ミネルヴァ書房から一次史料ベースの龍造寺隆信さん評伝が出版されていてかんたんいたしました。
本編は約180ページという短さながら内容は充分に研究の進展や足場固めを感じられます。龍造寺研究はなかなか成果や独自視点を出しにくくて大学生や院生も苦戦しがち等と苦笑いせざるを得ない研究実態も紹介されておりますけれど、こうしてしっかりとした評伝が出てきたわけですのでここをベース基地にしてますます研究が盛んになっていくといいですね。
龍造寺隆信(1529年から1584年)戦国時代の武士
肥前の一国衆に過ぎなかった龍造寺隆信は、九州の巨大勢力である大友氏を肥前から排除しただけでなく、周辺の国衆をも次々と従えてのし上がった傑物である。本書は、戦国期において九州各地に進出したその生涯を、一次史料から明らかにする。[ここがポイント]
◎ 二次史料たる近世の編纂物に頼らず、一次史料たる当該期に発給された文書に即した考察を展開。
◎ 隆信の曾祖父で、龍造寺氏興隆の祖として知られる家兼(剛忠)の動向についても考察。
はしがき
序 章 龍造寺隆信研究の現状と課題
1 龍造寺隆信のイメージ
2 龍造寺氏研究の問題点第一章 鎌倉・南北朝期の龍造寺氏
1 鎌倉期の龍造寺氏
2 南北朝期の龍造寺氏第二章 室町・戦国期の龍造寺氏――龍造寺家兼の実像
1 室町期の肥前と龍造寺氏
2 龍造寺家兼の実像
3 水ヶ江龍造寺家誅殺事件の真相第三章 龍造寺隆信の登場
1 龍造寺隆信の家督継承と内部抗争
2 隆信の勢力拡大と大友氏第四章 龍造寺隆信の勢力拡大
1 大友氏との抗争
2 龍造寺氏・大友氏の抗争の経過
3 龍造寺氏・大友氏の抗争で隆信は勝利したのか第五章 肥前における勢力基盤の確立
1 西肥前方面への侵攻
2 西肥前侵攻に成功した理由第六章 龍造寺氏による周辺諸国侵攻の実態
1 侵攻開始の理由
2 九州諸国への進出過程第七章 島原合戦と隆信の戦死
1 龍造寺氏をめぐる政治情勢
2 隆信の戦死
3 なぜ隆信は戦死したのか終 章 隆信死後の龍造寺氏
1 龍造寺家における鍋島直茂の台頭
2 鍋島氏への権力移行
3 龍造寺隆信の復権参考文献
あとがき
龍造寺隆信略年譜
人名索引
地名索引
とりあえず龍造寺・鍋島ファンにとっては必見ものでありましょう。
主な読みどころ、一般イメージと違うところ等を少し紹介いたしますと
- 昭和初期に龍造寺隆信絵葉書が販売されていた
- 龍造寺氏の系譜整理。鎌倉~南北朝を通じて、しっかり勝ち馬に乗ってますね
- 龍造寺家と大内家の親密化は隆信さん段階からではなく、家兼さん段階から始まっている。むしろ大内家への接近を受け、少弐氏による龍造寺家誅殺が生じた模様。馬場頼周さんの実際の関与度合いは不明
- 少弐氏への反撃主体は家兼さんではなく胤栄さんの模様。胤栄さんは村中龍造寺家家督。胤栄さんはほどなく死去した上に嗣子がいなかったため、水ヶ江龍造寺家の家督を継いだ隆信さんが村中龍造寺の家督も継承
- とはいえ隆信さんの家督継承もすんなりではなく、当初は鑑兼さんが家督を継承する流れだった模様。鑑兼さんは隆信さんの祖父の弟の孫。詳細は不明ながら隆信さんが家督争いを制したのは確か
- 有名な今山の戦いはやはり詳細不明であるし、一戦に限定せず大友氏との一連の抗争という全体構図のなかで理解すべきではあるが、この大友氏との抗争を経て鍋島直茂さんが頭角を現してくるのは事実なので、やはり伝承通り鍋島直茂さんが大活躍したと判断してよさそう
- 大友氏との一連の抗争について、大友氏の勝利とみなされる(肥前への所領宛行等から)こともあるが、抗争終結後にむしろ龍造寺家の勢力が急拡大しているので実態は隆信さんの勝利ではないか
- 肥前における勢力拡大をがっちり支える弟の長信さん。木材供給が以前から指摘されていましたが、長信さん配下は木材加工等の普請技術も優れていた模様
- 庄屋を通じた村々の支配についても触れられています
- 「五州二島の太守」は当時言われていないし実体としても正しくない
- 沖田畷という呼ばれ方は当時されていない。島原合戦というべき。島津氏の勝因として特筆すべきは島津氏の海軍力と、イエズス会による海上封鎖・砲撃等の支援
- 龍造寺隆信さん本人はキリスト教に敵対的ではなかったが、下蒲池氏を滅ぼしたことで、親キリストの大村氏や有馬氏も滅ぼされてしまう恐れをイエズス会が抱いたから龍造寺家に敵対した、という指摘
- 龍造寺家が鍋島家に変容していく中で、江戸時代を生き抜いた龍造寺諸家の動向一つひとつが興味深い
等々。
各論としてはこれまで各所で指摘されていた内容もありますが、こうやって一次史料ベース&一冊にまとまった本であらためて整理いただけるといいですね。
全体を通じた感想としては、「大友家による龍造寺包囲形成を防ぐために肥前での勢力拡大を急ぐ」「肥前で大きくなると、秋月氏や原田氏等、国外の諸勢力から様々頼りにされてしまうので東方面に進出していく(いかざるを得ない)」という背景があるにせよ、龍造寺家の成長・拡大スピードってやっぱりすごいな……という点。
大友氏との抗争後~島原合戦までのあいだ、生き急ぎ過ぎじゃない? 戦線拡大し過ぎじゃない? とヒヤヒヤしながら読み進める感じでした。「軍事に通じ甚だ機敏」という当時の評はまったくその通りやなと。
龍造寺以外だと、秋月種実さんの反大友勢力を巻き込む外政力、やっぱりたいしたものやなあ……と唸らされましたわ。
あと、しょうもない感想ですが、北九州を舞台に何度も「抗争」という言葉が頻出しますので、私のなかのドンケツ成分がなんとなく刺激された気がします。考えてみると龍造寺隆信さんと鍋島直茂さんの組み合わせはロケマサとチャカシンに通じるものがなくもなくもない。
大友氏、島津氏、そして龍造寺氏と、研究が蓄積されてきている気がいたしますね。
九州は他の時代の研究・コンテンツも人気ですけれども、戦国時代についてもますます盛り上がっていきますように。