201X、今度は里村紹巴さんが実装されていてかんたんしました。
↓リリース
〽 私は大和生まれ連歌育ち
強そうな大名はだいたい友達
いい笑顔、いいおでこ。
音符型の紋がかわいいですね。
スキルは「百韻柄取り」。
室町~戦国期の連歌は百句で構成されるのが基本でした。
一つひとつの句だけでなく、百句全体のバランスや出来栄えをプロデュースする力が連歌師には求められていたんですよ。
「柄」は連歌の「句柄」と、ならず者の「刀の柄」を取ったエピソードをかけているのでしょう。
ランダム1体×4回の攻撃、たまにクリティカルという仕様。
何度か試してみたところ、威力は0.55×4=2.2というところのようです。
クリティカルは30%くらいの頻度で出ましたので、期待値は2.2×1.3=2.86くらい?
十河一存さんとだいたい同じ倍率ではあります。
特性は「連歌至宝抄」、紹巴さんの記した連歌テキストが元ネタです。
のっけから「夫連歌は色々のむづかしき習御座候へ共第一御作意なき人の連哥はふしくれだち候て聞よからず候(適当意訳:連歌ってのは難しいもんだからイケてない人の歌はイカつくて聞けたもんじゃない)」と書いてはって初学者の心をへし折ってくださいますよ。
スキル効果と敏捷性が15%アップ、生命力最大時に30%の確率で即死回避というもの。
器用貧乏感が漂う内容だなあ。
ちなみに開眼特性は「禁邪の願・弐」、自分の状態異常ターンを15%短縮。
ざくっとしたキャラ批評としては、職業が薬師なので「溜め」ができないアタッカーということになります。
……うん。
「薬師only」とか「文化人only」みたいなステージがあれば一人で色々間に合いそうではありますので、武将枠に余裕があれば一人くらい育ててみてもいいかも……?
紹巴さんは戦国時代の連歌の第一人者のように扱われることが多いですね。
織田信長さん時代は信長さんにはそれほど重宝されなかったっぽいけれども毛利元就さんなど各地の諸大名と交流したり明智光秀さんと仲が良かったり。
豊臣秀吉さん時代になると連歌の巨匠として君臨していてときどき秀吉さんに睨まれるけどテヘペロしたら許してもらえていたような感じです。
三好家プロデュースで腕を上げて豊臣レーベルで活躍という意味では千利休さんとも似ているかもしれません。
師匠の里村昌休さんともども贔屓にしてくれていた三好長慶さんにはずいぶん懐いていたようで、「三好長慶殿が生きていたらなあ」みたいなコメントも残っています。
エピソード的に一番有名なのは、何といっても明智光秀さんとの「愛宕百韻」。
あの「ときは今 天が下しる 五月かな(光秀)」で始まるやつです。
本能寺の変直前に詠まれた連歌ということもあって、よく「光秀さんの野心なり使命感なりがこの連歌に籠められている……!」とか考察されることが多いんですけれども。
素直に愛宕百韻を鑑賞するようなコメントはあまり聞いたことがないので、せっかくですしおすすめの句を紹介させていただきます。
まずは紹巴さんと明智光秀さんの付合。
53:しほれしを重ね侘びたる小夜衣(紹巴)
54:おもひなれたる妻もへだたる(光秀)
素人意訳しますと、
「萎れた夜着を重ねて過ごす侘しい暮らしのことよ」と紹巴さんが詠んだところ、光秀さんは妻と過ごした牢人時代を思い出したのか「(苦しい日々を支えあった)心を許せる妻ももういなくなってしまった」と句を付けたイメージでしょうか。
逸話が正しければ、光秀さんの妻「煕子」さんは6年ほど前に亡くなっていますね。
侘び暮らしの前句を聴いて真っ先に「妻」というモチーフを連想した光秀さんの人柄。
本能寺の変の謎とかいったん置いておいて、まずは静かに偲びたいものであります。
ちなみに、この光秀さんの後は
55:浅からぬ文の数々よみぬらし(行祐)
と続きます。
この句も、光秀さんの歌友達が「(かつて妻から届いた)文を読み返して思い出に浸ってみてはいかがですか」といたわってくれているような響きがございますね。
愛宕百韻の中で紹巴さんの付けた句の中では、
75:宿とする木陰も花の散りつくし(昌叱)
76:山より山にうつる鶯(紹巴)
という箇所が好きです。
素人好みっぽいかもしれませんが、連歌全体の中でこの箇所がいちばん伸び伸びしているように思えるのです。
こうやって味わってみると連歌もなかなか面白いのですが、紹巴さん頃をピークにして連歌はゆったりと衰退の道を辿っていくことになります。
まずは松永久秀さんの縁者ともいわれる「松永貞徳」さんが紹巴さんの弟子から出て、連歌よりも少し力の抜けた「俳諧」がブームになっていきます。
江戸時代には松尾芭蕉さんなどが続々と現れ俳諧の人気は増すばかり。
形式的にも、句と句の繋がりを気にせず「発句」だけを取り上げるのが主流に。
従来スタイルの連歌は一部の上流階級の文化として細々と残っていくことになります。
連歌がすたれた理由はいろいろと思い浮かびます。
・時間がめっちゃかかる
・古歌を知っておかないとマウントされる風潮
・ルール(式目)を知っておかないとマウントされる風潮
・上位陣の歌がレベル高すぎて、新規ユーザーは心理的に参入ハードルが高まる
・他に楽しい娯楽が増えた(浮世絵、歌舞伎、文楽、仮名草子、園芸などなど……)
室町・戦国時代だと世相に連歌がフィットしていたんですけどね。
時間がめっちゃかかる(百韻なら丸一日は絶対にかかる)ということは、それだけ参加者の親密化を促進するということです。
室町時代なら分裂しがちな家中の結束を図ったり、武士・僧・商人といった多様な階層の人々を結びつけることができたり、有効な接待ツールだったと思うんですよ。
古歌を学ぶ……古今伝授に代表される解釈伝授ニーズや、ちゃんとした連歌ルールを覚えなきゃニーズだって、朝廷や中央政権の権威を保つのに貢献していたと思いますし。
体験型文化の茶の湯と違って、連歌は文書形式で内容をある程度知ることができるので遠方にお住まいの方も取っつきやすかったでしょうしね。
分裂時代だったからこそ結束力の強い連歌が重宝されたのでしょう。
そう思えば、里村紹巴さんたち連歌師もまた、戦国時代の安定化に一役買っていたと評してもよいのではないでしょうか。
連歌は現代ですたれていることもあって、資料もあまり出回っていない印象です。
室町時代や戦国時代の人気が高まっている今だからこそ、お求めやすい値段で有名武将の連歌集とかが出版されますように。
現代語訳や心境・人物像の解釈などで健全な議論が起こったりしたらいいな。