さいきん周りに文豪ストレイドッグスにはまった人がおりまして、中原中也推しということで私もつきあいで中原中也詩集を久しぶりに読んでみましたところ、ある程度年齢を重ねたからこそ分かったり共感したりするものが増えていて、若者向けの詩人と言われがちですが大人にとっても良いものだとかんたんしました。
私は本を読むの好きですけれども、詩というのはいまだに味わい方や読み方が正直よく分かっておりません。
さはさりながら、詩からでしか得られない栄養のようなものは確かにある気がしており、同じく分からんながら美術館に行ったりするのがまあまあ好きなのと同じようなジャンルに受け止めております。
中原中也さんは超有名人ですので特に説明はいたしませんが、若者特有のナイーブさであったり、お子様や弟さんを失った悲しみであったり、人生全体にたゆたう哀しみであったりのフレーバーで語られることが多い感じでしょうか。
今回久しぶりに詩集を読んでみましたら、時々出てくる「畳」モチーフの温かみであったり、地味に本人がNTR属性をお持ちであったりと、以前は気づかなかったような味もたくさん見つかりましたので、名作いうのは時間をあけて再読するのも悪くないむしろいいものですね。
今回、特に気に入った箇所をいくつかご紹介。
汚れつちまったとかゆあーんとかは省略です。
羊の歌より
彼女は畳に座つてゐました
冬の日の、珍しくよい天気の午前
私の室には、陽がいつぱいでした
彼女が頸かしげると
彼女の耳朶 陽に透きました。
六月の雨より
お太鼓叩いて 笛吹いて
あどけない子が 日曜日
畳の上で 遊びます
残暑より
畳の上に、寝ころぼう、
蠅はブンブン 唸つてる
畳ももはや 黄色くなつたと
今朝がた 誰かが云つてゐたつけ
……畳シリーズの描写よくない??
春宵感懐より
かくて、人間、ひとりびとり、
こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふというほどの
ことして、一生、過ぎるんですねえ
また来ん春……より
おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といひ
鳥を見せても猫(にゃあ)だつた
最後にみせた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた
詠嘆調より
「夜は早く寝て、朝は早く起きる!」
夏より
とある朝、僕は死んでゐた。
卓子に載つかつてゐたわづかの品は、
やがて女中によつて瞬く間に片附けられた。
――さつぱりとした。さつぱりとした。
などなど。
戦前の作品集でありながら、色褪せぬ魅力がある、むしろ現代的な感性すら読み取れる気がいたしますね。
導線が文庫であれ文ストであれ、先人のよき文章に触れる機会がこれからも若い衆のまわりにたくさんございますように。