昭和の名文家花田清輝さんの歴史エッセイを読んでいたら、三好長慶さんの連歌が異常に高く評価されていてかんたんしました。
その評価視点が個人的に解釈一致なのでとても嬉しいです。
花田清輝さんは卓越した文章力で有名な方で、教科書とか大学受験問題とかでも時々題材に使われているような気がいたしますね。
「日本のルネッサンス人」はそんな彼が日本の中世~近世、あるいは近世~近代の転換期をテーマにエッセイを執筆したものです。
ここでいうルネッサンスは古典の再生や復興ではなく、自立する民衆ですとか転換期の自覚ですとか個人性の獲得ですとかを指すニュアンスなのでありましょう。
昭和50年の作品なので、当時の史実認識や視点(階級的なノリとか)や言葉遣いはちょいちょい気になる点もございますが、それを割り引いても文芸的な意味での文章力はさすがのクオリティでして、現代から見てもなお一級の歴史読み物と評してもいいんじゃないかと思いました。
収められているエッセイと題材は次のとおりです。
- 眼下の眺め(洛中洛外図と狩野永徳さん)
- 本阿弥系図(本阿弥光悦さん)
- 琵琶湖の鮒(伊勢貞親さん)
- カラスとサギ(一条兼良さん)
- 小京都(一条教房さん)
- 悪女伝(日野富子さん)
- ナマズ考(如拙さん)
- 古沼抄(三好長慶さんと連歌)
- 利休好み(南坊宗啓さんと南坊録偽書説)
- まま子の問題(吉田光由さんと塵劫記)
- 陵王の曲(斎藤妙椿さん)
- 曲玉転々(小川弘光さんと赤松家再興)
- 石山怪談(石山退去録の盛りっぷり)
- 舞の本(織田信長さんと幸若舞)
- 金銭記(佐藤信淵さんと清良記等)
- 赤ん坊屋敷(長谷川平蔵と石川島人足寄場)
- **志願(車善七さん)※タイトルを伏字にします
- 金いろの雲(再び洛中洛外図と狩野永徳さん)
室町時代から江戸時代まで、実に充実したラインナップですね。
「本阿弥系図」では天文法華の乱に際して本阿弥一族が京都の町衆として比叡山と戦ったようなお話が入っていたり、
「曲玉転々」では謎めく後南朝からの勾玉奪還作戦が描かれていたり、
幻の後南朝小説「吉野葛」谷崎潤一郎さん(青空文庫) - 肝胆ブログ
「石山怪談」では石山本願寺籠城戦での奇跡の数々を「講談の原型」として、歴史記録としてはアレだけど文学として高く評価していたり、
文中に、この「あら不思議なるかな。」もしくば、「有難や不思議なるかな。」が出てくれば、きまってそのあとに、超自然的な出来事のかずかずが物語られる仕組みになっているのだ。
「赤ん坊屋敷」では途中から池波正太郎さんの鬼平犯科帳超面白いよね自分はこの場面こう解釈してるんだよねと、ただの鬼平犯科帳ファントークになりかけていたり、
「眼下の眺め」「金いろの雲」では、洛中洛外図はどうしても発注者誰だろうやこの人物誰だろうみたいな話になりがちだけど、それよりも楽しそうな民衆や、京の町を覆う金色の雲が超イケてるよね、という素敵な鑑賞レポになっていたり。
上杉家蔵の洛中洛外図のなかで、なんといっても、いちばん、目立つのは、無数のバラック建ての町屋と、そのまわりにむらがっている「町衆」をはじめとする、種々雑多な、芽ばえの形における市民たちのはつらつとしたすがたである。ということは、初期の洛中洛外図の画家たちの同情が、かれらのパトロンだった公家や武家よりも、いわんや南蛮人などよりも、はるかに当時の市民たちにたいしてそそがれていたことのあらわれであるとみることができる。
読み手の関心に応じて、さまざま楽しめる良い本だと思います。
私の場合は、「カラスとサギ」という一条兼良さんや応仁の乱や足軽のアナーキーさを題材にしたエッセイの末尾で、突然
いまは、ただ、たまたま、わたしの記憶の底からよみがえってきた一句を、左にかきつけておくにとどめよう。
古沼の浅き方より野となりて
と、三好長慶さんの有名エピソードが引用されたので超驚いたんですよね。
マジか、と思っていたら、その後で「古沼抄」という章が出てきて、
宗養だったか、紹巴だったか忘れたが、誰かが、「すすきにまじる芦の一むら」とよんだあと、一同がつけなやんでいると、長慶が、「古沼の浅き方より野となりて」とつけて、一同の称賛を博した。(『三好別記』『常山紀談』)
中世の暮れ方から近世の夜明けまでを生きた三好長慶は、右の一句によって、かれの生きていた転形期の様相を、はっきりと見きわめていたことを示した。かれ自身が、古沼の芦の一味だったか、野のすすきの一党だったかは、このさい、問題ではない。「古沼の浅きかたより野となりて」――おもうに、時代というものは、そんなふうに徐々に移り変わって行くものではなかろうか。そして、転形期を生きた人々は、多かれ少なかれ、いずれも、「すすきにまじる芦の一むら」といったような――あるいはまた、「芦間にまじるすすき一むら」といったような違和感にたえずなやまされていたのではあるまいか。それかあらぬか、わたしには、「古池やかわずとびこむ水の音」という芭蕉の一句よりも、「古沼の浅きかたより野となりて」という長慶の一句のほうが、はるかにスケールが大きいような気がしてならないのだ。
と絶賛し始めましたからね、これはもう衝撃のエクスタシーですよ。
ほんまびっくりしました。
まあ、冷静に考えると、三好長慶さんはこの昭和時点では俗説まみれですし、この一句もソースが若干怪しいので本当に長慶さんが詠んだのか確証持てないですし、単に花田清輝さんの歴史観とこの一句がたまたまマッチしただけで長慶さんそのものには別に深い関心を持っていなかったんじゃないかと思わなくもないんですけど。
(このエッセイはこの後、そもそも連歌ってすごいよね、という話になっていって三好長慶さんの話は掘り下げられません)
それでもなお、さいきんの研究も踏まえた三好長慶さんの事績、古沼が野っ原に干上がっていくように中世畿内をじわじわ変えていったような姿に、この一句、この花田清輝評はとてもハマっていると感じます。
本人が詠んだのか、後から誰かが創作したのかは分かりませんが、この一句は長慶さんの生涯に実際よく似合うと思うんですよね。当時の飯盛城の眼下には深野池が広がっていた訳ですし。
こういう、現代になってから誰かが評し始めそうな文章を、昭和50年の時点で予言のように書き残しておられるってえのはごっついことだなあとかんたんいたしました。
こういう慧眼っぷりをたまに見つけられるから、少し昔の文章を読むのは楽しい。
かつて名文と呼ばれた書籍が、なかなか流通に乗らなくなっていくのは仕方ないことではありますけれども、電子版含め復刊や再刊、再評価、ルネッサンスが定期的に起こって次の世代に知恵が繋がっていきますように。
そんなこんなで大晦日ですね。
コロナとかいろいろありましたが、今年もおおきくは良い一年でした。
皆さま方におかれましても、事故なく怪我なく喧嘩なく、良い新年をお迎えになられますように。