肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「閑吟集 感想 戦国時代の人々、邯鄲の枕が好きなんだね」校注:真鍋昌弘さん(岩波文庫)

 

戦国時代の歌集「閑吟集」が岩波文庫からリリースされまして、前から読みたかったので発売されただけでもかんたんしきりだったのですが、収められている歌の多くが想像以上に一期は夢よ感に満ちておりまして我が邯鄲ブログ的には最高の一冊やなと味わい浸ることができました。

 

www.iwanami.co.jp

 

 

花の錦の下紐は 解けてなかなかよしなや――。永正十五年(一五一八年)、一人の世捨人が往時の酒宴の席を偲んで編んだ小歌選集。春の妖艶たる雰囲気をまとって開巻が告げられ、多彩な表現をとった流行歌謡が、恋・枕・老い・面影・海辺などの群となって見事に配列されていく。中世末期の世相や習俗、人々の感性がうかがえる。現代語訳つき。

 

 

1518年に、当時の流行歌をセレクトして一冊の本に編んだものになります。

1518年と言えば大内義興さんが京を去った年であり、毛利元就さんはまだ二十代、三好長慶さんや武田信玄さん世代の誕生までもう数年、というタイミングですね。

 

一般的にイメージされる戦国時代を1560年と仮定すれば、そこから40年ほど前に流行っていた歌ということになります。

とはいえ現代人も40年前である1980年代の歌を普通に歌っている訳ですし、コンテンツ量が現代よりは少ない戦国時代であれば、松山重治さんや三英傑時代の人々も普通に歌っていたんだろうと思っていいんじゃないでしょうか。

閑吟集に収録されている歌、戦国時代末に流行した高三隆達さんの歌と歌詞がけっこう共通していますし。

「戦国時代の流行歌 高三隆達の世界 感想 いい本なのに売ってない」小野恭靖さん(中公新書) - 肝胆ブログ

 

 

閑吟集に収められている歌は、戦国時代らしい無常観を歌うものあり、一方で古典の和歌や漢籍から転じた歌あり、恋や情景を素朴に歌い上げるものありと、バラエティに富んでいて楽しいです。

編んだ世捨て人氏がどちら様かは分かりませんけれども、イケてるセンスと教養の持ち主やったんやろなあというのは疑いないですね。

 

 

以下、好きな歌の数々を。

 

 

1・花の錦の下紐は 解けてなかなかよしなや 柳の糸の乱れ心 いつ忘れうぞ 寝乱れ髪の面影

 

美しい下紐は、ひとりでに解けて、今となっては、かえってどうにもしようのない思いに責めたてられるばかり。春風に吹かれる柳の糸のように、わたしの心は乱れて、どうして忘れることなどできようか、あの寝乱れ髪の面影を。

 

「紐が解けて」というのが歌集のオープニングにふさわしい上、歌われている世界も艶っぽくていいですよね。

 

 

 

7・茂れ松山 茂らうには 木陰に茂れ松山

 

茂れ松山よ、茂るのならいっそ、緑の鬱蒼とした木陰をなすほどに茂れよ。

 

めでたい酒宴でまず歌われる、松をハヤス呪祝小歌でありますが。

当時のメジャーソングのこういう歌詞を見ていると、松山重治さんの松山ってあんがいこういうところから思いついて勝手に名乗ったんじゃないかと思えてきて困ります。

 

 

 

49・世間はちろりに過る ちろりちろり

 

世の中は、またたくまに過ぎてゆきます。ちろりちろりとね。

50・何ともなやなう 何ともなやなう うき世は風波の一葉よ

 

何ともいたしかたないことだ、この浮世は。まるで風波に揉まれる一葉の小舟のようなもの。

51・何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり

 

何ともいたしかたのないことです。人が七十歳まで生きることは、古来稀なことなのです。

52・ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 味気なの世や

 

この世はなにもかもすべて、夢まぼろし、水の泡のようなもの。笹の葉に置く露のように、はかなく消えてゆきます。つまらないこの世だねえ。

53・夢幻や 南無三宝

 

この世は 夢幻よ 南無三宝

54・くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を現顔して

 

まじめくさった人なんて、見られたものじゃないよ。夢の夢の夢のようなはかないこの世を、なんでもよくわかって目覚めているかのような顔をしてさ。

55・何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ

 

どうしようというのさ、まじめくさったところで。人の一生なんて夢のようにはかないものさ。ひたすら遊び暮らすがよい。皆して踊り狂おう。

 

私のなかでは松山重治さんのテーマソング。ていうか実際に宴席でこういうテイストの歌を唄っていたっぽい。

閑吟集を今回まとめて読む前から知っていたくらい有名なパートであり、閑吟集、戦国時代の一側面を象徴するような歌なんじゃないかなと思っています。

 

