肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「図説 六角氏と観音寺城 〝巨大山城〟が語る激動の中世史 感想」新谷和之さん(戎光祥出版)

 

一見「観音寺城観光のガイドブック」風に見せかけてその実は六角氏のレベルの高い概説書になっている本が発売されていてかんたんしました。

こういう本が出てくると滋賀県を中心に六角ファンが広がっていきそうでいいですね。

 

https://www.ebisukosyo.co.jp/item/666/

 

 

南北朝内乱で足利尊氏を助けた氏頼、義尚・義稙二代の将軍から追討を受けた高頼、義晴期幕府の重鎮となった定頼、織田信長と対決した義賢。
宇多源氏佐々木氏の惣領として、鎌倉から戦国まで湖東を治めた名族・六角氏と本拠観音寺城の歴史を50のトピックで解説。
多数の図と写真で構成し、観音寺城のガイドブックとしても便利な1冊。

日本を代表する大城郭がなぜ近江に誕生したのか!?

 

 

という概略からの、

 

 

【目次】
第一章 近江守護六角氏の歩み
 01 近江に勢力を振るった佐々木氏の惣領/02 延暦寺領だった名字の地・佐々木荘/03 守護所、小脇館の景観と開発/04 西国三十三所霊場として栄えた観音正寺/05 南北朝期の観音寺城と軍勢駐留/06 近江国支配の〝クサビ〟となった京極氏/07 将軍の逆鱗に触れ近江守護職を解任/08 観音寺山の用益をめぐり大騒動

第二章 相継ぐ戦乱と居城の整備
 01 文安の内紛、伊庭氏の台頭/02 応仁・文明の乱で分裂する佐々木一門/03 戦乱でたびたび落城した観音寺城/04 足利義尚による第一次六角征伐/05 足利義稙による第二次六角征伐/06 行政拠点だった「守護所」金剛寺/07 足利義澄を支持し義稙方と戦う/08 たび重なる重臣伊庭氏の反乱/09 山麓の石寺を城下町として整備

第三章 領国支配体制の確立
 01 六角氏の支配領域と分立する地域権力/02 家臣団統制と築城の規制/03 京極氏を擁する浅井亮政と激突/04 軍事的に重要だった境目の城/05 発給文書の変化にみる六角氏権力/06 観音寺城内に屋敷があった家臣は誰か/07 裁許を求めて登城する領民たち/08 六角氏は日本初の楽市令制定者?

第四章 畿内の政局を左右する六角氏
 01 将軍義晴政権の重鎮となった定頼/02 天文法華の乱の和睦を取りなす/03 足利義輝元服で加冠役をつとめる/04 諸大名との婚姻による連携強化/反三好包囲網の主力になる/06 外交を担う家臣たちの人脈/07 観音寺城を訪れる公家・寺僧たち/08 観音寺城で盛んに開かれた連歌

第五章 名城・観音寺城の構造
 01 交通を掌握できる近江の中心地/02 無数の削平地はどこまで城跡か/03 複数の登城道と見付が意味するもの/04 山上に築かれた二階建ての御殿/05 威光を示す高度な石垣技術/06 城域に「聖地」を取り込む/07 山麓に多数配置された屋敷地と城下町/周辺城郭にみる観音寺城の規範性/09 観音寺城の防御を担った周辺城砦群

第六章 滅亡、観音寺城のゆくえ
 01 勢力減退の契機となった観音寺騒動/02 分国法・六角氏式目の制定/03 織田信長襲来、観音寺城から没落/04 浅井・朝倉と結んだ反信長軍事行動/05 近江退去後の苦難、子孫は加賀藩士に/06 信長の安土城と六角氏・観音寺城/07 山上に戻った近世の観音正寺と石寺/08 観音寺城跡の保存整備と史跡指定

コラム 京都六角の地に置かれた守護屋敷/生前移譲が珍しかった家督継承/中世の惣村文書にみる領民との向き合い方/琵琶湖の湖上交通を盛んに用いた六角氏/一乗谷城等が観音寺城に「似ている」わけ/滋賀県安土城考古博物館

 

 

という濃厚な中身。

 

ガイドブックどころか、これ一冊で戦国時代の六角氏の歩みを語りつくそうとしているかの如き野心的な構成ですね。

佐々木氏の由来(宇治川橋合戦図屏風とかとか)や伊庭氏の台頭、観音寺城下の町並や支城群の紹介等々までを範囲に入れながらよく150ページに収められるものです。

 

 

個人的には次のような箇所が印象に残りました。

 

  • 応仁の乱当時もしばしば落城している観音寺城

  • 足利義澄さんが滞在した水茎岡山城の遺構写真が興味深い。行ってみたくなります。

  • 蒲生秀紀さん討伐後、音羽城の破却を命じる六角定頼さん。どこまで徹底できたかはともかく、確認できる領国内の破城事例として、戦国時代でも極めて早期のものという点が興味深いですね。

  • 法廷機能等を期待して商人等多くの民間人が登城する観音寺城

  • 六角氏が始めたというより、地元の商人たちの慣行だったんじゃないのという「楽市」。戦国大名の先進的な政策論というより、商業史・地域社会論という観点で理解した方がいいんじゃないかという視点まで触れられているのがいいですね。

  • 他の商人を出し抜くため、偽文書までつくる某商人のしたたかさ。統治する側は大変です。

  • 六角義賢さんの、有名な斎藤道三父子への嫌悪感を示す六角承禎条書案。「六角氏の家格に対する意識を反映」という視点は押さえておきたいところですよね。

  • 東国へ行くにも伊勢へ行くにも観音寺城へ立ち寄る公家や寺僧。観音寺城には迎賓館的な役割もあったというのが存在感の大きさを感じさせます。

  • 観音寺城の山上には、六角氏が居住した二階建ての御殿があった?
    天守閣ではないにせよ、あの高い山の上に更に二階建ての御殿があったのなら、さぞ映えたことでしょう。

  • 六角氏が織田信長さんに対して「浅井氏よりも長期にわたり抵抗を続けたことは注目すべきである」との評。確かに。

  • 近江退去後の六角氏は、義昭を支えながら信長への抵抗を細々と続けた。しかし、秀吉のもとで天下の大勢が決すると、その傘下に入り、過去の戦績や技能を活かして一介の武士として生きる道を選んだ。何とも地味ではあるが、この間の政権の移り変わりにともない、多くの武士が没落したことを踏まえると、六角氏の選択は決して非難されるものではないだろう。

    確かに!

  • やはり注目される、安土城内の「江雲寺殿御殿(江雲寺殿=六角定頼さん)」。信長さんが一定の敬意を払っていたのだろうか。

  • 六角氏ファン(どれくらいいるのかわからないが)

    どれくらいいるのか分かりませんが、ながく近江に根を張った佐々木一族なのですから今後じわじわファンが増えていきそうなポテンシャルはふんだんに感じますよね。

 

 

このような良著が各地の歴史に脚光を集める契機になって、各地の歴史愛がしみじみ深まっていきますように。

さいきんの六角氏の研究成果公表の流れは好感度高いですよね。

 

 

 

おまけ

 

この本にも出てくる音羽城とか鯰江城とかで撮った写真。いいとこでしたよ。

 

 

安土でいまも相撲を取る鯰江又一郎さんと青地与右衛門さん。