ジッドさんの「地の糧」という本を読んでみましたところ、言い回しや文体はなかなかに難解でありながら、言いたいことはなんとなく伝わってくる気もしますし、パーツパーツでぐっとくるいいこと言ってはる気がしますし、何よりも世の中の見知らぬ土地には美しいものや感動するものがたくさんたくさんあるんだろうなという気持ちにさせられて、いい本じゃないかとかんたんしました。
まあ難しい文章なのでちゃんと理解できている自信はありませんけど笑。
君はすっかり読んでしまったら、この本を捨ててくれ給え。そして外へ出給え——。語り手は、青年ナタナエルに語りかける。「善か悪か懸念せずに愛すること」「賢者とはよろずのことに驚嘆する人を言う」「未来のうちに過去を再現しようと努めてはならぬ」。二十代のジッドが綴った本書は、欲望を肯定し情熱的に生きることを賛美する言葉の宝庫である。若者らの魂を揺さぶり続ける青春の書。
筆者? 主人公? が青年たちへ情熱的にいろいろ語りかける体裁になっている作品になりまして、ジャンルで言えば演説文とかになるのかもしれませんが、受ける印象としては「詩」が一番近い気がします。
あれこれ解説するよりは、実際の文章を見てもらった方が分かりやすいと思いますので、以下、個人的に気に入ったフレーズをいくつかご紹介。
それから、君はすっかり読んでしまったら、この本を捨ててくれ給え――そして外へ出給え。
現代では一層輝く言葉だと思います。
本やパソコンやスマホで楽しげな知識を得たら、体験しに行ってみるのが大事だなあとあらためて気づかされますね。
君の眼に映ずるものが刻々に新たならんことを。
賢者とはよろずのことに驚嘆する人を言う。
この言葉は当ブログの価値観に合っていて好きです。
私はこの庭園に坐っていた。太陽は見えなかった、あたかも空の藍が液体となって、雨のように降り注ぐかと思われるばかりに、大気が散光で煌いていた、そうだ本当に、光は波立ち、逆巻いていた。苔の上には水滴のように火花が散っていた。そうだ本当に、この長い径に光が流れていると言えそうだ。そしてこの光の流れの中に、諸処金色の水泡が木々の梢に宿っていた。
イタリアの風景描写?
幻想的で詩情が湧いてきますね。
オレンジやシトロンや
レモンの搾り汁で作る飲みものがある、
それは酸っぱくてまた甘いところがあるので、
咽喉を爽やかにするのだ。
不思議な異国情緒と憧れを抱かせてくれる文章。
どこで飲めるのか分かりませんが、飲める土地に行きたくなります。
私はお前を熱愛したことだろう、砂の砂漠よ! ああ! 希わくはお前のいと小さな砂塵も、その唯一の場所を占めて、宇宙の全体を物語っているように! 砂塵よ、お前はいかなる生活を思い出すのか? いかなる愛から隔てられているのか?――砂塵とて人から頌えられたいのだ。
砂漠の描写もいいですね。情熱的に砂漠を歩ける人って格好いいと思います。
等々。
全編こんな感じで、決めゼリフっぽいパートと旅先を描写するパートと歌いあうようなパートがぶち込まれていて凡人には構成を理解することは難しいものながら不思議と読み進めていたら楽しいしお出かけしたくなるという、珍しい本であります。
「おじいちゃん/おばあちゃんは将来何になりたいの?」と孫に聞かれてハッとしたみたいな話をさいきん聞きました。
私も世の皆さまも、いつまでも初々しく瑞々しい感性を保ったまま楽しく情熱的に暮らしていけますように。