西洋菓子とパティシエ・お客様を題材にした連作短編集たる当著の、大人方面のビターテイストをはらんだ味わいが楽しくてかんたんしました。
パティシエール(パティシエの女性形)の亜樹さん、
渋くて実力派な彼女の爺ちゃん、
亜樹さんの彼氏や、亜樹さんに横恋慕する元同僚、その元同僚を狙う若い女性、
そしてお店の常連客等々……
下町の西洋菓子店にかかわる人々が、ほろ苦い、あるいはどろどろと暗い事情や情念を抱えつつ、素敵なお菓子に癒されたり気分が一新されたりとするきれいな瞬間を切り取った短編集で構成されています。
目次も、各章のテーマとなるお菓子で構成されておりまして
- グロゼイユ(赤いくだもの。赤スグリとも)
- ヴァニーユ(バニラ)
- カラメル
- ロゼ(薔薇)
- ショコラ
- クレーム
となっています。
各章がどんな内容なのかはお菓子の味や香りや舌ざわりから想像ください。
以下、ネタバレを含みます。
物語は日常モノに近いので、大きなストーリーの起承転結よりは細やかな日常の描写の巧みさが快いタイプの小説かと思います。
全編を通してお爺ちゃん世代の男性陣がヒーロー的に格好いいのですが、私はどちらかというと女性陣の親しみが湧く情緒表現が気に入りました。
主人公の亜樹さんは化粧っ気もしゃれっ気もない職人肌の女性なんですけど、物語本編とはあまり関係のない、学生時代の暗くて紅くて倒錯した体験をいまも密かに大事に抱いているのがいいんです。
淡いゆりゆりしたやつ。
技量やお客様目線や爽やかな気持ちとは違う、別の領域の精神的支柱を持ったまま腕のいい職人していて、苦みやクセや香りを全面的に活かしたエッジ系のお菓子をつくっているという設定がアツいよね。
気づいたら、珠香の白い脚に顔を寄せていた。珠香が大きく息を吐いた。その瞬間、赤い実は震え、かたちを失い、つうっと流れ落ちていった。
美佐江さんという洋菓子店の常連客は、夫が不倫していて自分もストレスで摂食障害を抱えながら独りよがりなプライドにしがみついている愛しいタイプの女性なんですが、プライドの保ち方というか、不倫相手(わざわざ自宅に乗り込んで来たらしい)に対する思考の描写がとてもいいのですよ。
化粧品のことを考えていると、さっき見た女のお気に入りのコスメブランドのことが頭をよぎった。そのブランドは、十八世紀フランスにあらわれた奇抜な服装をした女性たちをコンセプトにしている。可憐でガーリーなパッケージはファッション雑誌などでもてはやされていた。だが、その女性たちのことを調べてみると、彼女たちの中には胸をあらわにしたり、下着もつけず透けるドレスを身にまとったりと、あられもないファッションをしていた者も多くいた。恥知らずなあの女にぴったりだと思った。
電話の声から、若いだけで教養も品もない女であることも見抜いていた。手を汚さずシュークリームを食べる方法なんてきっと知らないだろう。安っぽいピンクの唇と爪がクリームで汚れてしまえばいいと思った。
女のかたわらに置かれたベージュ色のバッグの端がすりきれていた。見るからに合皮だった。こんなみじめな女がさも対等な様子でわたしの前に座っていることに怒りがこみ上げた。
めっちゃ早口で考えてそうなのが哀しくて魅力的です。
抜本解決には至らずとも、お菓子で気分が少しでも変われれば幸いですね。
亜樹さんに横恋慕している元同僚を狙っている美波さんはネイリストで、おしゃれが好きでかわいいものが好きで自分の美意識を大事にしていますが、一方で
サラリーマンたちとコンパをしても面白くない。普通の男性はネイルになんか興味がないし、お洒落だってしすぎるとひかれる。
ネイルもスイーツもひとときで消えてしまう自己満足。あってもいいけど、きっとなくてもいいもの。
と現実をきちんと認識している面もあります。
だからこそ自分の美意識・願いとのギャップが大きい日々の暮らしや恋愛事情に疲れを抱くようなこともあるんですけど、
でも、そんな「なくてもいいもの」にあたしは今まで生かされてきた。それがあたしを強くしてくれた。
あたしにはあたしだけの世界があって、そのおかげで今こうして立っている。自分を卑下しても、自分が好きになったものを否定しちゃダメだ。
と、ちゃんと健康な気持ちを失うことなく現実に向き合うことができる彼女は実に立派で好ましい女性だと思います。
お菓子はこういう女性を支える存在でもあってほしいですね。
と、あえて本筋の話の流れや、メインキャラの爺ちゃんや、肝心のお菓子描写を伏せ、女性陣の心情面だけを取り上げましたが、この本はかように登場人物のバックボーンを色濃く記しているところがあってこそのお菓子場面・爺ちゃん場面だと思いますから、本の紹介としてこれはこれでいいんじゃないかなと考えています。
気が合いそうだと感じた方はお読みになってみてはいかがでしょう。
我々を取り巻くお菓子文化がますます爛熟していきますように。