肝胆ブログ

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「深海の使者 感想 太平洋戦争における潜水艦の末路」吉村昭さん(文春文庫)

 

吉村昭さんの小説「深海の使者」を読んで、太平洋戦争期の日本の潜水艦がどのような活躍をしていたか、そしてどのような過酷な任務に従事して散っていったか……に初めて触れてかんたんしました。

 

吉村昭さんの小説はもともと静謐、緊張、暗影……といった言葉がよく似あいますが、潜水艦というテーマになるとこれらの雰囲気がまたひとしおですね。

 

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太平洋戦争が勃発して間もない昭和17年4月22日未明、一隻の大型潜水艦がひそかにマレー半島のペナンを出港した。3万キロも彼方のドイツをめざして……。大戦中、杜絶した日独両国を結ぶ連絡路を求めて、連合国の封鎖下にあった大西洋に、数次にわたって潜入した日本潜水艦の決死の苦闘を描いた力作長篇! 解説・半藤一利

 

 

学校で第二次世界大戦について学んだとき、「ドイツ・イタリア・日本の三国同盟って……ドイツ・イタリアはともかく、日本は遠すぎちゃう?」と思ったことがある方も多いのではないでしょうか。

 

実際ドイツ・イタリアと日本は離れ過ぎていて、アメリカやイギリスが頻繁に会合を設けて技術や人員や物資や情報の交換に励んでいた一方、ドイツ・イタリアと日本はなかなか連絡を取りにくい状況にあったようです。

 

戦争が激しくなって以降はとりわけ連絡が取りにくくなり、空路での通交はソ連を刺激するため日本的には困るので、やむなく潜水艦で両国の技術・人員・物資を輸送することになったそうで。

……やむを得ないこととはいえ、ミッション設定の段階でかなりの無理を感じますね。

 

 

で、第二次世界大戦中、5隻の潜水艦が次々と日本からドイツ目指して出発するのですが……無事に内地に戻ってきた潜水艦はわずかに一隻。

大半の潜水艦、そして貴重な人員や物資があえなく海の底に沈んでいったという。

 

この小説は、その過程を吉村昭さんらしい冷静で客観的で抑制的な文章で淡々と叙述していく作品になります。

 

もう、題材の時点でものすごく惹かれますよね。

吉村昭さんが中学生だった頃、「一隻の日本潜水艦が訪独」という大本営発表を知って「どのようにして赴くことができたのだろう?」と夢物語のように感じたことを覚えておられたことがきっかけのようですが、小説を書くにあたって生存者も少ないことから取材にはそうとう苦労されたようです。

生存者の証言を得にくくなったことから、吉村昭さんはこの小説を最後に太平洋戦争ものを書かなくなったそうで、そういうところも氏の正確な取材に努めるスタンスが偲ばれます。

 

私は第二次世界大戦にあまり詳しくないので、日本の潜水艦がどのような活躍をしていたか等、初めて知ったり興味を抱いたりすることが多くて新鮮でした。

ドイツのUボートによる通商破壊は有名ですけど、日本の潜水艦ってあまりエピソードを聞いたことがなかったなあと。

小説のなかで、チャンドラ・ボースさんも日本の潜水艦でヨーロッパから日本へやって来たこと等も取り上げられていて、リスキーな脱出劇っぷりにどきどきさせられたり。

 

 

特に印象に残った箇所として、敵機に見つからぬよう、海中に長時間潜航し続けた結果、二酸化炭素濃度が高まり過ぎて乗組員が次々と呼吸困難になっていく絶望的なシーンと、海上浮上後の新鮮な酸素を吸ったシーンのギャップを。

 

時間がたつにつれて、艦内の空気はにごりはじめた。

せまい艦内には、定員以外にドイツから譲渡される予定のUボートを日本に回航する乗組員と便乗者約六十名近くがつめこまれている。さらに、それに必要な食糧その他も積載されていて、艦内の空間は乏しく、空気の汚濁は早かった。

(中略)

炭酸ガスのみちた艦内で、乗組員たちは激しい頭痛におそわれた。それは、頭蓋骨のきしむような痛みで、かれらは頭を手でかたくつかんでいた。

さらに、咽喉の痛みをうったえる者も増した。肺臓はしきりに酸素を吸いこもうとしているが、その量は急速に減ってきている。嘔吐感がつき上げて、胸をかきむしる者も多くなった。

 

内野館長は、イギリス海軍の哨戒線を確実に突破したことをみとめ、八月二十九日午後十時、

「浮上」

という命令をくだした。潜航以来、実に十八時間三十九分が経過していた。

艦内に、歓びの声がみち、乗組員たちは、苦痛に顔をゆがめながら一様に天井を見上げていた。

やがて、艦は、暗夜の海上にひそかに浮上した。と同時に、潮の匂いにみちた外気が、艦内に流れこんできた。それは、ソーダ水を口中にふくむような爽快さで、艦内の者たちは、胸をはり鼻孔をひろげて夜気を思う存分すいこんだ。

 

吉村昭さんの文章は、苦痛も爽快も淡々と叙述されるのですけど、それが読者にも同じ状況を追体験させるような、不思議な没入感を与えてくれます。

著者も読者も同じ時空にいたかのようなリアリティ。

 

 

ミッションそのものの是非はともかく、難しいミッションを負った人たちが英知や工夫を結集して道を拓いたり失敗したりする姿は胸に迫るものがありますね。

 

各国の犠牲者や遺族の魂がいまは安らかでありますように。