吉野川上流、三好家のルーツ界隈を訪れてみましたところ、長宗我部元親さんが本陣を敷いたことで名高い白地城がものすごく近くてかんたんしました。
こういうのは実地でまとめて辿ってみないと実感わかないものですね。
滝寺
三好長慶さんの実家付近、長慶さんのお墓があることでも知られている滝寺さん。
長慶さんのお墓は本堂に向かって左側から。
畿内や銚子もいいところですけれど、吉野川を見下ろす森閑な山中、おそらく少年期を過ごしたであろう故郷にお墓があるというのはやはりいいものだと思います。
お寺・お墓が静かな一方、道すがらの看板はなかなかオラついていてギャップ萌え。
そのうち滋賀県観音寺に「三好長慶が頭を下げた天下人」という看板が建てられるかもしれませんね。
芝生城
その滝寺のほど近く、長慶さんが誕生したと伝わる芝生城の跡地がございます。
熟練の三好ファンであれば、石碑を読んでいると「出水康生さんの文章っぽいなあ……→やっぱりそうやったわ」とほほ笑むことができると思います。文章を読んで作者の顔が思い浮かぶってのは個性とセンスに優れている証拠だと思いますのでうらやましい。
遺構はとくにございませんが、
この景色と
高台にして豊かなこの水路を眺めていると
自分のなかの農村民ごころがとてもよい心地になります。
大西池田城
https://miyoshi-tourism.jp/wp-content/themes/tmp/pdf/download/udatsumap.pdf
芝生城の看板にもありました通り、三好氏のルーツは大西池田城の小笠原氏だと言われております。詳しくはよくわからないようですが。
せっかくなので立ち寄ってみましたところ。
思った以上に近い……というのもさることながら、池田町って高校野球で有名なあの池田かあ……と感じ入りました。
(お城の看板は池田幼稚園に向かって右側面の小道に入ったところにあります)
三好研究がもっと早くに進展していたら、池田高校が甲子園で優勝したときに「阿波侍、再び摂津に上陸し天下を奪還す」とか煽れただろうに惜しいことです。
そして、大西城……大西氏……とくれば白地城……と思って検索してみると、白地城もすぐ近くにあることが分かりまして。
白地城
位置関係はこんな感じ。
白地城って四国の中央的な文脈で語られたり、信長の野望で長宗我部元親さんが白地城を落とすと「四国の蓋」イベントが発生したり、その元親さんが四国制圧に向けて本陣を敷いたりと、いろんな方面で有名ですけれども。
……三好氏本貫地にこんなにも近いんですねえ。
そりゃ白地城を落とされたら三好家に衝撃走るですわ。
白地城もほとんど遺構は残っておりません。
隣接地にホテルがありますので、ホテル入り口に入らず右側にくいっと進み大西神社・デイケア施設を目指すと石碑に出会えることでしょう。
大西池田城や芝生城に近いこともさることながら、白地城に実際来てみると北に讃岐、東に阿波、西に伊予と、交通至便なことがよく分かります。
土佐から出てきた長宗我部元親さんがこの地を得たならそりゃテンション上がるわとめちゃくちゃ納得。海部ルートや宇和島ルートだけで他国侵略するのはちょっと考えられないですよね。
逆に、池田→芝生→畿内と徐々に東進していった三好氏は、政治のためか商売のためか、中央との関係強化に戦略がシフトしていったということなんでしょうかね。
以上、長慶さんの実家界隈のお散歩コースでした。
吉野川に沿った旅路は風情があっていいものですよ。
三好家や長宗我部家の物語がますます有名になっていって、吉野川上流にも潤いをもたらしていきますように。