黒田基樹さんによる戦国時代の代表的な下剋上事例を紹介する新書が発売されていまして、長尾景春さんを取り上げていてくれたり新たな視点で伊勢宗瑞(北条早雲)さんが高く評価されていたり最近の研究を採用して三好長慶さんのことも高く評価されていたりしてかんたんいたしました。
表紙画像。
"なぜ「主殺し」は、引き起こされたのか?”
しかし、上杉謙信、朝倉孝景、斎藤道三、三好長慶、織田信長と、全員「主殺し」というよりは「主追放」系の方が並んでいるのはいかがなものか笑。
本の中ではきちんと「主殺しをした長尾為景さんや陶晴賢さんは苦労したよね……」と「主殺し」と「主追放」を区別して記載されていますので、おそらく著者ではなく広告担当者さんあたりの筆が乗り過ぎたのでしょう。
内容紹介をオフィシャルHPから引用いたします。
戦国時代、なぜ、主殺しは引き起こされたのか?
<主な内容>
はじめに 下剋上の特質は何か
新たな身分秩序の形成/中世に頻繁だった
第一章 長尾景春の叛乱と挫折
――下剋上の走りは、太田道灌の活躍で鎮められた
転換をもたらした享徳の乱/「遷代の論理」と「相伝の論理」の衝突/主君としての器量を問題に
第二章 伊勢宗瑞の伊豆乱入
――「下剋上の典型」とは言いがたい名誉回復行為だった
書き換えられた「北条早雲」像/今川家の家督をめぐる内乱/茶々丸のクーデター
第三章 朝倉孝影と尼子経久の困難
――守護家の重臣が主家から自立し、実力で戦国大名化した
朝倉孝景と斯波家/越前国主としての確立へ/尼子経久と京極家/出雲の有力国衆を服属
第四章 長尾為景・景虎(上杉謙信)の幸運
――頓挫もした親子二代での下剋上には、幸運が重なっていた
上杉定実の擁立/最初の大きな危機/家督を晴景に譲る/晴景から景虎へ/景虎の思わぬ幸い
第五章 斎藤利政(道三)の苛烈
――強引な手法で四段階の身上がりを経た、戦国最大の下剋上
暗殺、毒殺、騙し討ち/十七年かけて戦国大名へ/嫡男義龍との抗争へ
第六章 陶晴賢の無念
――取って代わる意図はなかったのに、なぜ主君を殺したのか
西国最大の下剋上/主従関係の切断/隆房のクーデター/思わぬ戦死
第七章 三好長慶の挑戦
――将軍を追放して「天下」を統治し、朝廷も依存するように
戦国大名と幕府との関係が問題に/足利義晴と細川晴元の和睦/細川家からの自立/将軍の反撃とそれへの妥協
第八章 織田信長から秀吉・家康へ
――下剋上の連続により、名実ともに「天下人」の地位を確立
将軍足利義昭の追放/独力で「天下」統治へ/羽柴秀吉の下剋上/徳川家康の下剋上/最後の下剋上
錚々たるメンバーが取り上げられていますね。
詳しい方であれば各章の見出しでなんとなく内容が推察できるかもしれません。
各領域のさいきんの研究を幅広く取り入れてくださっているので、ザっと知識をアップデートできる戦国時代本としてもおすすめです。
記述としましては、各章ともに冒頭で各人物の略歴と下剋上概要を紹介いただき、次いで詳細を解説いただく流れになっています。
個人的に好きな点を3つほど。
1つ目は長尾景春さんで、もともと意地や寂しさを感じる彼の生涯が好きなので、こういうオールスター本、多くの人の眼に触れるであろう新書の冒頭に取り上げてくれるだけでもう嬉しいです。
「戦国時代の始まりを示す象徴的な事例」と評されるのも納得感が高いと思いますし、長尾景春さんを学ぶと自動的に「太田道灌さんスゲェな」となれるのも好ましいポイントだと思いますね。
2つ目は伊勢宗瑞さんで、いわゆる創作の北条早雲さんではなく解明が進んだ伊勢宗瑞さんとしての事績をしっかり紹介いただいた上で、
宗瑞のこの行動は、主君に取って代わるものではなかった。しかし室町幕府の政治秩序の構成要素であった堀越公方足利家を、幕府の承認のもととはいえ、それを討滅し、その領国を自らのものとして戦国大名に成り上がったことは確かである。
大名の身分になかったものが、隣接する勢力を打倒して戦国大名化したのは、間違いなく宗瑞が最初の事例であり、何よりもその領国に基盤を全く有していなかったものが、戦国大名化した事例としては、戦国時代の中でもこれが唯一である。
と高く評価されているのがいいですね。
確かに……伊勢宗瑞さん以外でそういう事例はパッと思い浮かばないです。
