肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「書物と権力 中世文化の政治学」前田雅之さん(吉川弘文館)

 

印刷技術確立以前、書物がどのように流通していたか、また、書物の譲り渡しにどのような政治的意味合いが付与されていたかを論じる表題の本が、思いの外ライトな分量ではあったものの、興味深い事例が多数収録されていてかんたんしました。

 

面白い切り口なので、もっと掘り下げた本も読んでみたいですね。

 

www.yoshikawa-k.co.jp

 

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以下、当著の章構成に沿って概要を紹介いたします。

 

古典的公共圏

中世において、真に「古典」として扱われていたものは「古今和歌集」「伊勢物語」「源氏物語」「和漢朗詠集」のみである。

註釈や校本が作られ、皆に仰がれ規範とされる作品はこの四書だけだった。

 

という著者の意見を披露いただいた上で、

 

黒田俊雄さんの「権門体制論(武家が朝廷や寺社を圧するのではなく、公家・寺社・武家が国家権力を分掌する中世の統治体制)」に対して、

黒田史学には大事なものが欠けていた。権門体制を維持し交流させていく文化装置がそれである。

私は、権門体制(院・天皇-公家・武家・寺家)を相互に繋いでいく文化的要素を加えたものを「公」秩序と呼び(拙稿二〇〇四年)、そのような中世のエリート的公共圏を「古典的公共圏」と命名した。

なる概念を提唱いただく章です。

 

四大古典に基づく「和歌の知識」が「国家の権力体制」に組み込まれている。

だからこそ、書物がいかに大事であったことか……というフリになっている訳ですね。

 

 

伏見宮家と足利将軍 『風雅集』『玉葉集』の贈与

室町時代、経済的にも皇統的にも不安が尽きなかった伏見宮家が、秘蔵の風雅集を足利義満さんへ、玉葉集を足利義教さんへそれぞれ贈与し、御領安堵(および、もしかしたら皇統関係への配慮)を図られていたことを紹介いただく章です。

 

還俗して急遽将軍となった足利義教さんが、義満さんと伏見宮家との経緯を踏まえた上で、同じく伏見宮家から書物を譲渡されることで権威アピールを狙っていたのだとしたら面白いですね。

 

書物が権力の正統性と繋がっていたんだよ、という。

 

 

一条兼良『源語秘訣』の変遷

15世紀に活躍した、「日本無双の才人」「和漢の御才学比類無し」「本朝五百年以来此の殿程の才人御座有るべからざるの由」と名高い一条兼良さん。

 

彼の手による源氏物語の注釈書「源語秘訣」が、「一子相伝」のはずなのに、彼の知名度の高さもあって、色んな人が「読みたい・写したい」と群がってきて、実際に複数のルートで書写されていく流れを紹介いただく章です。

読めないはずの本ほどみんな読みたい、ということなのでしょう。

 

書写した人物は、三条西実隆さん、足利義尚さん、里村紹巴さん、細川藤孝(幽斎)さんなど錚々たるメンバーがいらっしゃいます。

とりわけ細川藤孝さんは、どうやら本能寺の変直後に書写してはったようで。

世の中が転変極まりない中、まごまごあわあわせずに源氏物語の註釈を写し書きしていたとい藤孝さんの心胆がすごい。

 

 

書物をめぐる知と財、そして権力

日本史上初の「職業文芸家」たる連歌師の手によって、書物が都から地方へ流通していく様を、三条西実隆さんと宗祇さんの具体事例をもとにご教示いただける章です。

 

応仁の乱後、伝統的権威がおおいに動揺しつつも、古典文化自体は破壊されず、むしろ連歌師の手によって地方へ伝播(公家の困窮→書物売却、仲介役が連歌師)していった……古典的公共圏の拡大……という著者さんの歴史解釈はなかなか興味深いですね。

実際、地方の守護代や国人層、あるいは地方の末端寺社にまで古典が広まったのはこの時期なのではないか、ということです。

逆に言えば、各地で成長した新興層が、ランクアップしたステージに相応しい知識・教養を渇望していたということなのかもしれません。

 

権力者たるに相応しい教養が求められるのは古今東西変わらないっすね。

 

 

書物の移動をめぐる力学

前章の掘り下げ、具体例として、天文の乱後の本願寺証如さんが朝廷と懇意にして信頼回復に努めて『三十六人歌集』を下賜されたり、能登の畠山義総さんが三条西実隆さんや禅僧を通じて宋詩『山谷集』を入手したり、近世初頭の江戸時代各藩大名が書物の貸借・書写を通じて共有し合っていたりというエピソードを紹介いただく章です。

 

印刷技術普及前の、書物が極めて貴重で、一種の権威性を帯びていたのはこの頃までで、以後はお金さえ出せば誰でも書物を入手できるようになる……それはそれとして、中世の書物への渇望っていいよね……といった風合いで当著は締めくくられています。

 

まあ近世、近代、現代でもレア本っていうのは引続き残存していて、一部界隈では一種の権威を保っていたりしますけれども、「公共圏」と呼べるほどの存在ではなくなったという意味では仰る通りかもしれません。

 

 

 

 

以上のような内容を、200ページほどのサラッとした分量で取り上げてはる本です。

この本単独で強い学術的提言がされているというよりは、新書に近い印象。

 

気軽に読みやすい、とっつきやすい感じですので、文化面からの切り口で中世を見たい方にもちょうど良いのではないでしょうか。

文中には呉座勇一さんの「応仁の乱」の説が取り上げられたり、細川晴元さんや木沢長政さんの名が出てきたりと、最近の中世研究のトレンドと連関している感じがするのも親しみやすいと思います。

 

文化史は人類にとってとても大事なファクターだと思いますから、今後もこうしたジャンルの歴史本が出版され、ほどよく売れて、更に出版され……となりますように。