樋口一葉さんの「裏紫」にかんたんしました。
樋口一葉さんの文章は有名なものしか読んだことがなくて、
全集的なものでも買おうかしらと考えていたのですが、
よく考えたらいまは青空文庫でほとんど読めてしまうのですね。
ありがとう青空文庫さん。
この裏紫は未完の作品で、小説全体の導入部分だけしかありません。
その後の筋がどういう展開になる予定だったのかは知る由もないですが、
そんなことが気にならないくらいに優れた作品だと思います。
以下、あらすじをネタバレします。
あらすじ。
奥さんのところに手紙が届く
↓
どうかしたかい? と旦那様
↓
姉が心配事があるからと、ちょっと来てほしいそうですの
↓
そうかそうか。早く行ってやるといい
↓
では行ってきます
↓
姉とか嘘でした。実は愛人からの呼び出しの手紙です。
ああ、あんなよい夫を騙して。
いっそ行くのをやめてしまおうか
↓
いや、私にはやはり愛人しかいないのだ。
迷うまい。行こう
以上。
描写は旦那とのやり取りと、奥さんが逡巡している場面だけ。
5分くらいで読める短さです。
これだけを見ればなんてことないように思えるのですが、
実際の樋口一葉さんの文章を読むとウゥ……ってなってしまうんですよね。
抜粋。
奥さんが愛人のところへ行くのをやめようと迷う場面。
あのやうな毒の無い、物疑ひといふては露ほどもお持ちなさらぬ心のうつくしい人を、能うも能うも舌三寸に欺しつけて心のまゝの不義放埒、これがまあ人の女房の所業であらうか、何といふ惡者の、人でなしの、法も道理も無茶苦茶の犬畜生のやうな心であらう
路傍に立すくみしまゝ、行くまいか行くまいか、寧《いつそ》思ひ切つて行くまいか、今日までの罪は今日までの罪、今から私が氣さへ改めれば
もう思ひ切つて歸《かへ》りませう、歸りませう、歸りませう、歸りませう、えゝもう私は思ひ切つたと
言葉を尽くして所業を恥じ、己を責め、嫌悪し抜いて、
夫のもとへ帰ろうと決心したはずのところ。
生憎夜風の身に寒く、夢のやうなる考へ又もやふつと吹破られて
夜風が身に染みてしまったから。
いまいまの決心を「夢のやうなる考へ」と、蒙であるかのように断じ。
ええ私は其やうな心弱い事に引かれてならうか
今更に成つて何の義理はり、惡人でも、いたづらでも構ひは無い、お氣に入らずばお捨てなされ、捨てられゝば結句本望
吉岡さん(注:愛人名)を袖にするやうな考へを、何故しばらくでも持つたのであらう、私の命が有る限り、逢ひ通しましよ切れますまい、良人を持たうと奧樣お出來なさらうと此《この》約束は破るまいと言ふて置いたを
このように「正気」に戻ったとして、
急ぎ足に五六歩かけ出せば、胸の動悸のいつしか絶えて、心靜かに氣の冴えて色なき唇には冷かなる笑みさへ浮かびぬ。
この迫真、この転変、この清々しい女心。
恐らく、このような逡巡もこれが初めてではないのだろう。
愛人のもとへ向かうたびに悔悛が浮かび、毎度毎度に煩悶しているのであろう。
それでも女は行き着くところまで行こうとしてしまうのだ。
ろくでもない結末が待っていることくらい分かっているのだ。
迷えば迷うほどに男への恋情、非道の甘味が増すことを知っているのだ。
恐るべし樋口一葉。
どうすればこんな文章が書けるのだろう。
豊かな古典の教養、下種世間での苦い漂泊、夢と挫折と辛抱。
どれが一葉を一葉たらしめたのだろう。
この作品を読んで、つくづく思いました。
こんな文章を書いていたら寿命が縮む。
この「裏紫」を、この導入部に釣り合うように書ききったとしたら、
作者の魂魄も無事には済むまいと。
未完でいいのだと思います。
後の筋は、読者が銘々に想像すればよい。
読み手の胸を打つという点では充分に過ぎましょう。
樋口一葉さんの文章。
文語調で一見読みにくいのですが、音韻が快く、
1分もすれば慣れてすらすら読めてしまいますよ。
声に出して読んでみたり、誰かに朗読してもらっても愉しいと思います。
ずっと読み継がれてほしい作家です。
同じくらい素敵な文章に、また出会えますように。