アクタージュの5巻。
本誌では1周年巻頭カラー。
プレイボーイでは巻末グラビア。
集英社を挙げて盛り上げていこうとされているかのような勢いですね。
アクタージュの世界観が一層拡がり、深まりつつあるように思えます。
もうなんちゅーかこの作品にはかんたんしっ放し、感想を言語化するのも難しいっす。
5巻の表紙は星アキラさん。
恐るべき透明感。
この透明っぷりが本編の彼に通じるようで哀しい、美しい。
5巻ではいよいよ舞台「銀河鉄道の夜」が始まりました。
偉大なる演出家「巌裕次郎」さん抜きに、主人公夜凪景さんと劇団天球の面々は無事に舞台を成功させることができるのか!? という流れです。
一つひとつのエピソードは語りませんが、単行本として一度に通して読むとですね。
生と死、幸いと不幸、大人サイドと若者サイド、過去とこれから……この銀河鉄道の夜編全体を通じて何層にも繰り広げられる二律背反に見せかけた止揚がですね、もう堪らんのですよ。
本誌の1周年記念号を読んで、この5巻読んでとやると、いい年した大人でも目頭が熱くなるんですよね。
巌裕次郎さんと黒山墨字さんの関係とか、
巌裕次郎さんと星アリサさんの関係とか、
七生さんの七変化(おまけ漫画)イイねとか、
星アリサさんの教育スタイル(おまけ漫画)とか、
柊雪さんは黒山墨字さんと同居してるのか(おまけ漫画)とか、
百城千世子さんのときどき見せる爬虫類みたいな瞳がスゴイだとか、
夜凪カムパネルラさんの圧倒的な高次元の存在感漂う作画がハンパネーナだとか。
この5巻だけでも惹かれる点は色々あるんですが。
個人的にいちばん印象的なのは、デスアイランド編から銀河鉄道の夜編に移って、漫画の構成・テンポも映画的から舞台的に変わったなあという点。
たぶん意図的な演出なのだと思うのですけど、これをジャンプ1年目のルーキーがやってはるのがごっついなあと思うのです。
あくまで私見ですが、映画と舞台って時間や演出の制約の違いから、けっこう魅せ方が違うじゃないですか。
邦画だと90分~120分くらいの作品が多くて、限られた時間を最大限に活かすために、展開はスピーディで、主役級を目立たせるような演出が多い。気がする。例外多数。
舞台だと休憩挟んで180分くらいやるのはザラで、一つひとつの場面、一人ひとりの役者にフォーカスし、じっくり掘り下げていくような演出が多い。気がする。例外多数。
デスアイランド編では、夜凪景さんと百城千世子さんの二人に焦点を当て、ミサイルや台風といった舞台装置のもとで駆け抜けるように作品が進んでいきました。
夜凪景! 百城千世子! という当作品の二枚看板の魅力をこれでもかと魅せつけてくださる演出で。
これは「アクタージュ」という作品を読者が知る上で、極めて分かりやすく、入っていきやすい構成だったと思うのです。
一方、この銀河鉄道の夜編では。
週刊誌的テンポをあえて抑え、高密度×長時間の舞台的じっくりテンポに切り替えて、亀さん→七生さん→星アキラさん→明神阿良也さん→夜凪景さん(巌裕次郎さん)と、一人ひとりの登場人物を丹念に丹念に描き、「生と死」「本当の幸い」「大人が若者を救済することで大人もまた救済される」という極めて重厚なテーマを、週刊少年漫画媒体とは思えないクオリティでぶん殴ってきてくださっていますよね。
宇佐崎しろ先生の作画による激烈な説得力に導かれ、
マツキタツヤ先生の抱く方向に視線と感覚を誘導させられる、
この贅沢な時間がね、まさに舞台的で、いいなあと思うのですよ。
本編はもうすぐ閉幕となりそうですが、いい舞台特有のね、ずっとシートに座っていたくなるような、無理に話を進めなくてもいいんだよ、ゆっくり魅せてちょうだいと思ってしまうようなあの感覚と快感をね、漫画で体感できるのがまったく幸いなのです。
この漫画を読んで、舞台芸術に興味を持つ若い人も多いんだろうなあ。
舞台芸術は演劇であれミュージカルであれハマると底なし沼ですので、みんな、落ち着いて、程よいペースで親しんで参りましょう。
銀河鉄道の夜編全体の感想は、6巻、閉幕を見届けてから書けたら書きたいです。
彩りを増していくアクタージュの登場人物たちが、ますます活躍の場を拡げ、表現を深めていってくださいますように。
「アクタージュ4巻感想 巌裕次郎の背中が大きい」原作:マツキタツヤ先生 / 漫画:宇佐崎しろ先生(ジャンプ) - 肝胆ブログ
「アクタージュ6巻感想 星アリサこそが裏ヒロインか」原作:マツキタツヤ先生 / 漫画:宇佐崎しろ先生(ジャンプ) - 肝胆ブログ