関ヶ原後の毛利家のあれこれを一次史料ベースで解きほぐしてくれた書籍が発売されていまして、豊富な史料から浮かび上がる毛利家が分裂しかけていく様と、江戸幕府パワーにより最後は宗主のもと国がひとつに何とかまとまっていく様とが非常に興味深く、「戦国時代ならこのまま毛利家は分裂していただろうに。時代は確かに変わった」という感慨をたくさん抱けてかんたんしました。
毛利一族の結束の実態とは? 元就の遺した「三本の矢」の逸話で有名な毛利一族。輝元当主期における嫡子秀就と養子秀元、吉川広家・広正らの関係から、その実態を明らかにする。
この本を手に取った動機は、
信長の野望20XXで
勾玉産とは思えないほど高性能な毛利秀就さんを重用していることと、
201Xの関ヶ原異聞で
毛利秀元さん21歳が若いのに非常に落ち着いていて格好良かったことです。
毛利秀就さん、毛利秀元さん、吉川広家さんといった方々については逸話レベルの話しか知りませんので、せっかくだからもう少し詳しく知りたいなと思いまして。
当著の目次は次の通り。
はじめに 見直される毛利一族の結束
第1章 秀元への分知と関ヶ原合戦
第2章 防長減封
第3章 江戸期初頭における毛利氏の城
第4章 有力国人への圧迫
第5章 毛利一族の愛憎
第6章 毛利一族の結束
終章 宗瑞死没後の毛利一族
豊臣政権下で毛利秀元さんの存在感が高まりました、
毛利秀就さんが生まれて間もなく関ケ原の戦いが起こりました、
防長に移封されて実入りが減りました、
有力国人の力は削ぎましたが秀元さんや広家さんの存在は大きいです、
なんなら秀元さんや広家さんは隙あらば独立しようとします、
輝元さんや秀就さんは秀元さんや広家さんを抑えようとします、
でも輝元さんが亡くなると秀元さんの力に頼るしかありません、
でも放置していると秀元さんに家を乗っ取られかねません、
結局秀元さんは遠ざけられ秀就さんに権力が一本化されていきます、
幕府が相当フォローしながらね。
という感じの流れになります。
後世で言われているほど「結束に定評のある毛利家」ではないんだよと。
面白いのが、こうした一連の流れについて史料が豊富過ぎるほど残っていること。
家中で不和が起こりそうになるたびに起請文が乱発されて、不信感のなかでお互いの動向や噂を調べまくっていて、何なら偽文書っぽいやつもたくさん出てくるという。
こういうテイストを見ていると、江戸時代を迎えたといっても初期の頃は室町時代とやっていることあんま変わらんなという感じがしてきますね。
当著では史料それぞれに分かりやすい現代語訳を起こしてくれていて、巻末に原文も載っているという親切仕様ですので非常にありがたいです。
というか現代語訳の文章表現が非常に丁寧で聞きよい日本語でして。
「尤も候」=「道理に叶っています」、
「悦存じ候」=「うれしく思います」、
「然るべきと存じ候」=「適切であると思います」、
「こなた」=「あいつ」
等々、とてもセンスがよい訳文だと思います。
「道理に叶っています」とか自分でも日常使いしたくなりますね。
そして、こうした文書が飛び交いともすれば御家分裂にすぐさまなってしまいそうなところ、国内安定を重視して秀就さんに権力を一本化する方向でフォローしまくる江戸幕府の方々の尽力がまた尊いのです。
こういうのを読んでいると、江戸幕府という存在のありがたさというか、中央政権が安定しているって大事なんだな、という感じがひしひしと伝わってきます。
独立心旺盛だった吉川家がだんだんおとなしくなっていくところとか、おそらく他の家の御家騒動の結果を見て考えを改めたところもあるんだろうなとか。
個人の能力でいえば、輝元さんや秀就さんより秀元さんの方がたぶんそうとう優秀だったんでしょうけれども、「実力ある方がトップで」にし過ぎると戦国時代再びみたいになりかねませんし、この段階では「正統性がより高い宗主がトップで」の方が社会にとって良かったんだろうなと。
統治者の仕事は世の安定ですもんね。
一方、秀元さん個人はかなり忸怩たる思いもあったんだろうなと想像すると、同情する気持ちも湧いてきてしまいます。
個人へのシンパシーと、家全体を見た判断とをバランスさせるのが本当に難しかったんだろうな当時の毛利家中の人たち。
あと、吉川広家さんが秀元さんをディスる文書のなかで「このままじゃ鍋島に乗っ取られた龍造寺の二の舞になるぞ」みたいな言葉が出てくるのも面白かったです。
世間からはやっぱりそんな風に見られてたんだなあ。
時代の移り変わりを実感できる本ですので、戦国時代初期・中期が好きな方にとっても良著じゃないでしょうか。
信長の野望20XX、毛利家のイベントや武将が近頃とんと出てきませんのでそのうち大々的に盛り立てられますように。