久しぶりに“もっと早く出会いたかった”と思えるほどの本を読むことができてかんたんしました。
奈良の寺社、あるいは和歌(とりわけ万葉集)に興味のある方は是非とも一読いただくことをおすすめいたします。
新潟県の出身、明治期~昭和の戦後直後まで活躍されたお方で、主に奈良の寺社仏像を題材にした和歌でいまも多くの人を惹きつけておられます。
その会津八一さんが生涯に読んだ歌をまとめ、更にご自身で註釈を付したありがたい本がこちらなんですよ。
尊敬する人に勧められて読んでみたのですが、これは本当にもっと早く読みたかった、そう思えるほどの素晴らしい歌集でございました。
会津八一さんの歌の特徴は、ひらがなで書かれていること。
この独特の味わいがまたよいのですよ。
例えば。
春日野にて
かすがの の みくさ をり しき ふす しか の
つの さへ さやに てる つくよ かも
みくさ 「み」は接頭語。草。
さやに さやかに。分明に。
つくよ つきよ。月夜。月明。「よひづくよ」「ほしづくよ」ほしづくよ「さくらづくよ」などあり。
奈良博物館にて
こんでい の ほとけ うすれし こんりよう の
だいまんだら に あぶ の はね うつ
こんりよう 紺綾。紺色の綾地に金銀泥にて描きたる縦広一丈にあまる大曼荼羅。金剛界、胎蔵界の二幅あり。空海(七七四-八三五)が唐土より齎すところといふ。高市郡高取町子島寺の出陳なりき。
といった感じ。
冒頭に何処で詠んだ歌かを記し、和歌、自註、と続くスタイルです。
この自註もいいでしょう。
八一さんがどのような意図で詠んだのかがありありと伝わって参りますし、寺社仏像や古語の学習にもすこぶるよいですし。
奈良に縁があればピンとくる場景も多ございますので、関西の学生さんも下手に興味のない古典を勉強するくらいならこれを読んだ方がいいんじゃないかと思うくらいです。
好きな歌を挙げればキリがありませんが……。
唐招提寺にて
おほてら の まろき はしら の つきかげ を
つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ
せんだん の ほとけ ほの てる ともしび の
ゆらら ゆららに まつ の かぜ ふく
夢殿の救世観音に
あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
この さびしさ を きみ は ほほえむ
吉野の山中にやどる
あまごもる やど の ひさし に ひとり きて
てまり つく こ の こゑ の さやけさ
畝傍山をのぞみて
ちはやぶる うねびかみやま あかあかと
つち の はだ みゆ まつ の このま に
三月堂にて
びしやもん の おもき かかと に まろび ふす
おに の もだえ も ちとせ へ に けむ
ああ、また奈良を旅したくなる。
実に奈良の匂いがする歌ばかりだと思うのです。
奈良博物館で即興で詠んだ歌、
あせたる を ひと は よし とふ びんばくわ の
ほとけ の くち は もゆ べき もの を
もいい。
びんばくわとは頻婆果というインドの赤い果実で、仏像といえば骨董趣味・古色蒼然なものがありがたがられるけど、制作された頃の仏像の唇は赤く輝いていたんだからね、的な意図なのでしょう。
侘び寂び一辺倒になりがちな我々の趣味に一石を投じてくださっています。
(斎藤茂吉さんにこの歌を褒めてもらったそうです)
もちろん奈良以外の歌もありますよ。
こちらは京都の教王護国寺(東寺)。
たち いれば くらき みだう に ぐんだり の
しろき きば より もの の みえ くる
密閉されていた寺院堂内に入り、暗闇にだんだん目が慣れてきたところ、軍荼利明王の白い牙が初めに見えた……という様子がよく伝わって参りますね。
このごろ の よる の ながき に はに(粘土) ねりて
むら の おきな が つくらせる さる
ちょっと欲しくなってしまいます。
東京の多摩の畑にて。
まめ ううる はた の くろつち このごろ の
あめ を ふくみて あ(吾) を まち に けむ
なんて農家心を呼び起こす歌なのでしょう。
お土さんが早く来てちょうだいと呼んでいるんですよ。
関東大震災の惨事を詠んだ歌も。
被服廠の跡にて(数万人が焼死した場所)
あき の ひ は つぎて てらせど ここばく の
ひと の あぶら は つち に かわかず
何日経っても大量の遺体から出た脂が乾いてくれない事実……。
漢詩からインスピレーションを得た歌もいいですね。
いりひ さす きび の うらは を ひるがへし
かぜ こそ わたれ ゆく ひと もなし
着想元:秋日(耿湋さん)
返照入閭港 憂来誰共語
古道少人行 秋風動禾黍
いかがでしょう。
取っつきづらいかもしれませんが、「思ったよりは面白そう」と感じた方はぜひ触れてみてくださいまし。
この本を懐に入れておけば奈良の旅がますます楽しくなりそうです。
というか奈良を再発見できそうです。
ゆっくり奈良をまわりたいなあほんまに。
会津八一さんの歌がこれから先の世代の方々にも継がれていきますように。