永井荷風さん。
花柳界など都会の風俗を洒脱な文章に表したことで名高いお方ですね。
個人的には、晩年の毎日同じ定食屋さんでカツ丼を食べていたという
エピソードになぜだか惹かれます。
こちらの「羊羹」は、第二次大戦直後の時代を舞台にした短編です。
短いのですぐに読めますよ。
以下、ネタバレを含みます。
あらすじ。
新太郎さんという料理人見習いがおりました。
戦争を終えて東京に戻ってきてみれば、一面焼け野原で
修行していた料理店の影も形もありません。
とりあえず商売替えして運送会社に勤めることにしました。
復興期ですので仕事はなんぼでもあったため、
あっという間に羽振りがよくなりました。
金に困らないことを家族や友達に見せびらかして得意満面です。
偶然、昔働いていた料理店の旦那様の避難先を知りました。
貴重なタバコを土産に、成り上がった自分の姿をいっちょ見せたろという
気持ちで訪ねてみたところ。
旦那様は昔と変わらず裕福な暮らしをしていて、
ビールやら白米やら何皿ものおかずやらが出てくるほどの
歓待を受けました。
……タバコを差し出して自慢するどころではありません。
なんかムカついて、帰り道、一般人にはなかなか手が出せない
「林檎」や「羊羹」を買ってみました。
以上。
主人公新太郎さんの、ひとりで調子に乗って、ひとりで盛り下がって、
ひとりでしぶとく格好つけてる描写がいいんですよね……。
愛すべき小人物ぶり。
文学にもいろいろありますが、こういう「あるある」という卑小心理を
写実的に切り取っているところに、荷風の視点の鋭さ、筆の冴えを感じます。
短編でも、やはり荷風の文章は洒脱です。
ぐだぐだこまごまという解説なんてしないんです。
戰後の世の中は新聞や雜誌の論説や報道で見るほど窮迫してはゐないのだ。ブルジヨワの階級はまだ全く破滅の瀬戸際まで追込められてしまつたのではない。古い社會の古い組織は少しも破壞されてはゐないのだ。以前樂にくらしてゐた人達は今でもやつぱり困らずに樂にくらしてゐるのだ、と思ふと、新太郎は自分の現在がそれほど得意がるにも及ばないもののやうな氣がして來て、自分ながら譯の分らない不滿な心持が次第に烈しくなつて來る。
社会構造の歪みを確実に捉えながら、この記述以上に話を引っ張らないところ。
ちょっと真理を突いたことを言ってみて、サッと話を仕舞う。
実にお洒落だと思います。
私はぐだぐだこまごまと長っちりな文章を書いてしまう癖がありますので、
手本としなければいけません……。
近頃では「女帝」「女帝花舞」などの原作者である倉科遼さんが
「荷風になりたい」という漫画を出していたりも。
「女帝」も「女帝花舞」もドロドロした夜の世界漫画でしたけど、
両作とも最後は家族愛に満ちたハッピーエンドだったと記憶しています。
幸せな姿を必要以上に描写しない構成で、すっきりさっぱりと。
言われてみれば、その辺の塩梅は永井荷風リスペクトなんですかね。
潔癖な現代世相だからこそ、荷風の味わいは輝きを増すように感じます。
永井荷風文学が次の世代にも読み継がれていきますように。
夜の世界で働く人の暇つぶしにもいいと思います。