中公新書、高橋睦郎さんの「漢詩百首」が、漢詩の味わいや各詩人のプロフィールに気安く親しめる良著でかんたんしました。
日本人・日本語の歴史に対して、漢詩がいかに重要な役割を果たしてきたかを論じてくださっている熱量も素敵ですね。
返り点と送り仮名の発明によって、日本人は、ほんらい外国の詩である漢詩を自らのものとした。その結果、それを鑑賞するにとどまらず、作詩にも通暁する人物が輩出した。本書は、中国人六〇人、日本人四〇人の、古代から現代に及ぶ代表的な漢詩を精選し、詩人独自の読みを附すとともに、詩句の由来や作者の経歴、時代背景などを紹介。外国文化を自家薬籠中のものとした、世界でも稀有な実例を、愉しみとともに通読する。
中国人の漢詩60首、日本人の漢詩40首を、現代語訳や各詩人のプロフィールを交えて解説いただける内容になっています。
以下、個人的に気にいった漢詩のご紹介を。
なお、ブログだとルビがなくて分かりにくい箇所があるので、原著と一部漢字を変えていて、正確な引用になっていない点はご容赦ください。
力 山を抜き 気 世を蓋う、時に利不ず 騅逝かず。騅の逝かざる奈何す可き、虞や 虞や 若を奈何せん。
垓下の歌 項羽
わが力は山さえもひき抜き、気は世を蓋うほど。しかし時はわれに利せず、(愛馬の)騅は逝こうともしない。騅が逝かないのをどうすればいい? 虞よ虞よ、おまえをどうすればいい?
有名な項羽さんの詩ですね。
中国史が好きな方にはおなじみだと思います。
項羽さんは様々な形で描かれていますが、個人的には本宮ひろ志版が好きです。
楼船を汎べて汾河を済り、中流に横たえて素波を揚げ、簫鼓鳴って悼歌を発す。歓楽極まって哀情多し、少壮幾時ぞ、老を奈何せん。
秋風の辞 漢武帝
二階建の船を浮かべて汾河を渡るさなか、流れのただ中に横ざまに白波をたて、縦笛と鼓が鳴り響き、舟歌がおこる。歓び楽しみが極まるところ、哀しみの情もさかんだ。若き日も盛りのときもどれほどつづこうか、かならずくる老いをどうのがれようぞ。
宮廷詩人の代作かもしれないとのことですが、大事業を成し遂げた栄華と忍び寄る老いの哀しみとの対比が壮大でいいですね。
夜中 寐る能わず、起坐 鳴琴を弾ず。薄帷 名月に鑒り、清風 我が襟を吹く。
詠懐詩 阮籍
夜中、寝付かれないままに、起きあがって坐り、鳴琴をつま弾く。薄い帷は明るい月に照らしだされ、清すがしい風が私の襟もとを吹く。
内省的というか、自分一人で深く完結している感じがいいですね。
吾が家に嬌女あり、皎皎として頗る白皙。小字を紈素と為し、口歯自ら清歴。
嬌女詩 左思
我が家におちゃめがいる、透きとおるほどまことに色白。幼名を紈素といい、口も歯もまったくはきはきとよくしゃべる。
3世紀ごろの詩人、左思さんの詩。
娘大好きな内容の歌で、非常に共感が湧きます。
葡萄の美酒 夜光の杯、飲まんと欲すれば 琵琶馬上に催す。酔うて沙場に臥す 君笑う莫れ、古来征戦 幾人か回る。
涼州詞 王翰
葡萄をかもした美酒、(それを満たした)夜光る玉の杯。わたしが飲もうとすると、馬上で琵琶を弾いてくれようというのか。酔いつぶれたら砂の庭に寝てしまうぞ、君どうか笑わないでくれ。古よりこのかた、戦いに往ったものたちのうち、いったい幾人が帰ってこられたというのだ。
唐の詩人、王翰さんの詩。
拡張する大帝国の気風を踏まえ、辺境遠征を題材にしています。
酒、琵琶、馬上とくれば、上杉謙信さんなんかにも似合いそうな漢詩ですね。
年々歳歳 花相似たり、歳歳年年 人同じからず。言を寄す 全盛の紅顔の子、応に憐むべし 半死の白頭翁。
白頭を悲しむ翁に代る 劉希夷
くる年くる年 花は同じくわかわかしいが、めぐる歳めぐる歳 人は様変わりとしよっていく。聞いてくれ、今を盛りの若い君たち、この死にかけの白髪じじいをふさわしく憐れんでくれ。
