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「ローマの歴史 感想」I・モンタネッリさん/訳:藤沢道郎さん(中公文庫)

 

読み物として面白いと評判のモンタネッリさん版「ローマの歴史」を読んでみたところ、確かに取っつき易い歴史紹介文章とイキイキとした各登場人物の活躍がお見事でかんたんしました。

 

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ローマの歴史を学んでみたいけど、文庫ベースで43巻もある塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読むのはさすがに……と思ってはる人には最適の本かもしれません。

「ローマ人の物語」塩野七生さん - 肝胆ブログ

 

この本は1冊、500ページちょいで、ほぼローマ人の物語と同範囲を記述してくださいますし、負けず劣らずの面白く取っつき易い読み物になっています。

(いずれも研究書ではなく、あくまで一般人向けの“読み物”です)

ちなみに塩野七生さんはカエサル大好きなのでエネルギーのピークが前半にありますが、この本は五賢帝時代くらいまではエネルギーを保ってはります。終盤はさすがに力が抜けている印象ですが。

 

 

著者のモンタネッリさんはローマ在住のジャーナリストさんで、ご本人の著者序文では批判の投書が殺到していることを告白してくださっています。

ローマの偉大かつ神聖かつ重厚な歴史を、ヘラヘラ軽妙に描写するな的な批判を浴びたようで。

原著は1957年に書かれたようですが、イタリアでも昔から歴史読み物に対する突っ込みや批判が熱かったんですね。

 

実際、本の中では、例えば人物や事件の解釈について「たぶん~~だろう」という当て推量のような表現が多く、個人的には親近感が湧きますが、研究者や神学者からすれば「舐めんな」となるであろうことは容易に想像がつく訳であります。

いつの世もどこの国でも史学神学と一般人向けコンテンツの境界線というのは難しいものですね。

 

 

一方、著者および訳者藤沢道郎さんの文章表現はとても洒脱で知的にアイロニカルで、読み物としてのクオリティはすこぶる高いんですよね。

 

負けいくさに武勇伝はつきものである。負けた時には「栄光のエピソード」を発明して、同時代人と後世の目をごまかす必要がある。勝ちいくさにはその必要がない。カエサルの回想録には武勇伝は一つもない。

 

今度の若い大将の父は、実は前の大将老スキピオではなく、大蛇に変身したユピテル神だという噂が、すでにささやかれていた。いや、スキピオ自身がそうささやいていたのだ。この頃のローマ人は、戦争に勝つためなら母親の醜聞くらいは平気ででっちあげる。そしてこの場合はそれがまんまと図に当った。

 

兵士たちは凱旋将軍に罵倒の文句を浴びせる習いがあった。かれが無謬の神になったとうぬぼれないためである。たとえばカエサルには、兵士たちはこう叫び立てた。「おい、禿げ頭の大将よ、他人の奥さんばかりじろじろ見るなよ、商売女で満足してりゃいいんだ!」

現代の独裁者に対しても同じようにできたなら、民主主義にとって怖るべきものは何もなくなるだろう。

 

(スラとカエサルの境目の時代について)

ローマの「黄金時代」が近づきつつある。だがいつの世も、黄金時代とは文明の死の苦悶の前奏曲にほかならない。

 

カエサル以来どういうわけかローマの偉人豪傑がエジプトの地を踏むと、かならず愛の悲劇に遭遇する。

 

政権が弱体化し、国家の権威が失墜するにつれて、教会が国家や政府の職務を代行するようになる。コンスタンティヌス即位のころには、司教が知事の職務の大部分を代行していたのである。教会は滅び行く帝国の私生児でありながら、帝国の遺産相続人に指定されていたのだ。

ユダヤ人は倫理を、ギリシア人は哲学を、キリスト教会に与えた。そしてローマ人は、言語、実務的組織的精神、儀式、位階秩序を与えつつあった。

 

キリスト教すら、世界に覇を唱えるためには、ローマ化しなければならなかった。砂漠を通る細々とした道でなく、アッピア、カッシア、アウレリア等、ローマの技師によって造られた堂々たる街道を通ってはじめて、イエスの教えが地上を征服するのであると、ペテロはよく承知していた。

 

といった感じの鋭くもユーモアを含んだ文体が続くんですよ。

読みやすいな、読んでみようかな、といった風になりますでしょう。

 

 

 

歴史上の有名人はそれぞれがばっちり魅力的に書かれており、伝説の王たち、ポエニ戦争スキピオさんやハンニバルさん、カエサルさんやアウグストゥスさん、五賢帝、ディオクレチアヌスさん(キャベツ大好きおじさん)等々、短いページ数ながらそれぞれの活躍を存分に味わうことができます。

 

当著の中で個人的に印象がよくなったのは(大)カトーさん。

カルタゴ必ず滅すおじさんとして有名ですね。

 

たしかにかれは愛されてはいなかった。だがこの頽廃懶惰な世の中で、かれは誠実で求道精神に充ちていて、万人の胸に何かやましい気持を起させた。だれもがかれのようであらねばならぬ、そうありたいと思いつつ、実際には自分はそうでないと認めざるを得なかった。それゆえに人はかれを嫌いながらも尊敬し、かれに票を投じたのである。

 

カトーの演説の真骨頂は、雄弁でも文学性でも音楽性でも絵画性でもなく、道義心と素朴な信念であった。

 

ローマの頽廃をかれほどなまなましく予感した人はなく、頽廃の源泉はギリシアだと、かれほど明瞭に言い切った人もなかった。かれはギリシア語を学び知っていたし、村夫子然とした風采のかげに深い教養と明察を隠していたから、ヘレニズム文化があまりにも高級で洗練されすぎているために、ローマ文化を頽廃させずにいないことをよくよく承知していた。

 

カトーはいい時に死んだ。

 

等々、モンタネッリさん、ぜったいカトーさんのこと好きなんだろうなと伝わってくる名文の数々。

これはカトーさんへの関心を高めざるを得ません。

 

 

同じくモンタネッリさんの評価が高く、かつ読んでいて魅力的な印象を抱く人物がスラ(スッラ)さんなんですが、こちらはまた記事を分けて紹介したいと思います。

 

「スラ(スッラ)」モンタネッリ版ローマの歴史より - 肝胆ブログ

 

 

ローマ共和国/帝国の歴史は学んでいて面白いんですが、一般人向けのコンテンツがまだまだ少ないのが難儀ですね。

 

こうした一般人向けの読み物を入り口に未来のローマ史ガチ勢が生まれて、一般人向けの更に素敵なコンテンツを生み出してくださいますように。