二葉亭四迷さんの「浮雲」を読んでみましたら、主人公の高学歴&女性経験ゼロからくる謎の上から目線感ですとか、ヒロインの流行に流されてそれっぽく生きている感ですとか、ライバルの典型的な世渡りうまい嫌なやつ感ですとか、ヒロインのお母ちゃんの典型的なやかましいお母ちゃん感ですとか、人間模様何もかもが写実的でかんたんしました。
のちの自然主義小説や私小説に通じるものがある気がいたします。
言文一致なところが近代小説の先駆と呼ばれたりしているそうですが、当作品の「言」は現代の「ですます」や「~だ」等の標準語ではなくて江戸弁や明治期東京弁ですので、現代人にとって取っつき易そうでそうでもない、でも落語や浮世絵のト書きに近い味わいが楽しい、という読み味です。
谷口ジローさんのイラストに惹かれて新潮文庫版を購入しました。
こういう、インテリっぽくて物思いに耽っている感じの青年が主人公です。
新潮文庫版は脚注や巻末解説・二葉亭四迷さん紹介文もイケているのでおすすめ。
以下、ネタバレを含みますのでご留意ください。
物語の流れをざっくり説明しますと、
- 主人公が公務員をクビになる
- 下宿先の叔母が冷たくなる
- 下宿先の娘との関係もギクシャクする
- 元同僚は世渡り上手で順調に出世する
- 下宿先の叔母と娘は元同僚と仲良くなる
- 元同僚は娘を口説くが振られる
- 主人公と娘の関係も回復せず
- 完!(未完!)
という流れです。
ご覧の通り、物語としては特にハッピーエンドでもバッドエンドでもなく、特にいいことも大逆転も大失敗も起こらないまま終了しますので、どちらかというと場面場面の秀逸な人間描写を楽しむ系の作品と言えましょう。
特にオチやイベントがないまま終了するのも含めて、実際の人生らしいリアリティがあっていいんじゃないかなとも思います。
なんとなく登場人物それぞれの先行きも充分想像できますし。
テーマ的には、
主人公は苦労して立派な学問を修めた青年でして、そんな彼がただただへつらいやおべっかができない、女性にも気の利いた言葉をかけられないというコミュ障っぷりだけが理由で社会で成功できない、
一方のライバルは口八丁手八丁の嫌なやつでして、上司に媚びへつらい、女性にぺらぺらと軽口をたたいて栄達していく、
こんなんでいいのか明治社会!!
的なものを感じさせます。
現代にもそのまま通じる、良いテーマですね。
個人的には「難易度の高い学問を修める」「品質の高い技術を磨く」といった努力は尊いけれど、それだけで社会での栄達まで求めてしまうのは世間知らずな時期特有の傲慢だと思いますし、社会が人間同士インタラクティブなものである以上は「相手を理解しようと努める」「相手が喜ぶ振る舞いに努める」というコミュニケーション面の努力も欠かせないものだと思いますので、この作品の主人公には高学歴大学生や意識高い若手社会人っぽい幼さを感じてなりません。
でも、そんなことを言う私も含めて誰もがそういう時期を経験して大きくなっていくのですから、この作品の主人公の幼さには大変あるある感を抱き、かわいく感じてしまいます。
「こんなやつおったなあ」味が強いといいますか。
主人公もどこかで師や友人に恵まれて幸せになれるといいんですけどね。
いくつか名セリフの抜粋を。
主人公の文三さん。
ヒロインお勢さんがライバル本田昇さんと遊びに出かけて一人悶絶。
「イヤ妄想じゃ無い、おれを思っているに違いない……ガ……」
そのまた思ッているお勢が、そのまた死なば同穴と心に誓った形の影が、そのまた共に感じ共に思慮し共に呼吸生息する身の片割が、従兄弟なり親友なり未来の……夫ともなる文三の鬱々として楽まぬのを余所に見て、行かぬと云ッても勧めもせず、平気で澄まして不知顔でいる而巳か、文三と意気が合わねばこそ自家も常居から嫌いだと云ッている昇如き者に伴われて、物見由山に出懸けて行く……
「解らないナ、どうしても解らん」
この、
- ヒロインは俺のことが好きなはず
- 俺のことが好きなヒロインは俺の機嫌を最優先するはず
- 俺の機嫌を最優先するはずのヒロインが俺の嫌いなライバルと出かけるのはなぜだ?
