たいへん寒くなってまいりました折、めっちゃ寒くてめっちゃ面白い小説に出会えてかんたんしました。
1962年の暮、全世界は驚きと感動で、この小説に目をみはった。当時作者は中学校の田舎教師であったが、その文学的完成度はもちろん、ソ連社会の現実をも深く認識させるものであったからである。スターリン暗黒時代の悲惨きわまる強制収容所の一日を初めてリアルに、しかも時には温もりをこめて描き、酷寒(マローズ)に閉ざされていたソヴェト文学界にロシア文学の伝統をよみがえらせた芸術作品。
発刊当時は世界中にセンセーショナルを与えたそうな。
スターリン時代の体制批判に直結する内容だけに、出版社がフルシチョフ首相に直接面会して「面白いから発表していいっすか?」と直談判したというエピソードも今となっては超ウケますが、当時を知る者からしたら聞いているだけで怖気がするようなまさしく命がけの勇気あるエピソードでありましょう。
ざっくりした内容は、スターリン時代に元兵士のイワン・デニーソヴィチ・シューホフさんが強制収容所にぶち込まれておりまして、その一日の流れを順を追って描写していく、というだけのもの。
反乱が起きたり革命が勃発したりはせず、本当に朝起きてから夜眠るまでを粛々と描写していくだけなのです。
でも、それがいちいちすんごい面白いの。
別にギャグ描写があるとかじゃないんですよ。
極寒の収容所内外で、囚人たちが乏しい物資をなんとか隠し持とうとしたり、強制労働をさぼれないか画策したり、強制労働をやり始めたらやり始めたで熱が入って一所懸命働いてしまったり、極寒のなかで一刻も早く収容所に帰ろうと急いだりするだけの内容なんですけれども。
これが何とも言えない面白さがあるんですわ。
何が面白いって、登場人物一人ひとりのキャラがすごい立っていて、描写の一つひとつがすんごいリアルなんですよね。
とっことん写実的。
ソ連の囚人なんて実際に会ったこともないんだけれど、登場人物たちの描写に血肉が通いまくっていて、「こんなやついる」「学校や勤め先等の団体生活でこういうことが起きる」というのがめちゃくちゃ実感できるの。これは万国共通の人間らしさだと思うので、そりゃ世界中で絶賛される作品だわというのも納得。
活き活きとした人間を描けていればそれはもうどんなジャンルでも一流の作品だと思っていますので、これほど共感できる人間の様を見せつけられるとなんだか嬉しくなってまいります。
日本にもいくつかの傑作と言われる刑務所系の小説や漫画がありますし、似たようなジャンルだと吉村昭さんの漂流ものなんかもありますが、物資も自由も著しく制限された快適さのかけらもない極限状態においても、人間ってちょっとしたことに楽しみややりがいや競争心を抱いたり、ちょっとしたトラブルや喜びがあったり、変わらぬ日々のようで最終的には何らかの変化があったり(死を含む)。
人間の人間らしさ、人間の魅力を描くうえで、こうした極限の環境ってのはある意味で豊饒な舞台なのかもしれませんね。
ちなみに、主人公のイワン・デニーソヴィチ・シューホフさんは特に悪いことをしたわけではなく、第二次大戦中に敵兵につかまってしまっただけで「祖国への裏切り」とみなされたからです。他の囚人も似たり寄ったり。
書類によるとシューホフの罪は祖国への裏切りということになっている。いや、彼はそう自白までしたのだ。つまり、自分は祖国を裏切るために、捕虜となり、ドイツ諜報部の任務を遂行して、帰還を許された者である、と。もっとも、それがどんな「任務」であったのかは、シューホフ自身はもちろん、取調官も思いつかなかった。そのために、ただ「任務」ということになったのだ。
よくこんな作品をソ連体制下で発表できたものです。リアルそのものすぎて発禁されてもおかしくないのに。
他にも、いくつか好きな文章を紹介。
囚人の物思いなんて――とてもそんな気楽なものじゃない。いつもなにか考えては、堂々めぐりをやってるようなものだ。マットレスにかくしたパンは見つからないだろうか? 今晩、医務室で作業免除になれるかな? 中佐はぶちこまれるかどうか? それにしても、ツェーザリはどうやってあんなあたたかそうなシャツを手にいれたんだろう? きっと、私物保管倉庫でうまいことやりやがったんだろう。よくまああんなものが?
悲惨な収容所生活やなあと思いますが、よく考えなおすと多くの学生や社会人もそんなに変わらないことに気づいて唸らされます。しょうもないことを考えては堂々めぐり。
「畜生っ、やっと終ったか!」と、センカが叫んだ。「さあ、いこう!」
モッコをかつぐと、タラップをおりていった。
しかし、シューホフは、たとえいま護送兵に犬をけしかけられたとしても、ちょっとうしろへさがって、仕事の出来ばえを一目眺めずにはいられなかった。うむ、悪くない。今度は壁へ近づいて、右から左へと、壁の線をたしかめる。さあ、この片目が、水準器だ! ぴったりだ! まだこの腕も老いぼれちゃいないな。
そこではじめて、タラップをかけおりた。
ふだんは仕事をさぼりたがっているのに、ひょんなことで壁修理の労働に熱を入れてしまう囚人たち。早く帰りたいはずなのに、早く集合しないとシバかれるのに、ついつい労働の成果を眺めて悦に入ってしまう主人公。こういう気持ち、囚人じゃなくてもみんな分かりますよね。
引用はしませんが、ラストシーンもすごい好きなの。
極寒な収容所の一日がようやく終わる中、「人間ってスゲェだろ!」「これが幸福だ!」というのをアチアチ火の玉ドストレートでぶち込んでくれて、人間の生命力への賛歌を歌い上げらんばかり。
未読の方はぜひご一読くださいませ。
まったく色あせない作品ですので、今後も多くの読者に読み継がれていきますように。