肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「葉山嘉樹短篇集 感想 プロレタリアというより悲惨な庶民文学という印象」葉山嘉樹さん(岩波文庫)

 

画太郎先生の蟹工船がめちゃくちゃ面白くてかんたんしたので、最近読んでかんたんしたプロレタリア小説「葉山嘉樹短篇集」の感想を。

 

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葉山嘉樹さんは初期プロレタリア文学を代表する方ということで名前だけは知ってはいたのですが、プロレタリア文学って真面目で重苦しい雰囲気があり進んで手には取っていなかったところ、「葉山嘉樹はそういうのとは違う面白さがある」という話を聞いて読んでみたら本当に面白かった次第です。

 

プロレタリアというと労働者の団結、労働組合最高、打倒資本家……的なじゃっかん時代がかったものを感じますけど、葉山嘉樹さんはどちらかというと困窮した庶民そのものに焦点を当てている感じがあり、そういう点では時代を超えた普遍性があるような感じがしましたね。

 

葉山嘉樹(1894―1945)は、長篇『海に生くる人々』で知られているが、短篇小説でその本領を発揮した。葉山は虐げられた弱者、庶民、労働者を丹念に描き続けた。そこには、当時の日本文学が掬い切れなかった人間の破滅への衝動、思索的な内面性、文体・表現の斬新さ…、まったく独自の世界がある。 全短篇から、新編集により精選。葉山文学の真面目が初めて立ち上がる。

 

セメント樽の中の手紙
淫売婦
労働者の居ない船
天の怒声
電燈の油
人間肥料
暗い出生
猫の踊り
人間の値段
窮 鼠
裸の命
安ホテルの一日

注 解
解 説……………道籏泰三
略年譜

 

「葉山は虐げられた弱者、庶民、労働者を丹念に描き続けた。そこには、当時の日本文学が掬い切れなかった人間の破滅への衝動、思索的な内面性、文体・表現の斬新さ…、まったく独自の世界がある。」という説明がぴったり。

 

そういう意味で、プロレタリア文学というよりは弱者文学といった方がいいんじゃないかなとも思いますね。

 

 

石と一緒にクラッシャーの中に嵌った男性の話。

私の恋人の一切はセメントになってしまいました。

この樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとう御座います。

 

 

独特な労働者・資本家観。

プロレタリアは「鰹節」だ。とブルジョアジーは考えている。

プロレタリアは、「俺達は人間」だ。「鰹節」じゃない。削って、出汁にして、食われて失くなってしまわねばならない、なんて法はない。と考える。

 

 

前科者でどこでも雇ってもらえない男。

俺たちは娑婆でまともに生きようとすると飢え死にしなけりゃならん。だが娑婆を荒す積りなら飢え死にしないで済む。

 

 

万引きして捕まった留置場で子どもを産んだ母親。

彼女はこのような屈辱の中で産み落とされた子供に対する愛と呪いとの錯雑した感情の中に自分を浸していた。

「何故こんなところでこの子は生れたのか、私はそのことをこの子が大きくなったら話して聞せよう」

 

 

ボロボロの集合住宅の家賃すら払えず立ち退きさせられそうになって。

「子供や、死にかけた病人というものは、何も知らないんだよ。「権利」なんてものはね。自分の生きる権利も知らなければ、追い出される「権利」ってものも知らないんだよ。ただ、生きてるだけなんだよ」

 

 

困窮している中で長々と演説する男。

「えらくなる」ということは、人間の心臓というモーターに投げ込まれた、砂利だ。そいつは、人間を焼き切ってしまうんだ。えらくなる、ということは自分を見失うことなんだ。他人と一緒に自分まで、自分を見失ってしまうことなんだ。

「金持ちになれないから死ぬ」「保険金を取って家族を救うために死ぬ」「文士になれそうもないから死ぬ」「総理大臣になれないから死ぬ」

みな「偉さ」の青酸加里で殺されたのだ。

 

 

等々、ねじれた腸から搾り出たようなセリフが多くて、いまも変わらぬ庶民の暮らしに響くものがございます。

 

こういう文学はいいですね。

「団結しよう」「打倒しよう」みたいなメッセージ性がなくて、「つらい」「苦しい」「みじめでならない」みたいな感情があふれているやつ。

 

共感できる人は多いと思います。

 

 

清貧を愛しつつ、実際は貧しくはないという人が少しでも増えていきますように。