肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「三井大坂両替店 感想 デキる経営は今も昔もそう変わらない」萬代悠さん(中公新書)

 

江戸時代の三井大坂両替店……現代でいえば銀行……の経営っぷりを一次史料ベースで丹念に読み解いた書籍が出ておりまして、その面白さ、時代の社会環境のなかでベストを尽くす経営っぷりの現代と変わらぬ創意工夫にかんたんしました。

 

現代人が過去に転生して現代知識で無双する系のお話も面白いものですが、あらためて事実を冷静に見つめると過去の時代の人々もたいがい賢いので、例えば現代の一流バンカーが江戸時代に転移したとしても三井や鴻池を凌駕するような成功を一代で収められるかというとそれは難しいのではないでしょうか。

そういうリアリティを得るという点で、歴史ものの創作をする人にもインプットいただきたい書物であります。

 

 

www.chuko.co.jp

 

 

元禄四年(一六九一)に三井高利が開設した三井大坂両替店。当初の業務は江戸幕府に委託された送金だったが、その役得を活かし民間相手の金貸しとして成長する。本書は、三井の膨大な史料から信用調査の技術と法制度を利用した工夫を読み解く。そこからは三井の経営手法のみならず、当時の社会風俗や人々の倫理観がみえてくる。三井はいかにして栄え、日本初の民間銀行創業へと繋げたか。新たな視点で金融史を捉え直す。

 

 

この本は目次を見た方が関心が得られる気がしますので、章レベルの目次紹介を。

  • 第1章 事業概要
  • 第2章 組織と人事
  • 第3章 信用調査の方法と技術
  • 第4章 顧客たちの悲喜こもごも
  • 第5章 データで読み解く信用調査と成約数

 

 

その上で、各章のさっくりした概要と感想を書いてまいります。

 

 

第1章 事業概要

三井全体および三井大坂両替店の事業概要、それに加えて三井大坂両替店の主力事業である貸付方法について説明いただける章です。

三井は幕府公金を大坂から江戸に為替で送金する御用をおおせつかっており、その公金を、江戸に送金する前に近隣の商人に貸し付けてサヤを稼いでいたとのこと。しかも元が公金なので、焦げ付いた際は裁判所(奉行所)が最優先で債権保護してくれたとのこと。なんという特権……!

 

現代の某国や某国もそうですが、時代環境としてお上の力が強い状況下ですので、お上と合法的に上手く結びつくことが重視されるのは当然なのでありましょう。

融資という事業柄、債券焦げ付き時の優先保護までメリットを享受できていたというのはうらやましいを通り越して感心してしまいますね。

 

なお、特権といってもお上と結びつきすぎたら結びつきすぎたで理不尽に献金させられたり借金を減免させられたりと苦労も多いようです。社会全体の飢饉や不況も現代より激しい中、どれだけ工夫しても仕組みをつくっても、金融事業の本願である「安定経営」は至難の業だったことも分かります。

 

 

第2章 組織と人事

一転して、店舗の立地、従業員(奉公人)の昇進・報酬体系、福利厚生等々について述べていただける章になります。

江戸時代の企業(商店)経営の内実に興味がある方、男性中心の組織を経営する方などにとっては興味深い章ではないかと思います。

 

興味深かったのは、江戸時代の時点で、三井のような大手は「年功序列」の萌芽のような制度が見られたという事。とりわけ、現代もそういう企業がまだまだ多い状況かと思いますが、入社後しばらくは給与を抑えて、ある程度偉くなると急に給与が上がっていく的な賃金カーブを設けていたこと。

要するにデキる人には長く務めてもらいたいけど、向いていない人は給与が低いうちに出ていってもらいたい。そういう極めて実態的な仕組みを当時の人も設けていたんやなあと。

 

他にも、従業員による横領発生に注意を払っていたり、時代性もあって会社が提携して「指定風俗店」みたいな福利厚生を整えていたりと、目を引くような事例も多数紹介されていますよ。

 

 

第3章 信用調査の方法と技術

実際の融資判断にあたって、相手方の信用情報をどのように調査していたかという章です。実際的でとても面白い章になります。

お客様へのヒアリングに始まり、人柄や世間評判、財産、親類縁者の情報、商売の盛衰、担保となる不動産や商品の市場価格等々を調査。不動産の目利きパートについては、大阪市内に土地勘がある方はいっそう興味深く読み進められることでしょう。

