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短編小説「松山新介重治 1/5 松山新介の手妻」

 

※以下、自作の創作小説となりますのでご留意ください。

 

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短編小説「松山新介重治 あとがき 兼 備忘」 - 肝胆ブログ

 

※続編

短編小説「松山新介重治 一万貫の夢 1/5 松山新介 屋根を往く」 - 肝胆ブログ

 

 

 

山新介が帰ってきたという噂は、あっという間に堺の町に広まった。

彼が街路をふうわりふわりと歩くだけで、見知った通行人や商店から「新ちゃん」「お帰り新ちゃん」「ウチにも顔を出してくれよ」等と賑やかな声が飛んだ。

新介は異装である。痩身長躯の肉体を唐紅の着物で包み、頭は銀色に光るサラサラ真っ直ぐな白髪を簡単に縛っている。一方で眉毛や口髭、顎髭は墨で染めているのか艶々と真っ黒であった。進取の気風が強い堺の町とはいえ、これほど妙な風体の男、それも年寄りは珍しい。

そんな爺さんが、刀も差さず、大きな手のひらをプラプラ泳がせながら、道の中央をふうわりふわりと歩いているのだ。ただ歩いているだけなのだが、それだけで堺の町は何とも言えない非日常感に包まれていた。

 

むろん、堺を取り巻く状況は明るいものではない。

上洛してきた織田信長へ多くの矢銭や名物茶器を供出し、ひとまずの安堵を得たはずだった。ところが、近頃は三好三人衆の反撃や石山本願寺の決起があって、その織田信長が大変苦戦している。

そうなると各勢力の境目に位置する堺は自然揉め事に巻き込まれることになるし、実際に堺には織田派の町衆もいれば三好派の町衆もいて、しかもあちこちの蔵には矢玉やら鉄砲やらの軍需物資もふんだんに蓄えられているときているのだから、これはもう剣呑な空気が漂うのも当然である。

そして、だからこそ堺衆はいつも以上に新介の帰還を歓迎した。

揉めているとき、手打ちしたいとき、慰めたいとき、笑いたいとき、忘れたいとき、悼みたいとき。新ちゃんがいてくれたら……と思うのが堺衆の常であり、困ったことがあれば新介の姿を探し求めてしまうのだ。

 

ここにも困っている堺人が一人いた。

蜂屋の女将、お蜜である。蜂屋は大店の主たちが息抜きや情報交換に集う、値が張ると評判の茶屋だった。古今東西、政治や経済の街にはこうした非公式の寄り合い所が形成されるものなのだ。

「よぉぉ、お蜜さん。帰ったぜ」

「帰ったぜじゃないよ、ちょっと寄ってってくださいよ。難儀な客がいるんですよう」

お蜜の肌から椿油のかぐわしい匂いが立ち昇る。新介の機嫌が一層よろしくなった。

「難儀な客ってなんだい」

織田家お抱えの力士さんが酔って暴れて、三好の侍を呼んでこいってきかないんです」

「俺はもう三好の侍じゃないぜ」

「分かってますよ、本当に三好の侍なんざ連れてきたら収集つかなくなっちゃうでしょう」

「フッフフ、そうだな。代わりに、しばらく置いてくれないか」

「ありがとう、二階の部屋を好きに使っておくれ」

万事解決したとばかりにお蜜は弾けるような笑顔を見せた。

 

織田家の相撲取りってのはお前さんかい」

気安く新介に話しかけられ、巨漢の力士は眉間にしわを寄せた。

「なんだジジィ。テメェが三好家の侍だってえのか」

「話を聞こう」

「話すことなんざねえ。だったらブチのめして仕舞いだあ」

口上を終える前から立ち上がり、やおら腕を伸ばして新介の首元を掴もうとする――が、その手がすり抜けた。

「荒くってえなあ。三好と揉め事を起こして開戦の機をつくれ……とでも指図されてきたかい」

いつの間にやら新介が力士の背後にいる。これには力士も薄気味悪く感じたらしい。

「……鯰江又一郎だ。テメェ何もんだ」

「松山新介重治だ。若えぇ鯰さんよ、堺の座敷で地震起こしちゃあいけねえな」

新介が胸元からまっ白な手ぬぐいを出した。意図が分からず、鯰江は手ぬぐいを凝視する。

「さあて、何の変哲もないこちらの手ぬぐい」

と、新介が宙に手ぬぐいを振り上げ、二度、三度と振った。

――ガチャリ、ドチャリ。

なんということか。新介が振るたび、手ぬぐいから刀や脇差が床にこぼれ落ちた。

「な、なな、なんだそりゃあ」

「乱暴は手ぬぐいの中にでも仕舞っておくのが座敷の嗜みよ。次からはもっとオドけた姿で来たらいいぜ」

新介が鯰江に向かってパチンと指を鳴らす。違和感を覚えた鯰江が襟をまさぐると、いつの間にやらツツジの花びらが何十枚も首元に入っていた。花びらを湿らす冷や汗、ツツジの香気。日頃物怖じすることのない力士鯰江もさすがに動転した。

「ジ、ジジィ。テメェ妖術使いか」

「フッフフ。ただの宴会芸、手妻ってやつさ」

手を稲妻のごとく操る芸を『手妻』という。手品の祖である。

「鯰さん、帰って織田の若大将に伝えな。”堺の遊び場を大事にしろって前にも言ったろう“、松山新介がそう言ってたってな」

「松山、新介」

「新ちゃんって呼んでくれてもいいんだぜ」

ニッカリと新介が笑う。その肌は妙に瑞々しく張りがあって、頭髪の白さにそぐわなかった。

 

結局、得体のしれない新介に怖気づいた鯰江又一郎はひとまず退散した。お蜜をはじめとした堺衆が湧いたことは言うまでもない。

 

そして二日後、新介は織田信長に呼び出されたのである。

 

 

 

続く