 

 

59・わが恋は 水に燃え立つ蛍ほたる もの言はで笑止の蛍

 

わたしの恋は、水辺に燃えて飛び立つ蛍のようなもの。激しく焦がれているけれど、まだ口には出せないでいるかわいそうな蛍。

165・一夜馴れたが 名残り惜しさに 出でて見たれば 奥中に 舟の速さよ霧の深さよ

 

たった一夜、馴染んだだけだけれど、名残り惜しさに出てみると、沖を行くあの人の舟の速いこと、そして朝霧の深いこと。

178・一夜来ねばとて 咎もなき枕を 縦な投げに 横な投げに なよな枕よなよ枕

 

一夜訪れなかったというだけで、枕を縦に投げたり横に投げたりして。なあ枕よ、枕よ。迷惑を被っているのはお前の方だよね。

 

この辺りは恋の歌として、情景を想像しやすいよいポップスだと思います。

 

 

 

90・扇の陰で目をとろめかす 主ある俺を 何とかしようか しようかしようかしよう

 

扇の陰から、とろりとした目でこちらを見て、主のあるわたしを、どうしようという魂胆なの。

 

今も昔も不倫は鉄板ネタなのでしょう。

リズム感がやや滑稽で、いかにもな宴席ソングです。

 

 

 

114・唯人は情あれ 夢の夢の夢の 昨日は今日の古 今日は明日の昔

 

なにはともあれ、人は情が第一よ。夢のようにはかないこの世のことだから。昨日は今日の古、今日もまた明日から見れば過ぎ去った昔にすぎない。

 

この歌も刹那的な感性を素朴な表現で歌い上げていていいですね。

 

 

 

133・沖の門中で舟漕げば 阿波の若衆に招かれて 味気なや 櫓が櫓が櫓が 櫓が押されぬ

 

沖合いを、舟を漕いでゆくと、阿波の若衆に手招きされて、気もそぞろ。じれったいよね、腰が萎えて櫓が押せないよ。

290・我は讃岐の鶴羽の者 阿波の若衆に膚触て 足好や腹好や 鶴羽の事も思はぬ

 

おれは讃岐の鶴羽の者よ。阿波の若衆に肌ふれて、その足も好けりゃ腹も好い。わが故郷の鶴羽の事も忘れてしまうよ。

 

阿波の若衆=BLテクニシャンで知られていたのでしょうか……。この時分の阿波侍や阿波水軍といえば勇猛さで名高いわけですが、もうひとつ別の属性を盛ってこられるとイメージがだいぶ変わりますね笑。

 

 

 

155・身は錆太刀 さりとも一度 とげぞしようずら

 

私は錆がきた太刀のようなもの。けれども一度はきっと、この恋の思いを遂げてみせる。

156・奥山の朴の木よなう 一度は鞘になしまらしよ なしまらしよ

 

おまえは、奥山の朴の木よ。一度はわたしの太刀を納める鞘にしてさし上げよう。

 

男の肉体を太刀に、女の肉体を朴(鞘づくりに用いる)に例える、割とストレートな下ネタソング。おっさんたちが宴席で唄っていたんだろうなと思えます。

 

 

 

173・世事邯鄲枕 人情灔澦灘(世事邯鄲の枕 人情灔澦の灘)

 

世間のことは、すべてあの邯鄲の夢枕の如く儚く、人の心というものは、灔澦の難所を行くように難しいものだ。

 

閑吟集には邯鄲の夢モチーフの歌がいくつか収められていまして、「一期は夢よ」を証する有名エピソードとして人口に膾炙していたことが伺えます。いいですよね、邯鄲の枕。

邯鄲の枕 - Wikipedia

 

 

 

255・人の心は知られずや 真実 心は知られずや

 

人の心というものは分からない。ほんとうに心は分からないものだよ。

 

んだんだ。

 

 

 

273・むらあやでこもひよこたま(「またこよひもこでやあらむ」(また今宵も来でやあらむ)の逆さ歌)

 

あの方は、また今夜も来ないのでしょう。

 

逆さに読むことで意味が通じる小歌。一種の呪文であり、黒髪を呪具・呪物にして口ずさまれたとも。興味深い文化・風習の一片ですね。

 

 

 

等々。

バラエティ豊か、かつ、いずれも素朴に切なくていいでしょう。

歌詞も雑多さも味わいも、確かに江戸時代の少し前、中世の終わりごろという感じ。

閑吟集の世界観、私は好きだな。

 

いい歌集だと思いますので、そのうちどなたかがいい感じに歌い上げてくださいますように。節と美声に乗ったやつを聴いてみたい。