NHKの「英雄たちの選択」で、三好長慶さんと足利義輝さんを特集した回が放送されていてかんたんしました。
飯盛城・芥川城が次々と国史跡に指定されたり、その飯盛城の発掘調査が第1回日本城郭協会大賞を受賞したりと、三好家周辺が本当に盛り上がってきましたね。
NHKの番組、U-NEXTで見れるようになってがぜん便利になりました。
この回も、22/7/9までU-NEXTで見れるようです。
以下、番組のネタバレを含みますので未視聴の方はご留意ください。
放送では三好長慶さんと足利義輝さんの関係や経緯、両者が果たした歴史上の役割を分かりやすく説明してくれまして、
- 異常に人相の悪い細川晴元さんのイラスト
- 反対にたいへんイケメンに扱われる三好長慶さん
- 足利義輝さんは努力した面、上手くいかなかった面、幕府の持つ独自の力、それぞれがフェアに取り上げられる
- 足利義輝さんが送り込んだ暗殺者第一弾のイラストがちゃんと稚児
- 肩に傷を負った三好長慶さん、脱いだらけっこうイイ肉体で強そう
- 多くの人物がはしょられる中、サプライズ紹介される足利義維さん
- 「室町幕府という砂山は、三好長慶の西からの第一波と、織田信長の東からの第二波とで崩された」という番組総括
等々、見どころが多くて楽しかったですね。
内容としましては天野忠幸さんをはじめとした畿内戦国史研究のさいきんの状況がバランスよく採用されて分かりやすく説明してくれている感じでしたので、たいへん良質で、詳しい人も詳しくない人も満足できるものだったのではないでしょうか。
マイナーなテーマではあるのですけど、なんかだんだん一般の方向けの説明が上手くなってきている感じがありますねこの界隈。
今回の放送で、個人的に一番素晴らしいと感じたのは桃崎有一郎さんの招聘。
いわゆる戦国時代の学者さんではなく、中世の政治や「礼」を専門とする方でして、この方が「室町幕府/室町時代の常識・礼儀・価値観・仕組み」を抜群のタイミングで抜群に補足してくださり、三好長慶さんの何が画期的だったのか、足利義輝さんの何が強大だったのかを非常にクリアにしてくださっていました。
「時代は段階的に変わっていく」ということを当然の前提としてお話されているのもありがたいです。現代人は後の時代を知っているだけに、三好長慶さんの時代段階に対して「後の三英傑のような成果に至っていないからダメ」みたいについ言っちゃいがちですからね。
こうした組み立てがめっさ良かった。
「桃崎さんお呼びしましょうよ」と思いついたスタッフの方を絶賛したいです。
桃崎さんのコメント、自分用に控えておきます。
※聞き覚えメモですので一言一句正確ではありません。
- 長慶の下克上というのは、室町時代の歴史を見ていても、「来るべきものが遂に来たな」という感じ。
- 足利義輝は、幕府を立て直そうという意欲があふれている人。「古き良き秩序をもう一度示そう」と。「社会がまだそれを望んでいる」という確信があった。
- この頃は家柄と実力が完全に分離。実力のある人間を高く評価しようとすると名門が文句を言う。名門を高く評価しようとすると実力で頑張る人間が文句を言う。必ず何をやってもケチがつく。足利義輝も試行錯誤、できることからやっていた。
- 幕府というソフトウェアは細川抜きでは動かない仕様になっている。
- 幕府の発給する文書は一文字一文字に考え抜かれていて字体から何から格式で縛られている。三好長慶が各地の大名に御内書のようなものを発給しても、「三好からなんでこんなもの送られないといけないの?」となる。実力があっても、形式の壁を超えるのは難しい。
- 幕府と将軍は社会の秩序を語るための「物差し」。将軍から傘袋をもらった等々、将軍以外の人たちがどんな関係にあるかを測るための物差し。家格秩序の頂点・原点として存在価値がある。積み重ねてきた魔法・ブランド力。その魔法は、大名が地方を統治する武器にもなっている。三好はそれを持っていない。
- この時代は、戦国的な三好と室町的な義輝がガチンコで争ってみてまだ室町(の魔法・ブランド力)が勝った段階。
その上で、三好長慶さんのことを「戦国が室町を上書きする、最後の試行錯誤の捨て石」と評しておられたことに感じ入りましたね。
確かに、三好長慶さんは「時代の捨て石」という言葉がよく似合うように思います。
酷いけど的確な表現なんだわ……。
「近年になって研究が進んだ」という題材は三好長慶さんに限らず各分野でいろいろあると思うのですけど、三好長慶さんがさいきん近畿地方や四国に限らずぼちぼち人気が上向いてきているのは、ご当地ヒーローにとどまらない何らかの普遍的な魅力があるからだとは思うんですよね。
「天下人」「革新的」「先駆者」等々のワードだけだと、かつての織田信長さんイメージの二番煎じにしかならないので、そんなに多くの共感は得られないと思うのです。
もう少し大きな背景として、現代日本も「昭和の価値観、魔法、ブランド」がごっつう残り続けていて、実質と建前の分離がけっこう進んでいることはみんな分かっているのになかなか変わっていかない、急に変えるのも怖いし変え方もよう分からん、そもそも何を目指したらいいのかもイメージが湧かん、というところに、三好長慶さんの「時代を変えるための捨て石感」が支持を得ているのかなあと思ったり。
たぶん現実では、「革新者」に人はついていかなくて、「捨て石」になら人は付きあってくれるところがあるのでしょうし。
三好長慶さんは応仁の乱の100年後に活躍したわけですが、できれば「失われた●●年」は100年も続いてほしくないなあ。
偉人というのは少なからず時代の捨て石感はあるものなのですけど、長慶さんは
平清盛さんみたいに栄華を極めた感はないですし、
織田信長さんみたいな苛烈感とかスケールのデカい因果応報感もないですし、
豊臣秀吉さんみたいな人間の力やエゴの極致感もないですし、
徳川家康さんみたいなスゲェ安定した仕組みを残した訳でもなくてですね、
ただただストイックに時代から求められた仕事をやり切って個人的幸せとか一族的幸せとかを得ることもないまま息を引き取りました感がマジ捨て石的扱いでおつらい。
三好長慶さんの人気が出てきているのはとても嬉しいのですけど、そういう捨て石的英雄を世の中が求めはじめているような感じなのだとしたらやっぱりちょっと複雑っす。
英雄的な人物も、できれば家庭や私生活は幸福であってほしいというか。
まあ、ただのファンの身びいきトークなんですけどね。
なお、畿内戦国史には長慶さんに限らず時代の捨て石的存在がたくさんいて、長慶さんはまだマシな方という見方も可能です。
もしかしたら、畿内戦国史ファンというのは同情心が豊かな性格のいい方が多いのかもしれないですね。
三好長慶さんや畿内戦国史の人気がますます高まっていくと同時に、それらを愛でる我々の時代もまたいい感じに移ろっていきますように。
三好長慶さんの人気がまじめに上がってくると、そのうち、ブログに「シャンパン笑」とか書いていたら「偉人を面白おかしくネタにするような話をしないでください。失礼です。軽率です。腹切って中身を天井に投げて詫びろ」みたいに叱られたりするのかなあ。どきどき。