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千葉県銚子市「飯沼観音 圓福寺の三好関係者の墓? 供養塔?」

 

千葉県銚子市飯沼観音さんにて、噂に名高い伝三好長慶滝川一益? の供養塔実物を拝見できてかんたんしました。

 

iinumakannon.com

 

 

三好長慶さんといえば関西各地および地元の徳島県三好市にお墓があることで知られていますが、実は千葉県の銚子にも墓ないし供養塔があることで有名ですね。

 

 

こちら飯沼観音さん。

 

銚子市の中核となる真言宗系の寺院でございまして、寺歴によれば行基さんや空海さんとも所縁があるそうです。

 

本堂は2024年現在修復工事中。

立派な大仏や五重塔があったり、多くの寄進や崇敬を得ている様子が感じ取れます。

 

 

 

で、その飯沼観音さんに存在するのがこちら三好長慶さん? の供養塔。

 

確証はありませんけど、各所で得た情報から推察するにこの塔っぽい?

他の塔かもしれませんが私の場合は銚子で三好家を偲ぶことが一番の目的なので特定は二の次なのであります。

 

 

ちなみに供養塔エリアは本堂正面に向かって右奥の方向、駐車場スペースの方から伺うことができます。

 

 

 

で、なぜ千葉県の銚子に三好長慶さんの供養塔があるのか。

実際のところはよく分かりませんが、新庄直頼さん、惣帰居士さんのエピソードが下総国には存在するので、その辺と絡めて語られることが多いそうです。

(詳しくは「惣帰居士」とかで検索してみてください)

 

一方で滝川一益さんのお墓と語り継がれていたという話もあるそうなのでますますよく分かりませんが、有名な武将本人のお墓、あるいは有名な武将を偲ぶ供養塔が建立されたという流れで後世に語り継がれてきたっぽいですね。

 

 

こちらのお墓ないし供養塔、惣帰居士さん伝説をそのまま信じて結びつけ、江口の戦いに参戦していた三好の若武者武将、かつ最期の具体的死にざまがよく分かんない人物ということであれば

  • 三好長慶さん……実は死なずに東国で隠棲していた説
  • 三好長逸さん……実は死なずに東国で隠棲していた説
  • 三好宗渭さん……実は死なずに東国で隠棲していた説(江口の戦いでは宗三さんサイドですが)
  • 安宅冬康さん……実は死なずに東国で隠棲していた説
  • 芥川常信(孫十郎)さん……流れ流れて東国へたどり着いた説

 

などがパッと思い浮かぶ人物になりまして、上の四人に隠棲する動機が見いだせない以上は、芥川常信(孫十郎)さんが有力な候補者となり、孫十郎さんのお墓あるいは孫十郎さんが三好家崩壊を伝え聞いてセンチメンタルな気持ちになり供養塔を建てたという話に帰結させたくなります。

いろいろ嫌になった長慶さんや長逸さんが世捨て人になったというのも面白い想像ではありますし、雑に語れば若い頃の滝川一益さんが畿内でバイトしていた可能性もゼロとは言えませんけどね。

 

 

お話として楽しそうな想像トークはそんな感じになりますが、実際のところは名前の残っているような三好家武将かどうかはともかく、紀伊にゆかりのある人が下総に移り住んで三好家伝説を語り継いだということはあったんだろうなと思っています。

というのも戦国時代当時、紀伊から上総・下総に移り住む人はそうとう多かったようで、紀伊出身の鉄砲衆や水軍衆が後北条家界隈の戦で活躍したような話が残っていたり醤油の製造法が伝来したりしていますので。

 

江口の戦い、長慶さんサイドには河内畠山家も援軍を出していますから、長慶さん推しの畠山侍が根来寺高野山に身を寄せて、秀吉さんの紀伊討伐後は下総へ移住したようなこともあったでしょう。

先に挙げた人々のなかでは、安宅家関係者の実家筋はそれこそ紀伊の熊野界隈ですから、江口の戦いに参戦した安宅家の生き残りが下総へ移り住んだこともあったかもしれません。

 

そんなことを考えつつ、千葉と和歌山の不思議な縁に思いを巡らせるというのもなかなか楽しいものであります。

 

 

 

こちらは銚子の有名な犬吠埼灯台

 

 

 

から眺めた大海原。

 

この海は畿内の戦国時代とも繋がっているのです。

 

 

正体がどなたであるにせよ、惣帰居士さんとされる方が安らかにお眠りいただいておりますように。

 

 

 

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