青空文庫に「花がたみ」の制作過程を綴った文章が2本も載っていて
かんたんいたしました。
上村松園さんといえば近代の美人画家を代表する方でありまして、
古典などを題材に数多くの傑作を残されております。
その数ある作品の中で、代表作でもあり異色作でもあるのが
こちら、「花がたみ」です。
絵のモチーフは①の上村松園さん自身の文章に詳しいです。
謡曲「花筐」……継体天皇と、照日前という女性のエピソードを
もとに描いた「狂人の狂う姿」の画。
現代でも狂気狂人というのは人気のある題材で、最近も漫画の話題で
「作者「狂ってるキャラってどう描けばええんや…せや!」」という
のが出ておりました。
⇒まとめサイトが乱立しております。
作者「狂ってるキャラってどう描けばええんや…せや!」 - Google 検索
狂気の描写としては無表情バトルマニアとか勃起バトルマニアとか
アヘ顔ダブルピースとか実に色々な手法が研究されている訳ですけど。
圧巻なのは、この絵を描くために上村松園さんが行った取組みでしょう。
「本物を見てみたい」
ということで京都の某精神病院に数日間滞在し、実際に精神を病んだ方々を
丹念に観察してきはったのです。
……現代では許されない、あるいは激しい糾弾を受ける手法でしょう。
いや、当時だってそうだったに違いありません。
それでも画業のために真っ直ぐ進むところが松園さんらしい。
碁の好きな狂人同志、将棋の好きな狂人同志が、それを戦っている。その姿を離れたところで眺めていると、実に堂々たるものである。天晴れの棋士ぶりだが、そばに寄って覗き込んでみると、王将が斜めに飛んで敵の飛車を奪ったり、桂馬が敵駒を三つも四つも越えて敵地深く飛び入って、敵の王将を殺して平気である。
王将が殺されても、彼らの将棋は終らないのである。見ていると、実に無軌道な約束を破った将棋なのであるが、彼らには、その将棋に泉の如き感興があとからあとからと湧くのを覚えるらしい。朝から晩――いや、そのあくる日もまたあくる日も、何やらわけのわからない駒を入り乱れさして、それでいて飽くところを知らないのである。
如何にも面白そうであった。
印象に残ったエピソードのようです。
そして、見出した結論がこちら。
狂人の顔は能面に近い。
狂人は表情にとぼしい故ででもあろうか、その顔は能面を見ている感じである。
嬉しい時も、かなしい時も、怒ったときも大して表情は変らないようである。
狂人の眸には不思議な光があって、その視点がいつも空虚に向けられているということが特徴であるようだが、その視線は、やはり、普通の人と同様に、物を言う相手に向けられている――すくなくとも、狂人自身には対者に向けている視線なのであるが、相手方から見れば、その視線は横へ外れていて空虚に向けられている如く感じるのである。
わたくしは祇園の雛妓に髪を乱させて、いろいろの姿態をとったり甲部の妓に狂乱を舞って貰って、その姿を写生し参考としたが、やはり真の狂人の立居振舞を数日眺めて来たことが根底の参考となったことを思うと、何事も見極わめる――実地に見極わめることが、もっとも大切なのではなかろうかと思う。
実地を見極める。
最も当たり前の基本でありながら、この基本にここまで真摯に取り組む方は
どの世界においても稀なように思われます。
狂人と能面の類似点を掴んだ松園さんは、続いて能面を描くことに没頭しました。
このエピソードは②、能楽師金剛巌さんの文章に詳しいです。
(金剛巌さんは能における松園さんのお師匠だったそうです)
特に美人画家だけに女の面について研究されたので〈花がたみ〉という絵には増阿弥の十寸神という面を写生して、それを人間の顔に戻して松園さんが再び創作して出しています。元来この「花形見」の能には小面、孫次郎を使うので、観世では若女、宝生では増という面を使うのが普通だが、松園さんは十寸神を取り出して描かれた。その面を篏めて創造したところにあの人の優れた凡庸でなかったところが窺える。
昔からあるという物も世の批評の喧しかったり、世間の思惑を心配したりして突っ切ってやれないもので、それを貫いてやるところに松園さんの性格の強さがあると思う。一時が万事で他の事にも矢張そうであろうと想われる。そういう点と、近頃でも能を観に来られても常に写生をつづけていられる様ですが、その熱心さ、又良い素質が松園さんを今日あらしめたものの一部分をなしていると思う。
一流は一流を知ると申しますか……。
能を題材にする芸術家はいまよりも多かったんだろうと思われます。
その中で、文の中で挙げられている松園さん、今尾景年さん、下村観山さん
といった方々は心構えからして凡人と違っていたんでしょうね。
本物の狂人を観察し、能面を何枚も描き、それらの手応えを融合させて
「花がたみ」という傑作をものにしていく。
その姿勢に崇高を感じずにはおれません。
「花がたみ」は、実際に見るととても大きなサイズの大作です。
主題の照日前は鑑賞しているこちらと同等の身長なのです。
正面に立つと圧倒されるような、なぜだかごめんなさいと言いたくなるような、
形容しがたい痺れを感じます。
「序の舞」に代表されるような上村松園さんの描く「清冽」とはまるで違う、
底深い情念の威に気圧されてしまうのです……。
印象がずっと身体の奥に残って、「一生が少し変わった」と感じるほどに。
日本画に興味のない方にも一度は是非見ていただきたい名画だと思います。
ちなみに「花がたみ」は奈良の松伯美術館が所蔵されています。
こちらの美術館には他にも私の好きな「鼓の音」を始め、
上村ファミリーの名画コレクションを有しておられます。
↓鼓の音
事前に展示内容をチェックの上、是非お立ち寄りください。
また、上村松園さんの絵は人気があるのでしばしば各地の美術館でも
展覧会が開かれております。
客層の雰囲気も好ましいことが多く、松園さんの美人画の前で立ち止まって
じっと鑑賞されている老婦人とか、あなたこそが美人だと言いたくなっちゃいます。
ちなみに'17年8月現在では、北海道の旭川美術館で
これら「花がたみ」「鼓の音」を観ることができるそうですよ。
松園さんの美人画についていま思っていることは、現代の若い方にとっては
「花がたみ」「焔」のような情念あふれる作品の方が理解しやすく、
「序の舞」のような静かで凛とした作品は縁遠いのではないかということです。
↓序の舞。若い人……こういう女性を見たことありますか、憧れますか。
上の方で書いた通り、現代でも「狂ったキャラ」は人気があるというか
見たことがあるというか場合によっては実際に身のまわりにいたりとかで
一定の馴染みがあると思うのですけど。
「序の舞」「娘深雪」に描かれたような女性を……
リアルで見たことがないという方が多いと思うのです。
男性も女性も100年前とはずいぶん違ってきておりますので、
それ自体はいいも悪いもないのですが。
考えすぎかもしれませんけど。
100年後に支持されている美人、女性の生き方がどのようなものであれ、
上村松園さんの描いた美人画もまた尊重されている世の中でありますように。