肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「斗南藩――「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起」星亮一さん(中公新書)

 

会津藩のその後……である斗南藩を軸に幕末・明治期の歴史を取り上げた新書が非常にエモーショナル過多でかんたんしました。

 

www.chuko.co.jp

 

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帯で「会津の“国辱”」「雪ぐまではここは戦場なるぞ」と大見出しにされているのがさっそく重いものを感じさせてくれますね。

裏面にもやはり「武士の子たることを忘れしか」と斗南藩で辛苦の生活を送る元会津藩士の絞り出したようなお言葉が引用されています。

 

 

斗南藩青森県下北半島に1年半だけ存在していた藩です。

戊辰戦争で敗れた会津藩は、明治新政府の意向(復讐)で下北半島に移転(流罪)することとなり。

実収七千石の荒野に、二十八万石の会津を治めていた藩士とその家族17,000人が流れ込んで、たちまち飢餓・疾病に喘ぐことになったという酷薄な経緯で知られています。

 

 

ちょっと前に青森で斗南藩の史跡を見て、もう少し詳しく知りたいと思っていたのでこの本を手に取ってみた次第で。

青森県「恐山、堀越城、種里城」 - 肝胆ブログ

 

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下北半島は、いまでこそほのぼのとした風情を感じる土地になっておりますが、開発が入る前の時代はまことに大変だったようで……。

本では悲惨な状況を克明に当時の記録から拾ってくれていますが、下手に引用すると怨念を呼びそうなので結果のところだけを引用させていただきます。

こうして斗南藩はわずか一年半で終焉した。

廃藩置県の直後、青森県知事野田豁通が大蔵省に提出した書類は衝撃だった。そこには、「旧斗南藩士一万三千二十七人のうち三千三百は各所出稼、あるいは離散、老年ならびに廃疾の者六千二十七人、幼年の者千六百二十二人、男子壮健の者二千三百七十八人」という惨憺たる数字が示されていた。

当初、斗南に移住した会津人は一万数千人である。二年の間に一万三千人に減り、そのなかからさらに三千人が出稼ぎで姿を消したことになる。その結果、全体で一万人に減り、しかも六千人が病人または老人という驚くべき数字であった。

 

……黙祷する以外思いつかないような歴史です。

 

 

本の前半は幕末における会津藩の活動(八重さん要素も含みつつ)、斗南藩移転の経緯、移住後の刻苦……という内容ですので、かなり薩長への恨みを惹起させるような事実・思いが続くパートになっています。

他の地方の人間が軽々と口を挟めないような史実ではありますが、前半部分だけで熱くなることは極力抑え、後半へ読み進めていった方がよいかと思われます。

(率直に評せば、“それは言い過ぎでは?”という部分もかなりあるような)

 

 

一方、本の後半では、斗南藩で活躍した人物たちのその後……ということで、

明治政府の中で活躍した者、

不平士族となって反乱に加担した者、

教師や首長となって青森県の発展に貢献した者、

斗南に残って牧場を開き、下北半島を沃野に変えようと挑んだ者……等々、

各人各様のエピソードの集合体となっています。

山川浩さんや広沢安任さん等、興味深い人物も多く登場しますよ。

 

会津藩で高い教育を受けていた人物たちが青森県に多く流入した結果、青森県や対岸の北海道の発展に会津人がおおいに貢献した、という高揚事例もあり、

松平容保さんが廃藩置県後の斗南に来訪し、かつての主君と家臣がともに涙を流しながら過ぎ去りし日々を振り返るという情と悲哀に富んだ事例もあり、

新政府へ不満を抱き、かつて恨み抜いた薩長の不平士族とともに決起(萩の乱西南戦争等)するといった、敗者同士の通じ合う心境……のような事例もあり。

あわせて、幕末期の会津藩の暗部……残念な上層部や、農民たちへのキツい締め付け……等も紹介され、決して会津藩士が気の毒一辺倒とも評しきれない史実も取り上げられるんです。

 

この、本の後半まで通して読むと、特定の藩や有力者だけをシンプルに恨めばそれでいいという風ではなく、現実世界の複雑な様相をありのままの形で認識できるようになってきますので、「この本は一見かつての仇を思い出させるような本でありながら、実は人間社会を生きる難しさ、安寧を希求する貴さを知らしめている本ではないか」という感想を抱くに至るのですよ。

 

わざとこうした構成にしているのかもしれませんが、味のある本だと思います。

 

 

じっさい、著者さんのあとがきなんかを読むと、やはり薩長に思うところはおおいにありつつ、上で述べたような単純化を避けようとする葛藤、そして止揚を目指す意志のようなものを感じたりします。

本編では薩長のことをかなり悪しざまに評しつつ、あとがきでは薩長が果たした功績にもきちんと向き合おうとされていますからね。

 

個人的には、こうした両極端な文章が混在するこの本を、当事者の記憶を継ぐ方が恨みや悔しさを乗り越えていく、過渡期の存在として受け止めたいと思います。

だからこそ、この本をサラッと読んで「会津かわいそう」「明治新政府ひどい」みたいな部分だけを拾うようなことは読者サイドもしないでほしいなあ。

 

近代の歴史は現代人の精神と地続きの部分がまだまだ大きいものですから、パッと解決するような類のものではもとよりございませんが、徐々に融和や克服が進んでいくと……いいですね。

 

 

再び日本国内が割れて争うような時代が訪れませんように。