中世畿内史の研究で有名な馬部隆弘さんの新書が大手書店の目立つコーナーで平積みになっていてかんたんしました。
内容も大変面白いもので、こういう本が評価され売れるというのは世の読書家さんたちの目利きに安心感を抱いてしまいますね。
↓著者 馬部隆弘さんのインタビュー
今度は、細川家の家臣のなかから三好長慶が一歩抜け出す過程を具体的に描きたいと思っています。その次は長慶から信長への展開。生きているうちに家康まで辿り着くかどうか心もとないですね(笑)。もちろん、偽史を通じて、歴史学の今日的な役割も考え続けるつもりです。
こういうコメントを目にするとがぜん期待してしまいますね。
細川京兆家研究の本もすごくよかったので楽しみです。
「戦国期細川権力の研究」馬部隆弘さん(吉川弘文館) - 肝胆ブログ
さて、こちらの新書「椿井文書」。
江戸時代後期、椿井政隆(1770-1837)さんが中世の地図や絵図や家系図等を偽造しまくりそれらが近畿一円に流布された結果、現在も地域に「史実」として伝わり影響を及ぼし続けているという興味深い内容を紹介してくださる本になります。
事実はギャラリーフェイクよりも奇なり、というやつでしょうか。
本の目次としては、
- 椿井文書とは何か
- どのように作成されたか
- どのように流布したか
- 受け入れられた思想的背景
- 椿井文書がもたらした影響
- 椿井文書に対する研究者の視線
- 偽史との向き合い方
となっておりまして、椿井政隆さんの偽文書製作の工夫の数々に思わずかんたんしてしまったり、地域の相論や振興と複雑に結びついて偽史との指摘が届かなくなってしまう現実に唸らされたり、著者の「偽史でもニーズがあって受け入れられていく様を目の当たりにする中、果たして歴史学の役割とは……?」という葛藤が感じ取れたりと、250ページほどの中で濃厚な知見を与えてくださいます。
いちばん印象的なのはもちろん椿井政隆さんの偽文書製作技術で、
見る人が見れば偽物と見破れる隙をあえて入れ込んでいたり(露見した際に「冗談でつくったものですよ」と言い訳できるよう?)、
地域社会のニーズ(相論の正当性補完)を正確に汲み取って文書に反映していたり、
複数の古文書(絵図と家系図等)に同じ偽要素を入れることで信憑性を高めたりと、
ほぁぁ捏造マイスターすげぇ……と楽しむことができます。
いや、本当に読んでいて楽しいの。
著者もそんな椿井政隆さんの細やかな仕事ぶり偽装ぶりを楽しそうに看破しているのがいいの。
贋作ベースの話ではあるんですけどね、失われた伝説の技術を現代の職人が解明・再現に成功している! 的な謎のエモーションがありますよ。
実に優れた知的娯楽の書になっていると思います。
続いて印象的なのは、著者の馬部隆弘さんの課題意識ですね。
あくまで私個人による印象論ですが、馬部隆弘さんの研究は課題意識の視座が一段高いというか、単に個々の史実を明らかにしていくだけではなくて、「畿内統一権力が成立していく前提・条件とは何か?」ですとか、この本における「歴史学が果たすべき役割とは?」ですとか、常に念頭に置いている大テーマが明瞭で客観的で俯瞰的なのがいいなあと思うのです。
視座が高くて大きいために、ある種の余裕・度量が生まれているのかもしれませんが、当著においても椿井文書を「偽史です! 最悪!」みたいにぶった切っているのではなくて、「偽史が地域に受容されていく過程を明らかにできる、近世の精神史を把握する史料になる」といったポジティブな評価も与えておられるのがすごく素敵。
史料評価の重要性を当然前提に据えつつも、歴史学の幅を広げて、当時の社会との関係性までを射程に入れていくというのは大変意欲的ですよね。
こうした度量の大きさを、いち歴史ファンとしてもポジティブにリスペクトフルに受け止めたいところであります。
一方で、「見る人が見れば贋作とすぐ分かるんよ」と明言することで、椿井文書を史実として活用してきた方々のメンツをボロボロにしているのは若気の至りというものでしょうか。
度量を示す相手とぶった切る相手をはっきり区分けしておられるのが笑。
学問の世界にはある程度の感情混じりな論争があった方が活気が出ていいんでしょうけどね。
ただ、著者本人はよくても、我々読者・外野が一緒になって攻撃するのはスマートじゃないっすよね。
詳しく引用することは避けますが、馬部隆弘さんがかつてのお勤め先等で色々なことがあって、「歴史学の役割とは」「人文科学の今後は」等と葛藤されたくだり、ある種の読者層にはものすごく胸に来る内容だと思うんですよ。
こうした命題に対して、
もちろん私なんかが回答くさいことを言うことなどできませんし、
どこまでいっても人文科学は「分かる人にしか分からない」「自然科学のような全員完全一致の理解を求めにくい」「自然科学のように研究成果と社会発展の関連を読み解きにくい」面があるのは否定できませんけれども。
この本、椿井文書と馬部隆弘さんの関係がまさにそうであるように、人文科学においても、研究成果は必ず時代を超えて正当に評価されるときがくる訳ですし。
はっきり因果を見ることは難しいとはいえ、歴史学を含む人文科学は、いつの時代も統治者の判断の拠り所となってきた訳ですし。(さいきんでも、企業経営者のあいだではアートや歴史を学ぶのがあいかわらず流行っていますしね)
良質な研究を蓄積していくことは、時代を超えて必ず多くの人々に届き、世の中をよりよくしていくことに繋がっているのだと確信と自信を持っていただいて、引続き馬部隆弘さんのような方々が活躍なさっていくことを願ってやみません。
研究者の方々のモチベーションと生活能力が挫けることのないよう、これからも世の中から正当なフィードバックと報酬が届いていきますように。