や調略ですとかは当著には登場いたしません。ぜひ当著と同じくらいのクオリティでその辺も今後紹介していただけるとありがたいですね。

 

 

歴史コンテンツといえばコーエー社ですが、さいきんの信長の野望シリーズでも大友義鎮さんは伝統的な「女好き」「エイメン!」「げえっ、道雪!」といういじられ方を引続きされている一方で、他家への外交・調略上手っぷりも特筆されることが増えてきていて、クリエイター方が大友家研究の動向に注目していることが伺えます。

 

引続き大友家の研究が世の中に浸透していきますように。

それを受けて龍造寺家等の研究も進みますように。