星野道夫さんのエッセイ「旅をする木」をあらためて読んでみたところ、一つひとつの命を見つめるやさしい視線と、吉村昭さんの小説にも通じるような透徹とした姿勢とを感じてかんたんしました。
広大な大地と海に囲まれ、正確に季節がめぐるアラスカで暮すエスキモーや白人たちの生活を独特の味わい深い文章で描くエッセイ集
アラスカをフィールドに活躍されていた写真家 星野道夫さん。
彼の名前を知らなくても、写真は見たことがある、という方も多かろうと思います。
↓参考:グーグル画像検索「星野道夫」
私の場合は、かつてANAかJALかの機内誌で彼のエッセイを読んで、感銘を受けたことが強く印象に残っています。
さいきんでは、楽しい漫画「働かないふたり」で当著が推されていて、あらためて読んでみたくなった次第。
「働かないふたり 14~20巻 感想 旅をする木」吉田覚先生(くらげバンチ) - 肝胆ブログ
「働かないふたり」では、当著について「心をニュートラルにしてくれる」「分かっていたつもりのことが、実は分かっていなかったことを教えてくれる」「行ったことのない場所へ行きたくしてくれる」本であると紹介されていまして、上手いこと言うなあとかんたんいたしました。
星野道夫さんの文章は、「自分の可能性がいかに大きいか」「こことは違う世界が確かに存在する」といった実感を与えてくださりますので、若い方に特におすすめです。
その上で、特に若くはない自分がこのエッセイを読んでみて、感じ入った箇所をいくつか紹介してみたいと思います。
赤い絶壁の入り江
この旅の間中、ふと気がつくと、友人のOのことを考えています。今ここにいたらいいのになと、新しい風景に出会うたびに思います。不慮の事故で子供を失い、深い挫折感の中にいるOに、深い原生林に囲まれた東南アラスカの内海を見せてあげたいのです。
こうしたやさしさが染みる歳になったことを実感します。
北国の秋
秋は、こんなに美しいのに、なぜか人の気持ちを焦らせます。短い極北の夏があっという間に過ぎ去ってしまったからでしょうか。それとも、長く暗い冬がもうすぐそこまで来ているからでしょうか。初雪さえ降ってしまえば覚悟はでき、もう気持ちは落ち着くというのに……そしてぼくは、そんな秋の気配が好きです。
人間で言えば、40-50代くらいの感覚に近いような気がします。
ザルツブルクから
ぼくはアラスカを旅する中で、人間の歴史をはかる自分なりのひとつの尺度をもちました。それはベーリンジアの存在です。最後の氷河期、干上がったベーリング海をモンゴロイドが北方アジアから北アメリカへ渡ってきた、約一万年前という時間の感覚です。いつの頃からか、その一万年がそれほど遠い昔だとは思えなくなりました。人間の一生を繰り返すことで歴史を遡るならば、それは手が届かないほど過去の出来事ではありません。いやそれどころか、最後の氷河期などついこの間のことなのです。
そんなふうに考えていたからか、ヨーロッパの歴史が実に最近のことのように思えます。ルネサンスの時代の建物を前にして、それがわずか四、五百年前のものであることに愕然としてしまうのです。人間の歴史の浅さというものに対してでしょうか、あるいは、人間の暮らしが変化している速さに対してでしょうか。
自分の視座について引き出しを増やすのであれば、大自然や地学、あるいは宇宙の歴史等に対して関心を持つといいのかもしれませんね。
歳月
Tが死ななくても、ぼくはおそらくアラスカに行っただろう。しかしこれほど強い思いで対象に関われただろうか。自分だけではない。それは彼をとりまく幾人かの人生を大きく変えていった。かけがえのない者の死は、多くの場合、残された者にあるパワーを与えてゆく。
生生流転がもたらすパワーや尊さ、輝き。
これこそ当著がいう「旅をする木」の実体なのでしょう。
海流
以前、クリンギット族の友人がふともらした、忘れられない言葉がある。
「おれたちには日本人の血が混じっているかもしれない。そんなことを想像させる口承伝説があるんだよ」
黒潮と漂流がもたらす、日本とアラスカの繋がり。
記録に残っていない無数のドラマが存在した可能性を感じさせてくれて、茫洋とした気持ちになります。
白夜
「ギフト(贈り物)だな……」
と、ドンが言った。
あたりが少しずつざわめいてきた。やがてぼくたちは、金色に光るワタスゲの海の中で、数千頭のカリブーの群れに囲まれていった。
まこと幻想的な場景を、「ギフト」と表現する相棒のドンさん。
「ゲット」でなく「ギフト」と言えるのがいいですね。
ドンさん、NHKの星野道夫さん父子のドキュメンタリーでも登場していまして、想像以上に渋いおじさんで素敵でした。
カリブーのスープ
人はその土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分の中にとり入れることで、より深く大地と連なることができる。そしてその行為をやめたとき、人の心はその自然から本質的には離れてゆくのかもしれない。
人と土地との繋がりを、生と死の連なりから見つめている点が素晴らしいですね。
いずれも、やさしさや敬意のこもった、命の輝きを見つめているような文章です。
あくまで私の素人感想ですが、星野道夫さんさんのこうした姿勢は、吉村昭さんの作品に通じるものがあって感じ入ります。
それぞれアラスカの大自然、人の近現代史と、主として取り扱う題材は異なりますが、見よう・描こうとしていたものは近いんじゃないかなあ。
結果として、両者とも羆や漂流記に関心を抱いているのも興味深いところです。
星野道夫さんの遺した作品がこれからも流転し、多くの方々へパワーをもたらす「旅をする木」でありますように。