肝胆ブログ

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「貞観政要 全訳注 感想」呉兢さん / 訳注:石見清裕さん(講談社学術文庫)

 

貞観政要の全訳注を読んでみましたら、古来から読み継がれてきたことも納得の素晴らしい本であることがひしひしと実感できてかんたんしました。

人の上に立つ人、あるいは人の上に立つ人に物申す立場にある人にとっては、座右の書とする価値が充分にあると言えましょう。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

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1300年以上読まれた「統治の教科書」不朽の古典、全文完全新訳。
とても読みやすい平明な訳文と、背景となる歴史がよくわかる解説でおくる、決定版!

 

□よき君主は諫言に傾聴する□
唐王朝(618-907年)の第二代皇帝にして、王朝の最盛と謳われる七世紀「貞観の治」をなした皇帝・太宗が、広大な版図を治め、王朝を栄えさせるために、臣下と議論を交わし、ときには痛烈な諫言を受け入れた様を描いたのが、この『貞観政要』全十巻四十篇です。

「私の非が明らかにならない理由は、官僚たちが従順で、皇帝の機嫌を損うのを憚かっているためだろうか。そうならないように、私は虚心に外からの忠告を求め、迷いを払いのけて反省しているのである。言われてそれを用いないのであれば、その責任を私は甘んじて受け入れよう。しかし、用いようとしているのにそれを言わないのは、いったい誰の責任であるか。今後は、各自が誠意を尽くせ。もし私に非があれば、直言して決して隠さないように」(本書 巻二「任賢」より)

 

□「人の上に立つ者」のために書かれた□
太宗が死して60年余が過ぎ、国史編纂に携わる歴史家の呉兢によって編纂されたこの書物は、唐王朝が変革のときを迎えようとする時代にあって、貞観の治世を手本とするよう、当時の皇帝に上進されたものでした。

 

□日本人も古代から読み継いだ□
平安時代の日本にも伝わると、以来江戸時代を経て現代に至るまで、統治者の心構えを説く必読書として読まれ続けてきました。
徳川家康明治天皇も読んだと言われる、「主君のための教科書」です。

 

□ビジネスの智恵として□
現代にも通じる、人材育成、組織統治、コミュニケーション術の要諦を説く一冊として注目されています。

 

歴史学の眼で「全文」を読み解く□
貞観政要』が描くのは「理想の君主」像だけではありません。
長く皇帝の座にあった太宗は、やがて怒りやすくなり、傲慢で贅沢になり、直言を嫌がるようにもなっていきます。
・なぜ編者・呉兢は、そのようなことまで記したのか
唐王朝はいかなる歴史の中で築かれたか
・実像の皇帝・太宗はどのような人物であったか
歴史学者ならではの鋭い分析とわかりやすい解説で、本書の「本当の意義」を読み取ることができます。

 

 

貞観政要、名前くらいは聞いたことがある方も多いと思います。

 

さいきんは漫画センゴク徳川秀忠さん評で「創業守成」草創と守成、いずれが難きや)という有名なフレーズが引用されていましたね。

徳川秀忠さんは平和時の守成を導くという意味では最高の才だよね的な取り上げがされていました)

 

北条政子さんが愛読していたらしい」「徳川家康さんも愛読していたらしい」「明治天皇も愛読していたらしい」とかの風説も相まって、帝王学のテキストとして扱われることに定評がございます。

 

 

そういう訳で一度全文を読んでみたいと思っていたところ、ちょうど講談社学術文庫から全訳注が出ていたので読み通して見た次第なのですが、これが想像以上に良い本で買ってよかったなあと感激しきりなのですよ。

 

この本は、上で引用した出版社の記載にもある通り、

  • 貞観政要の全文が載っていて、名言つまみ食いではなく、「こんな章もあるんや」的なところまで載っている
  • 訳注の石見清裕さんが、文学者ではなく、歴史学者として「唐・太宗の置かれた状況」「貞観政要執筆時の状況」を客観的に解説してくれている

 

ところが素晴らしいなと。

 

 

具体的に感想を申しますと、

 

始めのうちは、太宗さんが魏徴さんたち臣下からの諫言を望み、諫言をしっかり受け入れている姿を中心に描かれるので、「さすが名君と呼ばれた帝王は違うな」「人の上に立つ者こうあるべし」みたいな感じに感動できるのですけど、

 

途中からだんだん、太宗さんが「俺に諫言するんなら言い方てものがあるやろ」みたいな空気を出し始めたり、諫言を受け容れた風にしながら実際はスルーして民に無理を強いたりする姿をビビッドに解説いただけるので、「……諫言って、伝え方が大事なんやな」「どれだけ名君と名臣が闊達に意見しあっても、どないもならん時もあるわな」と、たいへん現実的な場景を読者にお見せいただけるのです。

