青空文庫に、彫刻家高村光雲さんの懐古談が掲載されていてかんたんしました。
上村松園さんであったり、青空文庫は芸術家関係の文章を復刻してくださっているのがありがたいですね。
高村光雲さん(1852-1934)は写実的な生き物の彫刻で名高い方であります。
上野の西郷隆盛さん像、シカゴ万博に出品された老猿像、皇居の楠木正成像(原型の頭部&全体統括担当)等で有名な方でして、私としては数年前の皇室展でいくつかの作品を拝見して惚れ惚れしたのが記憶に新しいところです。
(感想)「皇室の彩 百年前の文化プロジェクト」東京藝大美術館 - 肝胆ブログ
↓ 参考:皇居の楠木正成さん像(だいぶ前に皇居見学したとき撮ったもの)
銅像が武将のイメージに与える影響力は大きいものがあると思います。
こうした立派な銅像がある限り、楠木正成さんへのリスペクトはそうそう衰えないことでしょう。
こちらの懐古談では、そんな高村光雲さんの生い立ちから晩年までを昭和初期に振り返ったものであります。
- 実家はけっこう暮らし向きが厳しかったこと
- 師匠の高村東雲さんへ弟子入りした経緯
- 幕末・明治維新当時の世相
- 師匠の死と独立
- 象牙彫りが海外向けに人気になる一方、木彫りは衰える一方であったこと
- 美術界の勃興
- 著名な作品の制作経緯
- 弟子の話
等々、多岐に及ぶ話材がどれも興味深いですね。
一つひとつの話が短編かつよくまとまっているので、暇つぶし的に読みやすい構成なのも地味にありがたいです。
変化の激しい時代を生き抜いた方だけあって、例えば浅草の大火事を振り返りながら「当時は火災保険なんてなかったしなあ」といった感想が出てきたりするのがいいんですよね。
民間の一私人の立場から、幕末~昭和のリアリティを語ってくれている感じが読んでいて楽しいんですよ。
高村光雲さんは上野・浅草の界隈で暮していたので、彰義隊の上野戦争を近所で見ていたとのことです。
「あした戦になるらしいっすよ」「マジか」みたいな会話をして皆で慌てたり、彰義隊壊滅後に群衆が寛永寺に押し入って寺宝を分捕る様が激しかったり、そうした群衆は後でそうとう厳しく絞られたようであったりと、「個人の感想です」ではありながらまことに興味深いものであります。
廃仏毀釈等により、伝統的な仏教美術が顧みられなくなっていた時代の話も濃いものがございます。
本所に螺旋寺という寺があって、そこに立派な百体の観音が納められていたが、そうした世相の中でお堂を壊すことになって、観音像はまとめて燃やして残った金だけ回収しようぜという話が進んで……少年期の高村光雲さんが頼み込んで出来の優れた観音像5体だけでも焼かれずにすんだ話ですとか。
本業の木彫りについても面白い話が様々。矮鶏や狆のモデル探しに骨を折った話や、老猿の材料となる木を求めて栃木県まで行った話等々。
老猿については、シカゴ万博でたまたまロシアの向かいに飾られたため、「猿=日本、猿の持っている鷲の羽=ロシア」といった風刺的な意味合いに取られて盛り上がってしまったという有名な「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」案件のことも語られていて楽しいですね。
制作の統括をした楠木正成像についても、天皇陛下に御覧いただく際、兜の鍬形と前立の剣とを楔で固定するのをうっかり忘れていて、御覧いただいている間、ずっと剣がゆらゆら風で揺れていたのにヒヤヒヤしましたというやらかしエピソードにくすりと笑ってしまいました。
全体を通じては、高村光雲さん、「慎ましやかだけど言うべきことはしっかり言う」タイプの人だったのかな、という印象を強く抱きました。
師匠没後の差配、彫工会立ち上げ時の木彫り代表者としての意見表明、大隈重信さんの妻 大隈綾子さんへのフォロー等々、強い言葉を使わずに意志を示しているのに好感を抱きます。
懐古談ですので後知恵的に言葉が整理されている面もあるかもしれませんが、現代より礼儀や筋目が煩わしい時代に、謙虚さと自分の考えを述べるのとを両立させている言葉遣いがとても勉強になりますよ。
高村光雲さんの人物や作品が、あらためて顕彰されるといいですね。
いずれまた高村光雲さんメインの展示会等開催されますように。