以前も取り上げたことのある、好きな漢詩です。
「中国古典名言辞典【新装版】 感想と好きな言葉10選」諸橋轍次さん(講談社) - 肝胆ブログ
表現的には真逆ながら、花の色は移りにけりなの和歌と似たような心境を表しているのが面白いですよね。
独り坐す 幽篁の裏、琴を弾じ 複た長嘯。深林 人は知らねども、名月来って相照らす。
竹里館 王維
奥深い竹やぶのうち ここに独り坐り、琴のことを弾じ またいきながに歌う。深い林(のおくの趣)を(世の)人びとは知らないが、明るい月がやって来て(私の心と)照らし合う。
詩仏 王維さんの詩です。
王維さんは詩も画も上手で性格も穏やか、大変素敵ですね。
それにしても中国の詩人は竹林が好きであります。いかにも美しい漢詩の世界という感じでいいなあと思います。
千山 鳥の飛ぶこと絶え、万径 人蹤滅す。孤舟 蓑笠の翁、独り釣る寒江の雪。
江雪 柳宗元
(見渡す限り)千の山やまに鳥の飛ぶすがたはなく、万の小道から人の足跡も消えた。ただひとつの小舟、蓑笠の年寄りが、ただひとり釣っているのは冬の川面の雪か(魚か)。
唐の大詩人、柳宗元さんの詩。
まさしく山水画の世界という印象ですね。
閑林に独座す草堂の暁、三宝の声 一鳥に聞く。一鳥声有り人に心有り、声心 雲水 倶に了々。
後夜仏法僧鳥を聞く 釈空海
静かな林の草(深い僧)堂に独り坐して暁をむかえる。(仏・法・僧)三宝の声が一羽の鳥から聞こえる。一羽の鳥に声があり人には心があるゆえ、その声とその心 行く雲も流れる水も ともに了々とあきらかなのだ。
ここから日本人です。
有名な高野山の「ブッポーソー」と鳴く鳥の声を題材にしていますね。
読みくだしたときの「いっちょうこえありひとにこころあり」という箇所のリズム感が好きです。
夏来りて偏に愛る覆盆子、他事又無く楽しび窮らず。味は金丹に似て旁え美を感え、色は青草を分けて只紅を呈ぶるのみ。
覆盆子を賦す 藤原忠通
夏が来てもっぱら愛でるのはいちごの実だ。他の事はなにも無くこの楽しみは終わりがない。その味ときたら(霊薬)金丹にそっくりでそのくせ美味しく、その色はといえば青い草を分けてただ紅を帯びているばかり。
文字だけを見ると読み下しにくいですね。
なつきたりてひとえにめずるいちごのみ、あだしごとまたなくたのしびきわまらず。あじわいはきんたんににてかたえうましきをおぼえ、いろはあおくさをわけてただくれないをおぶるのみ。
読み下すと、ただただ苺大好きと訴えていることがよく分かります。
こんなにストロベリーな嗜好と詩才をお持ちと知らなかったので意外な魅力でした。
生死憐むべし雲の変更、迷途覚路 夢中に行む。唯留むるは一事 醒めて猶記ゆ、深草閑居 夜雨の声。
閑居偶作 道元
およそ生き死にの憐れむべきことは雲の移り変わりさながら。迷いの道も悟りの道も夢まぼろしの中を進む。そのなかで醒めてなお留め覚えていることはただ一つこんな事か、ここ深草に閑居しての夜ふけてきく雨の響き。
こうした表現での仏教的世界観が好きです。
楊柳の花は飛んで江水に流れ、王孫の草色は芳洲に遍し。金罍の美酒葡萄の緑、青春に酔わざれば愁を解かざらん。
春日の作 新井白石
楊柳の花は飛んで大川の水に流れ、つくばねそうの若い色は芳しい中州に満ち満ちている。黄金の甕にあふれんばかりの美味い酒は葡萄の緑いろ、このうららかな春の日に酔わなければ 愁いを解き放つことはついにできまい。
江戸時代初期に幕政を担った新井白石さん。
真面目で固い人物像のイメージでしたが、こんなにおおらかな詩をつくってはるんですね。プライベートは親しみやすいタイプだったのでしょうか。
袖裏の毬子 値千金、謂言るに好手等匹無し。箇中の意旨 若し相問わば、一二三四五六七と。
毬子 大愚良寛