 

 

一般的に貞観政要いいよねというと前者の太宗さん名君ムーブが着目されると思いますし、実際に素晴らしい内容ではあるのですが、個人的には後者の太宗さんもやっぱり人間なんや過度な幻想いだくよりも実際的な苦労や限界も見逃したらあかんで的な内容もしっかりと心に刻んでおきたいと思いました。

 

名君と称される太宗さんですら皇帝を続けるうちに驕りの部分や素直に諫言を受け容れない部分が出てきた、という現実をしっかりと認識することで、我々凡庸な人間はなおさら「偉くなっても、偉い立場を長く続けても、驕ってはいかんよな」という戒めの気持ちがより湧いてくるでしょうし、

偉くて人格が立派とされる人に対して耳に優しくないことを言わねばならない時には「この人なら何言っても聞いてくれるやろ」と甘えるのではなく、「失礼のないよう、心広く聞いていただけるよう、言い方伝え方に気を配ろう」という姿勢になれるんじゃないかなと思います。

 

そういう点で、この本はまさしく座右の書、時々読み返してみて自分に驕りがないか、偉い人に甘えていないか、セルフチェックできる本だと言えましょう。

手元にいつも置いておきたいと思える本に久しぶりに出会えて、とても幸いです。

 

 

いつの時代も上司は諫言を素直に受け入れられない、部下は諫言を率直に伝えることができない、というのは不幸のもとですから、貞観政要のような本が誰でも読める現代のありがたさを存分に活かし、フランクな諫言コミュニケーション文化が世に広がっていきますように。

けっして帝王だけが読んでおけばいいという本ではないと思います。

 

 

 

<参考:巻十「慎終」より>

 

こういう諫言、帝王と臣下のやり取り、ほんとすごいと思います。

 

 

房玄齢さんから太宗へ

「陛下は謙遜の気持ちが強く、功績を臣下のものとしています。これほど太平の世を実現したのは、元より陛下の徳によるものであり、臣下には何の力がありましょうか。ただ陛下にお願いしたいのは、この初めの美点を最後まで全うしてほしいということです。そうすれば、天下はいつまでも陛下を頼りとするでしょう」

 

 

太宗さんと魏徴さんのやり取り

貞観十六年(六四二)に、太宗は魏徴に言った。

「これまでの帝王たちを見ていると、天子の位を十代にもわたって伝えたものがいれば、一、二代しか伝えられなかった者もおり、なかには自分一代で滅んでしまった者もいる。だから、私はいつも心配なのだ。ある時は、人民をいたわり養うのに、その方針が当を得ていないのではないかと心配になり、またある時は、自分の心に驕りやわがままが起こり、喜びや怒りが度を過ぎているのではないかと心配になる。こういうことは自分自身ではわからないので、そなたはそういう点を進言するべきである。私は、必ずそれを手本とする」。

魏徴は答えた。

「欲望や喜怒の感情というものは、賢者であろうと愚者であろうと同じです。しかし、賢者はそれを制御して、度を過ぎるということがないのに対し、愚者はそれに流され、多くは身を持ち崩してしまいます。陛下は優れた徳と深い思慮をお持ちですから、安泰な時でもしくじりがないかを心配されています。どうか陛下にお願いしたいのは、常に自分の心を制御され、それを保ち続けて有終の美を飾ってほしいということです。そうすれば、わが国は万世まで陛下の御恩を被ることになるでしょう」。

 

 

他の章や解説を読む限り、どうやら太宗さんは即位して時が経つと、だんだん度が過ぎた造営や狩猟で民に負担を強いたり、人事面で贔屓したりといったムーブが増えていたようです。

 

そういう背景を踏まえた上でこれらのやり取りを見ると、おそらく太宗さん自身が「やり過ぎたかな、民がキレたらまずいよな」という不安を内心では抱いているのでしょうし、房玄齢さんや魏徴さんも「やり過ぎてるぞ」「晩節を汚すような真似はするなよ」と伝えざるを得ない局面があったのでしょう。

 

そうした中で、「君らから見てまずいと思ったらちゃんと言ってね」と臣下に伝える太宗さんもやっぱり立派ですし、房玄齢さんや魏徴さんが「いや~陛下はめっちゃ立派な人ですから僕らいつも最高やなと思ってますけど、あえて言えばこういうことですかね~」と最大限太宗さんのプライドを刺激しないようにしながら言うべきことはちゃんと言っている命がけの忠臣っぷりも立派だと思うんですよね。

 

 

人間って権力を帯びると、こういうやり取りなかなかできないと思いますの。

 

日ごろこんな機会もあんまりありませんが、こういうやり取りができるように心構えは持っておかないとなあ。