あえて言えば松永久秀さんとかでしょうか。
(こういう下剋上本で松永久秀さんがノミネートされないのも世の中変わった感ありますね)
俗説は俗説だとしっかり整理しながら、だからと言って短絡的に評価を下げるようなことをせず、実像をベースに新たな視点で評価する……という著者の姿勢が好き。
3つ目は三好長慶さんで、長慶さんによる前例が後の織田信長さんたち天下人の登場に繋がった……という内容なんですけど、そうした評価を関東戦国史の良質な研究で著名な黒田基樹さんに採用いただいていること自体が嬉しいです。
(おもねるような表現で恐縮です)
以前取り上げた列島の戦国史シリーズの「織田政権の登場と戦国社会」もそうでしたが、何となく畿内や四国の内輪で盛り上がっているような印象がなくもなくだった三好長慶さん再評価が、直近ではだんだん各方面の戦国時代研究者に採用されてきていて、ああ着実に定説化に向かっているんだなあと。
こういう動きを見つめていると、更に何年かすれば、戦国時代以外の歴史研究者や歴史ライターにも取り上げていただけるようなことが増えて、注目の高まりが更に研究の促進に繋がって……という風になるかもしれません。
まさに今日、飯盛城が国史跡に指定される的なニュースもありましたし、流れが続くといいなあ。
「織田政権の登場と戦国社会 感想」平井上総さん(吉川弘文館 列島の戦国史⑧) - 肝胆ブログ
この本で取り上げられた人物の中で唯一、
こうした事態になったことに、長慶はどのように思ったであろうか。その心情を伝えてくれるような史料は、いまのところはみられないようである。成り行きで「天下」統治までも担うようになってしまい、戸惑いは生じなかったのであろうか。逆に、意気揚々としたのであろうか。実際にはどうであったのか、ぜひ知りたいところである。
と「彼の実際の心情知りたいよね」と書いてくれていたのも嬉しいです。
三好長慶さんの生涯って、こちら側の人生観とかを試してくるところがあると思う。
あと、好きな点というより、今後に向けた関心という点でひとつ。
家格や官位について。
尼子家は経久の時は実現されなかったが、後継者晴久の時に守護職に補任された。朝倉家や長尾家、織田信長は後者の守護家相当の家格を獲得した。斎藤家も利政の時は実現されなかったが、後継者義龍の時にそれを獲得した。三好長慶も、室町幕府から最有力大名の家格を認められた。
室町幕府が滅亡すると、それに代わる「天下人」として織田信長が確立する。それまでの身分秩序は、室町幕府将軍家を頂点にして構成されたものであったから、将軍家不在により、そうした身分秩序への編成は行われなくなった。
もっともその後も、慣習的には戦国大名は「守護家」と表現され、あるいは国主と認識され、それなりの身分秩序観念は残存した。しかし信長は、それに取って代わるような、諸国の戦国大名に対する政治秩序の編成方法を確立するところにいかないまま、その生涯を閉じた。
だがその萌芽はみられていた。自身の「天下人」の地位は、朝廷官職によって正当化された。政権内部でも、官位による序列化がみられ始め、諸国の戦国大名にも官位推挙を行うようになっていた。これを引き継ぎ、明確な政治秩序編成の手段としたのが、信長の「天下人」の地位を引き継いだ羽柴(豊臣)秀吉であった。
と、段階的な秩序の変容を紹介してくれていまして。
三好長慶さんや織田信長さんにより室町幕府秩序が崩れていくと、
徐々に朝廷の官位や官職による秩序が形成されていった、
ということです。
私自身、家格や官位の重みについてまだまだピンと来ていないところも多いので、引続きこうした当時の社会的評価に関する相場観は学んでいきたいですね。
最終的に室町幕府は滅んだので、私のような素人目線だと室町幕府栄典を過小評価して朝廷官位を過大評価しがちな気がしないでもないですし、その相場観も戦国時代の節目節目で違うみたいですし。
それにしても新書で、下剋上をテーマにしたガチ歴史本が出るとは。
この本を読んだビジネスパーソンや官僚はどんな風に受け止めるのでしょう。
とりあえず、優秀な人へ安易に下剋上をそそのかしたり、上の人に「あいつ下剋上しようとしていますよ」とか注進したりする風潮が起こりませんように。
我々が学ぶべきなのは杉重矩さんの事例(通説)かもしれない。