 

シンプルに当時のコメントが面白いので、いくつか引用します。

若手従業員による上司への報告書になります。

「右の[顧客について]聴き合わせましたところ、まず相応にございます。いまだ[顧客の担保物については]家賃に差し入れておらず、しかしながら取り組み[契約]のことはしっかりと御勘考ください。右あらまし承りましたまま写しおくものです。九月十二日、[松野]喜三郎」

 

安政三年(一八五六)、谷町三丁目(上町)の家屋敷。

谷町筋西側であれば随分よろしくありますが、東側は京橋中屋敷(大坂定番の武家屋敷)の裏手にあたり、家を建てたとしても、〔京橋中屋敷の〕屋敷内〔の住人〕が、しばしば〔こちらを〕見下げてきたとか、覗いてきたとか申し、たびたび強請りがましき(迷惑料をねだるような)ことを申すので、右の近辺については多分に裏手が明地でございます

 

不動産は今も昔も、立地や近隣住民特性が大事ですねえ……

 

 

第4章 顧客たちの悲喜こもごも

他人事として聞いている分にはいちばん面白い章かも知れません。三井の記録に残る、特徴的なお客様たちのあれこれ。

 

たくさんあるので、1つだけ紹介します。他の数々の事例・詳細についてはぜひ本著でご覧になってください。

右〔金田屋徳兵衛について手代が〕聞き合わせましたところ、さして変わることはございませんが、近頃は少し素行が悪いとのことにて、遊所通いも大分度を超えた様子にございますので、いろいろと親類方から〔徳兵衛に〕異見(説教)を加え、すでに一頃(一時)には幼い息子に名前(家長)を譲る相談などもありましたようにも承り、甚だもって不如意(苦しい状態)の評判が高くございますけれども、この頃には〔徳兵衛〕は本心になり、店方〔については〕万事も変わらず精励しておりますとのこと。〔徳兵衛については〕年頃の時分が過ぎて〔から〕の遊所通いが頻繁であったので、〔徳兵衛は〕大金をおもに使うような評判でしたが、少しも評判ほどにはございませんこと。しかしながら、他借と諸引合事(訴訟沙汰)はまったくございません。居宅については、〔徳兵衛は〕どこへも〔担保に〕差し入れてございません。かつまた、今年の春頃に灘のほうにて酒店を〔買い〕求められ、少し酒造も近頃、開業しましたとのこと。

 

大阪市中央区、安堂寺町にお住いの金田屋徳兵衛さん。

年とってから風俗にハマり、大金を使うようになったので一時は家督交代まで迫られた。最近はまじめに働いていて問題ないようです。

という報告ですが、結局三井は融資しなかったそうです。信用調査って怖いすねえ。

 

 

第5章 データで読み解く信用調査と成約数

江戸時代を通じた融資実績をデータにまとめ、融資額、顧客の業種、顧客の人柄などを鳥瞰する章になります。

たとえば成約した業種について、成約数でランキングすると

1位は飛脚、2位は酒造、3位は質屋。

一方で1件だけ成約したレア業種のなかには、芝居家主、ミョウバン屋、脇差拵え屋、みたいな事業もあって面白いところです。

 

目を引かれるのは、4章のとおり、顧客の人柄についてめっちゃ記録されている点。

「実体」「人柄よろし」「質素」「才智人」といった評価をされた方々が融資に至り、「不品行」「人柄よろしからず」「派手」「山師」「激情」等々の評価をされた方々は融資を拒否されているようで。

一方、「人柄よろし」とされた方々もやはり焦げ付くことはしばしばあったようで、融資判断の難しさが察せられます。

 

巻末に著者さんも述べておられますが、江戸時代の信用調査は「ご近所の方々への聞き込み」がめっちゃ入りますので、現代より厳しい面もありますね。日ごろから世間評判のよくない人は事業も起こせない的な。

 

 

 

 

 

以上、面白い本のご紹介でした。

確かな史料に基づく事例の数々に、ピュアに心惹かれますね。

 

 

そのうち戦国時代の商いの研究本も登場してくれますように。

堺史とかのなかに既に良著や良論文があったりするのかしら。