- 解らないナ、どうしても解らん
という、無駄に自分への自信があって、無駄に女性に対して上から目線で、身勝手極まりないロジックを振りかざしていることに気づかないまま悩んでいる高学歴童貞臭さがたまんないすね。
若くて頭のいい男の振る舞いって、明治時代からあんまり変わっていないんだなあ。
ヒロインのお勢さん。
最序盤、主人公文三さんに向かって。
「アノーなんですッて、そんなに親しくする位なら寧ろ貴君と……(すこしもじもじして言かねて)結婚してしまえって……」
周りから、(まだクビになっていない)主人公と結婚したらいいと言われましたと、文三さん本人にもじもじ話すヒロイン。
これは童貞には刺激が強過ぎます。
しかもヒロイン本人は別に大ごとには思っていなくて、ただ話題的に気恥ずかしくもじもじしていただけ、別に主人公に惚れている訳ではありません、という事実も残酷。
ライバルの本田昇さん。ヒロインお勢さんに言い寄って。
「邪魔の入らない内だ。ちょッくり抱ッこのぐい極めと往きやしょう」
と白らけた声を出して、手を出しながら、摺よッて来る。
「明日の支度が……」
とお勢は泣声を出して身を縮ませた。
「ほい間違ッたか。失敗、々々」
手籠めにしようとしながら、拒否られたらサッと手を引っ込める。
セクハラを巧みに冗談で済ませる調子者のあくどさがビビッドですね。
それにしても「抱ッこのぐい極め」という表現が新鮮です。
下宿先の叔母さん。
主人公文三さんからクビ(御免)になった、仕方ないっすと報告を受けて。
「イエサ何とお言いだ。出来たことなら仕様が有りませんと……誰れが出来した事たエ、誰れが御免になるように仕向けたんだエ、皆自分の頑固から起ッた事じゃアないか。それも傍で気を附けぬ事か、さんざッぱら人に世話を焼かして置て、今更御免になりながら面目ないとも思わないで、出来た事なら仕様が有ませんとは何の事たエ。それはお前さんあんまりというもんだ、余り人を踏付けにすると言う者だ。全躰マア人を何だと思ッてお出でだ、そりゃアお前さんの事たから鬼老婆とか糞老婆とか言ッて他人にしてお出でかも知れないが、私ア何処までも叔母の積だヨ。ナアニこれが他人で見るがいい、お前さんが御免になッたッて成らなくッたッて此方にゃア痛くも痒くも何とも無い事たから、何で世話を焼くもんですか。けれども血は繋がらずとも縁あッて叔母となり甥となりして見れば、そうしたもんじゃア有りません。ましてお前さんは十四の春ポッっと出の山出しの時から、長の年月、この私が婦人の手一ツで頭から足の爪頭までの事を世話アしたから、私はお前さんをご迷惑かは知らないが血を分けた子息同様に思ッてます。ああやッてお勢や勇という子供が有ッても、些しも陰陽なくしている事がお前さんにゃア解らないかエ。今までだッてもそうだ、何卒マア文さんも首尾よく立身して、早く母親さんを此方へお呼び申すようにして上げたいもんだと思わない事は唯の一日も有ません。そんなに思ッてるとこだものヲ、お前さんが御免にお成りだと聞いちゃア私は愉快はしないよ、愉快はしないからアア困ッた事に成ッたと思ッて、ヤレこれからはどうして往く積だ、ヤレお前さんの身になったらさぞ母親さんに面目があるまいと、人事にしないで歎いたり悔んだりして心配してるとこだから、全躰なら『叔母さんの了解に就かなくッて、こう御免になって実に面目が有りません』とか何とか詫言の一言でも言う筈のとこだけれど、それも言わないでもよし聞たくもないが、人の言事を取り上げなくッて御免になりながら、糞落着に落着払って、出来た事なら仕様が有りませんとは何の事たエ。マ何処を押せばそんな音が出ます……アアアアつまらない心配をした、此方ではどこまでも実の甥と思ッて心を附けたり世話を焼たりして信切を尽していても、先様じゃア屁とも思召さない」
この長文の愚痴交じり説教!
映画や舞台だったら役者さんが失神してしまいそうな長ゼリフです。
「だから上司の機嫌をもっと取れと前から言ってただろうがこのボケェ」と、真っ当なことを言っているのは言っているんですけどね。
上の人にだけ気を遣うのはいまいちですが、真っ当な社会人としては同僚やお客さま、取引先等、関係するステークホルダーそれぞれへの気配りは必要だと思います。
いかにも如才なく世間で上手くやっている下町の女傑っぽくて好きな長ゼリフです。
かように、「浮雲」は友達の恋話とか親戚の愚痴とか近所の世間話とかを逐一聞いているような、ものすごい写実性があって読んでいて面白かったです。
高い知性や教養と、柔軟な積極性やコミュニケーション能力とを併せ持つ、タフな青年が増えていきますように。