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短編小説「松山新介重治 一万貫の夢 5/5 三好長逸 うたかたを往く」

 

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短編小説「松山新介重治 一万貫の夢 4/5 井の内の蛙 大海を往く」 - 肝胆ブログ

短編小説「松山新介重治 一万貫の夢 あとがき」 - 肝胆ブログ

 

 

 

三好長逸の生涯は、三好長慶の志を実現するためだけに費やされてきた。

三好長慶が生きていた頃は片腕として戦に政にと腕を振るい。

三好長慶の死後は彼が遺した三好家を担い、若き後継者三好義継を支えようとした。

「後から気づいたよ。それがしは、自分より優れた主君に仕えたことしかなかった。主君の命を遂行することだけが取り柄だった。何もご存じない主君と、主君の導き方を知らぬ家臣。上手くいくはずもない」

長逸と義継はほどなく手切れし、義継は松永久秀のもとへ。長逸は阿波の篠原長房と組んで。三好家の無益な内乱がずっと続いた。そのうち足利義昭織田信長の上洛が始まり、朋輩の多くを失った。

「悔いているのかい?」

新介と長逸は舳先で語らっていた。海賊衆や鯰江・蛙介は二人の間柄に遠慮して距離を取っている。

「悔いていた」

「つらかったろうな」

「つらかった。殿の築かれたものが次々と崩れていく。守るどころか、自らの手で壊していたのだ」

「察するぜ」

侍たちは“一期は夢よ、夢幻よ”と唄いあう。心底から現世を夢幻と思っているのではない。夢幻と信じたくなるほどにこの世が切ないのだ、儚いのだ。

「だが、それももうじき終わる」

「たいしたもんだよ。よくも三好家の連中を再び集めてみせたもんだ」

「お前は戻ってきてくれなかったがな」

「よせやい」

二人して笑う。新介が戻るとは長逸も思っていなかったに違いない。それでも長逸は新介に声をかけたし、誘われた新介も長逸の意気は感じた。

「“形”だけの三好家と思っているのだろう」

「ああ。本願寺を巻き込んだのも気に入らねえ」

「三好家が蘇ったのだと言っても、殿も若殿もいない。殿のご兄弟もいない。……宗渭も逝ってしまった。“三人衆”などと呼ばせてみたのも“形”が立っていたのかもしれぬ。……だが」

「だが?」

「これこそ殿の御遺志に叶っている気がしてな」

雲が流れて月明りを閉ざす。長逸の顔に深い闇が差し、表情が読み取れなくなった。

「ちょっと何言ってるか分からないな」

「殿はお亡くなりになる前、それがしや久秀、長房に“思うようにやれ”とおっしゃった。“力を合わせて三好を守れ”とはおっしゃらなかった。……今にして思えば、こうなることが殿には見えていたのではないか」

「…………」

「応仁の大乱から百年。殿であれば“天下を担うなら本気で担え。担えないなら疾く失せよ”とおっしゃる。そんな気がするのだ」

突拍子もないことを長逸が言い出した、とまでは新介も思えなかった。確かに三好長慶であれば、民より己のお家を大事にしたり、公方や管領家の如く何十年も内乱で世間に迷惑をかけたりはするまい。

「それで、分かりやすく三好の一党をまとめあげて、公方や信長に勝つなら勝つでよし、負けるなら負けるで皆できれいサッパリ消えたらいいって考えてるのかい?」

「いかにも」

星明かりが失せて闇は一層濃く。瞳の位置を正確には掴めぬまま、長逸と新介は見つめ合った。

――そして、大声で笑った。

「フフフ、フッフフフ。面白いな長逸さん。あんた、いますごく殿っぽいぜ」

「それは嬉しい。心から」

生涯を三好長慶に捧げた男に、三好長慶の精神が宿る。そんな奇跡があってもいいではないか。

「しかも、もう長くないんだろ?」

「分かるか」

「分かるさ。肝心なときにいなくなっちまう、そんなとこまで殿に似なくってもよ」

「先が見えてくると、お前の唄が無性に聴きたくなってな。……最後にひとつ、頼まれてくれるか」

「いいだろう」

「この船に積み荷をひとつ預けてある。新介に任せたい」

「よく分からんが、承知した」

雲間から星明りが差して長逸の口元を照らした。にっこりと笑っている。

「いい夢だった。礼を言う」

舳先に向かって後ろ歩きに長逸が進み、そのまま――背中から海に落ちていった。

トプンと小さな音が聞こえたほか、漆黒の海面にはもはや何も見当たらない。

異変に気付いた海賊衆や鯰江・蛙介が途端に騒ぎ出した。

「な、なんだぁ。三好長逸、海に落ちたのか? こんなの、秀吉様に何と伝えたら」

「見たままを言えばいい……“生死を問えず”だ。一万貫も水の泡だな」

 

蛙介は海賊衆とともに淡路へ戻って後始末、新介と鯰江はそのまま堺の港に下船した。

蜂屋に向かって歩き始めたところ、いつぞやの若侍たち五人が二人を囲む。

「ここで会ったが百年目! 松山新介、先日の借りを――」

言い終わらぬうちに、鯰江が一人、二人、三人と張り飛ばし、逃げようとする残り二人を追いかけていった。この旅では全然活躍できず、手柄も立てられず。鯰江は鯰江でうっぷんが溜まっていたのかもしれない。

ふと往来の酒屋を覗いてみると、あの津田自由斎が昼間っから呑んでいる。

「よぉぉ自由さん、奇遇だねえ。一緒にやろうや」

「貴様、とことん自由だな!」

「新ちゃんでいいさ、知らぬ仲じゃないんだし」

「ふん、次は負けん!」

言いつつ、酒を注ぎ合う。いつもより幾分強めの陽ざしが、酒を温めてくれた。