さいきんまた三好熱が高まってきたので、昔考えてはいたけど採用を見送ったプロットをひとつ書いてみることで排熱させていただきたいと思います。
歴史ファンの妄想、創作的なやつなのでそういうのが苦手な方はご留意ください。
かんたんいただけるような内容ではありませんしむしろ痛くて暗いです。
先に基軸をざっくり言うと、
実家の八上城に戻った三好長慶の先妻を松永久秀・長頼が殺めてしまい、松永兄弟が闇堕ちするというストーリー。
近頃は松永久秀忠臣説がじわり注目されてきていますが、201Xなんかで採用されているような忠臣でもあり梟雄でもある松永久秀像も面白いですよね。
そういうのを狙って、「もともとは三好長慶の忠臣だったんだけれど、ある事件を境目に梟雄の道を歩き始める松永久秀」みたいなのもいいかなあと考えたんですよ。
弘治三年(1557年)頃のこと。
三好長慶さんは先妻(波多野稙通さんの娘、三好義興さんの母)と別れて10年近く。
松永久秀・長頼兄弟は彼女の実家である八上城を攻め落とし、丹波を三好家の勢力下に組み込もうとしておりました。
三好家は丹波制圧に何度も失敗しており、この度の攻撃は三好政権のメンツがかかった相当激しいものになっていたことかと思います。
この頃に松永兄弟が八上城を落としたのは史実であります。
一方、三好長慶さんの女性関係は史料がとことん残っていないことに定評があり。
この離縁して波多野家に帰ったはずの先妻さんがその後どんな人生を送ったのかは何も分かっておりません。
ただ、長慶さんがその後義興さん以外の子どもを得た様子がないこと(三好家は基本的に子だくさんな人が多いのに)、遊佐長教さんの娘を後妻にもらったはずがその後妻の記録もまったく残っていないことなどを思えば、長慶さんの方は先妻のことをその後も引きずっていたんじゃねと思えなくもなく。
再婚とか出家とかしてはる可能性はあるものの、自然に考えれば、松永兄弟が八上城を何度も攻撃している間、長慶さんや義興さんがいまも心を寄せているであろう先妻さんが、まさに敵側で一緒に籠城していたのではないかなあと考えられる訳であります。
これは攻めづらいですね。
だからこそ三好家は何度も八上城攻めに失敗してたんだったりして。
それでも、松永兄弟の奮戦により、とうとう八上城最後の日は訪れ。
燃え盛る城の中、長慶先妻さんを救出に向かう松永兄弟。
だが、彼女は侍女か誰かを出火から守ろうとして、顔や身体に重い火傷を負っており。
このような姿で、敗軍の虜囚としてかつての夫の前に現れることを潔しとせず……。
「あの人には、あたしのみにくい姿を見せたくありません。
久秀、長頼、あの人に伝えて。
来世でまたお会いしましょう。
さようなら、あたしの今生を苦いものに変えた人……あたしの大事な人……
(千熊丸……母を許せよ……)」
的な某ゲーム丸パクリのセリフを残して自害するのであります。
遂に丹波を落としたとはいえ、こうなっては松永兄弟の面目はありません。
「存念あってのことではないとはいえ、それがしには松永殿の失態を受け容れられぬ」
石成友通
「殿はいたくご落胆の様子(これは、わしにお目をかけていただく好機かのう)」
「あのへつらい野郎はよう、いつかこんなことをしでかすと思っていたぜ」
安宅冬康
「丹波制圧の大功を思えば、いささか気の毒ではあるが……」
「……(超怖い顔)」
みたいな家中の世論が盛り上がっていき、針の筵に座るかのようです。
実際、主君の落ち込みようは松永兄弟の想像以上でございました。
「よい……もう、よいのだ。ご苦労だったな……」
(精神崩壊フラグon、政治離れフラグon)
「許せねえ、久秀も、長頼も、波多野も、細川も、こんな乱世も。
許せねえ、こんな世の中をつくった大人たちを。
許せねえ、何より、自分自身を許せねえ」
(生き急ぎフラグon)
ずうっと長慶父子の忠臣として生きてきた松永兄弟にとって、これは何よりつらい。
弟の松永長頼さんは、これ以降めっきり士気が下がり、朝倉家や赤井直正さんとの戦で劣勢になっていくのでした。
(敗死フラグon)
そして兄の松永久秀さんは……悔恨、苦悩の果てに……
「殿……
殿は、政に私情は挟まへんって言ってたやんか……
あれは嘘やったんでっか……
どんな不幸に遭ってでも、民のために天下静謐を優先するんやって……」
「わいが仕えてるんは……あの頃の殿や」
「そんなに妻に会いたいんやったら、そんなに家族みんなで過ごしたいんなら。
その願い、叶えさせてもらいまっさ。
それがわいの……最後の奉公や」
(三好一族毒殺フラグon)
みたいな闇への堕ち方をする訳ですね。
こんなことをあれこれ考え、地味に史実とのフィット感が高かったこともあり、意外とアリかなあと思い。
「独立の動きを見せ始めた松永久秀を直臣とし、三好の分断を図るも一手か」
篠原長房&三好康長
「畿内が揺れている。いまこそ我らが前に出る時だとは思いませんか」
「お前はそういうことを口に出すのがよくない」
みたいな関係者の思惑も浮かんでいたのですが。
冷静になってみると
- ただでさえ暗い三好家物語がますます暗くなる
- 某ゲーム丸パクリのセリフを採用するのもさすがに抵抗がある
- よく考えたら羽柴秀吉さんとお市さんの物語にも似ているぞ
- それに長慶先妻さんにはもっと伸び伸び生きていてほしい
- ていうか波多野晴通さんは八上城落城時、普通に逃げ延びてるしなあ
などなど見送り要素がたくさん出てきて、結局書かなかったんですよね。
言い方を変えれば、書く勇気がなかったというか。
創作作品としては、とことん救いのない話にした方がいいのかもしれませんけど……。
松永久秀さんの多面性、前半生と後半生の印象の違いなどを受けて、久しぶりにこんな妄想を思い出したよ、という話でした。
陰謀論のときも思いましたけど、歴史ってのはいくらでも解釈を生み出せるコンテンツですね。
頭の体操、あるいは暇つぶしとしてはとてもいいかもです。
そのうちプロの作家さんとかが新たな三好松永解釈を生み出してくださいますように。
河内畠山ものとか波多野ものとか足利義晴ものとか細川高国ものとかも読みたいなあ。