先日銚子に行ってきたので、千葉と和歌山のつながりを実感したくなり、和歌山県にも行ってまいりました。
海を介して千葉と和歌山が繋がっていたという歴史を思い浮かべるとかんたんしてしまいますね。
千葉県銚子市「飯沼観音 圓福寺の三好関係者の墓? 供養塔?」 - 肝胆ブログ
安宅氏城館(白浜町)
熊野水軍の一角として知られる安宅水軍。
城館跡は有名な白浜からもう少し南へ進んだところ、日置川が流れるあたりにあったようです。
城館のすぐ近くには安宅崎という岬が。
当時はどうだったか知りませんが、いかにも海賊が船を隠してそうな雰囲気。
城館の近辺。
そして安宅氏城館のあったあたり。
写真中央の木立・田んぼのあたりに館があったそうです。
貴重な文化財であり、近づくとわずかに遺構も残っているそうなのですが、現在は私有地のような雰囲気でしたので近づくのは遠慮しました。
素朴な感想としては、白浜に近いなあ……というのをいちばんに思ってしまいます。
白浜に淡路島、関西人的にはめちゃくちゃええとこを根城にしてるやん安宅氏という感じですね。選地センスの高い一族だったのでしょう。
雑賀崎城(和歌山市)
雑賀衆が本願寺教如さんを一時的にかくまっていたというエピソードでも知られます。
お城の遺構は残っておらず、代わりに観光客向けの灯台が経っています。
なんか召喚獣が降りてきそうな写真になってしまった。
雑賀崎は景観の良さで知られており、灯台からの景色もよい感じですよ。
海を見ても淡路島を見ても日本製鉄を見ても素敵。
雑賀崎や界隈の和歌浦は風光明媚なうえにアクセスも悪くないので、近くまでお越しの方は立ち寄って楽しみつつ雑賀衆の皆さまにも思いをはせていただくといいんじゃないでしょうか。
畿内三好家の戦にはよく根来衆が登場しますが、阿波三好家の戦にはよく雑賀衆が登場します。実際に両方の土地を見てみると、雑賀は四国・淡路に近く、根来寺は河内・和泉に近い。納得感が高まりますね。
「紀伊の根来寺は和泉・河内に近い。そりゃ攻め寄せるわ」和歌山県岩出市 - 肝胆ブログ
ちなみに、真偽は不明ですが、三好元長さんくらいの時代に三好家が和歌山の日高あたりまで攻め寄せてきたという伝承もあるそうです(小法師城/池田城)。
登場人物の名前的に信ぴょう性は低いのですけど、話の元になったような戦はあったんですかねえ?
道成寺
せっかく和歌山まで来たので、安珍さん清姫さんで知られる道成寺にも。
有名な道成寺の鐘、本当に焼けた土が出てきたとかマジっすか。
はばかって写真は撮っていませんが、道成寺では国宝・重文の仏像多数を拝観することができておすすめです。
また、あちこちから寄贈された道成寺物の絵画が飾られていまして、とくに御正伸さんの清姫画は傑作なので、龍系の女性が好きな方はいちど見にきた方がいいと思います。三つ鱗の着物かのようなデザインで正体の素肌を描いているの、よきアイデアやとかんたんしました。
あらためて、車も飛行機もなかった時代は船こそが移動・物流の主役で「船があればこことあそこは近い」というのを実感するのって有意義やなと思いました。
もっと船旅の数を増やしていきたいものです。
畿内戦国史の一部界隈での人気を追い風に、和歌山県の中世・戦国時代研究もますます進んで一般人気が高まっていきますように。
有力な水軍衆や寺社が存在するので、和歌山県に詳しくなると平安時代~戦国時代あたりの学びが一層楽しいと思います。