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「甲陽軍鑑(ちくま学芸文庫版) 感想」佐藤正英さん

 

武田信玄さん・勝頼さん時代の甲州武士の様子を描いたという「甲陽軍鑑」、これまで興味のある部分しか読んだことがなかったので、ちくま学芸文庫から出ている抜粋版を買ってみました。

 

甲陽軍鑑は、書かれていることが史実だ史実じゃないんだ一部は信用してもいいんだ等々、歴史研究の中でたまに話題になっている印象がございますが、そういう話は一旦置いておいて、純粋に読み物として読んでみるとけっこう面白くてかんたんしました。

 

人の上に立つ者や、人の上に立つ者の側に仕えている者にとっては、心構え本としてよくできているように思います。

また、史実かどうかは置いておいて、武田信玄さんはもちろん、同時代のあんな武将こんな武将をものすごく褒めてくれているので、各武将のファンが気持ちよくなれるのは間違いないです。史実かどうかは置いておいて。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

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目次

分国中仕置五十七箇条の事

典厩九十九箇条の事

信虎公を追出の事

晴信公三十一歳にて発心ありて信玄になり給ふ事

春日源五郎奉公の故に立身の事

信玄公御時代大将衆の事

小笠原源与斎軍配奇特ある事

判兵庫星占の事 付けたり長坂長閑面目なき仕合の事

信玄公御歌の会の事

信玄家にて来年の備へ定め、前の年談合の事

鈍過ぎたる大将の事

利根過ぎたる大将の事

弱過ぎたる大将の事

強過ぎたる大将の事

 

原文と現代語訳の両方を乗せてくれているので素人的にも読みやすいです。

 

 

有名な甲州法度や典厩九十九箇条を載せてくれているのが目を引きますね。

 

甲州法度の一節

信玄の振舞そのほかについて法度の趣旨に反していることがあれば、貴賤を問わず陳状によって申し立てよ。事柄によっては道理に従うであろう。

 

ですとか、

 

典厩九十九箇条の一節

家来が病気になったとき、たとえ手間ひまがかかろうとも、よくよく指図を与えよ。『軍識』に「家来の身を案ずること、渇いて水を欲するごとくせよ」とある。

 

のような言葉は、賢君らしい名文ですね。

 

 

甲陽軍鑑全体を通して武田信玄さんは賞揚されまくっているのですが、その中で武田信玄公は心配りをし過ぎて遂には胃の病になられたのである。もっと心をゆったりのんびり過ごされていれば……」みたいな一節もあって、これも武田信玄愛に溢れた家臣らしいお気持ち表明で好きです。

 

 

 

さて、この甲陽軍鑑は、「高坂弾正忠昌信から長坂長閑老・跡部勝資殿へ」という態で記されていいます。

要は武田信玄さんに仕えたベテラン武将から、武田勝頼さんを支える側近衆に対して「お前らほんま気ィつけえよ」とブッ込むのが趣旨の本でございまして、各地の武将をべた褒めし、各地の成り上がりをガン貶すことで、「俺の言いたいこと分かるな?」と仄めかしまくるシーンが満載なんざんす。

 

 

アゲられまくっている各地の武将としましては、

 

錚々たるメンバーでして、(真偽の怪しい)様々なエピソードを駆使して褒めてくれますので、うっかり各武将のファンは頬が緩んでしまうことでしょう。

三好長慶さんなんて「この時代に二代二十年も天下を治めたのはパネェわ」「あの方の思慮深さはまじパネェかったって四国から来た浪人が言ってたわ」「十代の頃に虚空蔵求聞持法を修業したり、ニ十歳の時に四国で合戦したときは敵の船に乗り込んで一人で十二・三人を長刀で斬り伏せたりしたらしいって山本勘介が言ってたわ、まじパネェ」みたいな褒められ方をされているのでとてもウケます。

真偽はともかく、こういう実は暴力が得意な長慶さん像は好きですね。

 

本当に真偽が怪しくて、1575年の文章っていう態なのに、この後の松永久秀さんの項では1577年の久秀さん戦死のことまで書かれているのがアツいんですけどね。

 

 

 

この他、山内上杉家の没落の経緯等々について、「すべて主君を惑わした側近が悪い」「弁舌ばかりが上手い武士の有害さ」を長文でたくさん説いてくださる感じでして、その内容については現代の経営者や経営者の側近的な人が読んでも「確かに、気をつけよう」と思えるような示唆に富んでいます。

(自分が何を成し遂げた訳でもないのに、人様の創作物を好き勝手に褒めたり評したりしているこのブログなんて実際どうかと思いますもんね)

 

全体的に文章力が高く、エピソードのまぶし方や古典からの引用等で著者の教養の高さも伺われますので、この甲陽軍鑑が江戸時代から広く愛読されてきたのは「純粋に内容が面白いから」というのも大きいんだろうなあ、という印象です。

 

 

ただ、あえて言えば長文かつ名文で「弁舌ばかりが上手い武士の有害さ」を書きまくってくれているので、この甲陽軍鑑自体が「長坂長閑老・跡部勝資殿」に対するイヤミ感・ネチネチ感に溢れていて、けっこうなブーメラン的印象を抱いたりもしますね。

 

著者が伝承通りだったとして、高坂弾正さんが口述した時点でそうだったのか、その後の執筆陣が盛りまくったのかはよく分からないんですけど。

 

史実や実像から完全に離れた私の個人的願望としましては、

武田信玄さんのもとで戦ったベテラン武将が次世代の側近にカラむのならば、こんな風に遠回しな長文名文でネチネチやるんではなくて、因縁つけて直接ボコボコにして「よう覚えとれよ なんぼ時代がかわろうとのう やっぱり武士の世界は腕っぷしぞ」とドンケツイズム溢れるセリフをぶつけてほしいなとは思います。

 

 

いずれにせよ、甲陽軍鑑は原文でも現代語訳でも読みやすく面白い内容なので、全てが史実かどうかはさておき、読んで損はないんじゃないでしょうか。

 

この本では割愛されている甲陽軍鑑の後半部分を収録した続編も、いつか出版されますように。