行ったことがなかった大分県・熊本県の境目界隈をドライブしまして、立ち寄った岡城のスケールや石垣の素晴らしさにかんたんしました。
遺構は基本的に藩主中川家による造作だと思いますので、摂津国衆の後裔がこの地でこんなに素晴らしいお城を残したんだなあと思うと感慨深いものがあります。
人気がじわり高まってきている気がする志賀親善(親次)さんが島津家の猛攻から防ぎ切ったことでも知られるお城でありますが、当時の建築がどのようなものであったかは分からないにせよ、立地面だけでもこのお城を攻めるのは甚だ難儀だったことでしょう。
豊後と肥後の境目界隈を守るお城であり、阿蘇の火砕流でできた岩山の上に建っているということのようです。
土産物屋さんと、お城が建っている岩山との高低差がいきなりすごい。
近世城郭のたたずまいでなかったにせよ、こんな天然の切岸みたいな断崖絶壁の上に士気の高い兵が籠られたら力攻めで落とすのは困難としか思えません。
鹿児島県から歩いてここまで来て、この岩山を見上げたときの気持ちを100文字で答えなさい。という問題が頭に浮かびました。この城を実際に攻めまくったという島津の皆さまもすごいわ。
お城の雰囲気はこんな感じです。
こういう山城×石垣の雰囲気、いいですよねえ。
瀧廉太郎さんが少年時代に散歩して、荒城の月のモチーフになったという逸話も素敵。
城主の銅像などもおっと思いますし、ゆかりある芸術家や文人の銅像や石碑があるのもおっと思いますね。
眺めも最高です。
そんな岡城のなかでも特に目を引かれるのが石垣です。
わたし、お城めぐりは立地や雰囲気を味わえればいい派なので石垣とかの技術的なお話はそんなに詳しくないのですけど、
積み方に個性があったり、
西欧の中世城郭、あるいはファミコン時代のクッパ城みたいに、上のフチがデコボコになっていたり
カマボコみたいな形の石が通路に沿って飾られていたり、
独特の美的センスを感じるのですよ。
中川秀成さんのセンスなんでしょうか? もともと摂津国衆は築城能力の高さで知られていたのですから、江戸時代まで生き残ることさえできればこうしたイケてる城を築ける素養自体はふんだんにあったのかもしれませんね。
これだけの壮麗な遺構を保持していただくこと自体がハードル高いと思いますけれど、これからも岡城にリスペクトと注目が集まり、観光客数と保全の両立が図られていきますように。