袖の裏の手毬はわしの宝物、わしほどの毬つき上手は他になかろうよ。心の思いを問いなさるなら、一二三四五六七とこたえるほかなかろうさ。
越後が生んだ能書家の良寛さん。
子どもと遊ぶのを愛したことで知られるお人柄がよく表れている漢詩で、ひいふうみよいつむなな、という開けっぴろげ感も素敵ですね。
螙冊紛披して煙海深し、毫を援り下さんと欲して復た沈吟。愛憎枉げんことを恐る英雄の迹、独り寒灯の此の心を知る有り。
修史偶題 頼山陽
虫食いの本どもは乱れ散らかり(歴史の)もやたちこめる海は深すぎるので、筆を取っていまや下ろそうとしながらまたも書き悩む。みずからの勝手な思いで英雄たちの歩いた道を曲げてしまうことを恐れる、このなやましい思いを知るのはただ寒い夜の灯のみだ。
江戸時代後期の大歴史作家頼山陽さん。
頼山陽さんとしても、悩みながら歴史に向き合い、苦心しながら日本外史等を執筆されていたことがよく分かる漢詩であります。
三好家ファン等からはおいこのやろうと思われがちな頼山陽さんですが、その創作者としての腕前はやはりすさまじく、川中島合戦の漢詩なんか素晴らしいですもんね。
史実を捻じ曲げるほどの文章力、とでも言いましょうか。
水煙漠漠として望めども分ち難し、月は只だ関山笛裏に聞くのみ。吾に剪刀有り磨けども未だ試さず、君が為に一割せん雨夜の雲。
十三夜 原采蘋
かわもやがぼんやりとたちこめて見渡そうとしてもはっきりしません、月のようすはもっぱら(名曲)「関山」をふく笛の音のうちに聞きえがくほかないようです。わたくしははさみを持っていて研ぎあげてはあるもののまだ試してはおりません、あたなの為に雨後の雲を一おもいに切りさいてさしあげましょうか。
江戸時代後期の女性、原采蘋さんの詩。
シャープな知性を感じる秀作だと思います。
今来も古往も事は茫茫、石馬声無く抔土荒る。春は桜花に入りて満山白く、南朝の天子も御魂香らん。
芳野懐古 梁川星巌
いまもむかしも物事は茫々とあきらかでなく、(陵墓の前の)石の馬はものいうことも無く盛り土は荒れるにまかせている。それでも春も桜花のころに入ると山じゅうが白くなり、このときばかりは南朝の天子の御魂も香りにみたされやすらかだろう。
江戸時代後期の詩人、梁川星巌さんの詩。
幕末志士との繋がりでも知られていますね。
尊王的な気配を帯びつつも、その視点はやさしい気持ちから生じているような味わいの詩で、いいと思います。
地涯 白雪を呼び、青夜 孤狼を発す。幻化 星歴を司り、詩魂老いて八荒。
庚戌元旦偶成 鷲巣繁男
はるかな地の涯はまっ白な雪を呼び、青い夜はひとりの狼を走らせる。ひとは幻と化して星の暦を司り、その詩魂は老いさらばえて八(方)のくにざかいをさまよう。
昭和の詩人、鷲巣繁男さん。
漢詩らしい孤独な味わいと、現代的な幻想性とが融合した、秀逸な作品のように感じます。
鷲巣繫男さんの作品、恥ずかしながらほとんど存じあげないので、これを機に勉強したくなりますね。
以上、この記事では作品の紹介だけに留めますが、本の中には、漢詩がいかに日本の重要な場面場面で人口に膾炙してきたかですとか、漢字・漢詩の導入がいかに日本語を豊かにしてきたかですとかを取り上げてくださっていますので、そういった領域に関心がある方にとっても面白いと思いますよ。
それにしてもあらためて漢詩を学んでみますと、歴代詩人方の「歯に衣着せずお上を批判して左遷される」スピリットや、音韻の巧みな使いっぷり等を見るに、あんがいラップなんかとフュージョンしてそのうち現代カルチャーの中でルネサンスされそうな因子を感じなくもないですね。
さいきん、モンゴルではヒップホップが人気と聞きますし、21世紀中ごろにはアジア独特の音楽×文芸が誕生していくのかもしれません。
豊饒な漢詩文化が、豊饒な現代文明に繋がっていきますように。