肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「太陽のない街」徳永直さん(岩波文庫)

 

戦前、満州事変直前頃の労働争議を描いた小説「太陽のない街」が、共感はしにくいものの、胸に迫るものが多い濃厚な作品でかんたんしました。

 

www.iwanami.co.jp

 

f:id:trillion-3934p:20190203163328p:plain

 

 

有名な「共同印刷争議」を、労働者側の視点で描いた作品になります。

 

舞台は東京都文京区小石川、植物園のあるあたり。

文京区と言えば高級住宅街というイメージしかありませんでしたが、こうした貧民窟・労働争議みたいな一面もあったんですね。

 

以下、内容の一部ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この小説の特徴は、何と言っても作者さん自身が労働争議当事者だったことによるリアリティとライブ感。

ストライキはおろか、経営者を襲撃したり、工場に集団で殴り込んだりと、なかなか現代人が聞けばマジすか感を振り切っているような話が続きますが、当事者たちの必死さや怒りや諦念や苦痛がヒシヒシ伝わってくる文章がお見事なのです。

 

兵糧攻めに堪え。

――それでもみんなは、都会の俺達労働者は、農村の小作人に比べれば楽なんだ。年から年中、粟やら、麦ばかり食って、小作人達はあんなに勇敢に戦っているんだ。なァいいか、みんなも「米なしデー」に参加して、争議が勝利となるまでは味噌汁は薄くしろ、菜ッ葉の代わりにおからを使え。――

 

和睦の使者を追い返し。

――おーーい、皆な出て来な、会社の廻し者が、押し掛けて来たぞゥ――。

四人の貴婦人は、すっかり度肝を抜かれてしまった。女房達の喚きに応じて、そこここの長屋から、子供や、女房や、老人達が飛び出して来た。

――どいつだ会社の廻し者は?

――溝(どぶ)に叩っ込んじまえ!

 

スキャップ(ストライキに参加しない者)をぶん殴り。

――どうして僕達が裏切りだ。僕は君らとは何の関係もないんだ。僕が自由意志で会社に雇われることは、民法でも指定されている通り、正当なんだぞ――馬鹿な。

苦学生は、見事云い負かした気であった。

――そうだとも、争議団は争議団、俺は俺だ。

失業者達は立ち上りかけた。すると、

――このスキャップめッ。

黒岩が、いきなり、その苦学生の顔面にメリケンをくれた。釣鐘マントは不意を喰らってひっくり返った。室内は総立ちになった。

 

最後は和睦派と徹底抗戦派に分かれて内部争闘に暮れるという。

――そ、そんな条件で承知するくらいなら、畜生ッ、最初ッから、目を瞑って我慢すらあい、この泥棒奴ッ。

――この屈辱的解決条項を蹴飛ばせ!

場内は騒がしくなり、殺気立った。休戦派の方から、揶揄と嘲笑が起った。婦人達は怒って座席に立ち上りながら応酬し、やがて「赤旗の歌」が唄い出された。警官が飛び込んで来た。しかし歌声はやまなかった。検束者が怒号と罵声との混乱から、場外へ引き摺り出された。

 

 

キツいことを言えば、一枚岩になり切れずに分断工作に敗れ、過激化と内部分裂の果てに世間支持を失っていくのがいかにもこの手の運動の典型に思えなくもありません。

この作品としても、労働者側に立っているにも関わらず、「争議に勝つのは難しいだろう」という諦念が色濃いですし、描写的にも経営者側の方が動じてなくて格好良かったりするんですよね。

 

 

後世、この争議については「中国進出派による国内不穏分子潰し」「当時非公認だった共産党に扇動されたもの」等々の陰謀論めいた講評が加えられるようになったそうですが、そんな大それた話でなくても、苦闘の果てに報いを得ること叶わなかった労働者の方一人ひとりは誠に気の毒です。

 

現代人からすれば共感を得にくくても、当時の労働者は……まこと奴隷と呼んでも差し支えないような、酷い環境で働いていた人が大勢いたのは事実ですからね。

労働基準法労働安全衛生法も、こうした当時の悲惨あってのものでございますし。

 

(いまも酷い職場はたくさんありますが、労働争議により会社に変革を迫る人よりも、転職や独立により会社から離れることを選ぶ人の方が多いのかな)

 

 

 

プロレタリア文学と言いつつ、理論的・インテリ的な小説ではなく、むしろ大衆的・地面の匂いがする的な小説ですので、意外と気楽に読める作品ですよ。

一種の歴史小説として捉えてもイイと思います。

 

 

人類の進歩を信じていますので、時代を経るごとに、真面目に働く人がそれだけ報われるような世の中になっていきますように。