陰陽師「夜光杯の巻」、際立った妖や悪人は出てこない代わりに安倍晴明さんと源博雅さんの仲良し&どっちもスゲェ描写が多くて安定した巻やなあと読み進めていましたら、最後のお話「浄蔵恋始末(じょうぞうこいのあれこれ)」がまっとうに恋愛ものとしてキュン死にさせてくれる内容でかんたんしました。
以下、じゃっかんのネタバレを含みますのでご留意ください。
当巻に収められているお話は次の通りです。
- 月琴姫 源博雅さんのモテっぷりが半端ない話
- 花占の女 陰陽師らしい怖くて哀しい話
- 竜神祭 源博雅さんの笛がスゴ過ぎる話
- 月突法師 仏教説話っぽい話
- 無呪 源博雅さんの笛がスゴ過ぎる話
- 蚓喰法師 陰陽師らしい不思議でユーモアのある話
- 食客下郎 陰陽師らしい不思議で少し怖い話
- 魔鬼物小僧 陰陽師らしい哀しい話
- 浄蔵恋始末 憧れるような恋の話
一つひとつ、陰陽師らしい不思議な題材を扱いながら、安倍晴明さんがクールで頼もしかったり源博雅さんの笛がこの世を揺らしたり二人がめっちゃ仲良かったりするお話が収められています。
冒頭申し上げた通り、最後の「浄蔵恋始末」が「自分もこんな風に誰かを愛せたら/愛されたら」と読者が悶えること間違いなしな内容ですから、陰陽師シリーズらしい安定感と陰陽師シリーズでは珍しいピュアラブの両方を楽しめてお得な巻だと思います。
いくつか印象に残った文章・会話を引用します。
あえて「浄蔵恋始末」からは引用しません。
「どこぞの姫に、懸想でもして、後でつれないことでもしたのではないか――」
「そういう話にしたがるのが、おまえのよくないところだぞ、晴明」
夜ごとに博雅さんの枕元に立つ異国の姫君の話を受けて。
晴明さん、博雅さんの女性関係にいつも探りを入れるところがありますよね。
月光の中に、庭一面の白菊が咲いている様は、ただみごとという他はない。
「なんと、美しい……」
細い息を吐くように、博雅は言った。
菊の数、およそ一千本。
それが、月光の中で、いよいよ濃く匂ってくる。
某依頼人の庭の菊。
平安時代という舞台・風流を存分に活かしていて、描写力を感じますよね。
幾千万の神々が、感応し、月光の中で踊っていた。
博雅は笛を吹き続けている。
これまでの中でも最上級に冴えわたる博雅さんの笛。
本当に、晴明さんでも蘆屋道満さんでもできないことを無自覚にやってのけますね。
「なあ、晴明よ、何故、このわしに何も求めぬのだ」
(中略)
「だから、このわしが、自分でも気づかぬうちに、ぬしの味方をしているのさ」
何度も晴明さんに助けられ、かつ、晴明さんからは何の褒美も求められないため、いつの間にか晴明さんの味方をするようになってしまっている藤原兼家さん。
「これは晴明の呪にかけられたのでは?」と自問自答している辺り、現実の政治の世界に生きる者としてのリアリズムな感性を感じられて、この人物にも好感を抱きますね。
「実はな、このところ、おれは夜に船岡山に出かけていたのだ」
「何のためだ?」
「きまっているではないか、笛を吹くためだ」
当然のように答える博雅さんがほんと素敵。
おかげで、これからは船岡山を見ても合戦ではなく博雅さんを先に思い描けそうです。
藤原将之が、伊勢の五十鈴川で、立派な鏡を手に入れたという噂は、あちらこちらに流れ、
「それはぜひとも拝見したいものじゃ」
そういう者たちが現れた。
「では、鏡を前に、酒でもいただきながら、歌や詩のひとつふたつも作ろうか」
そういう話になった。
こういう思考回路で登場人物たちが当然のように動いている描写が、平安時代小説という感じがしてほんと好き。
「この世に、おまえがいてよかったと、おれはしみじみと今、そう思っているのだよ、晴明――」
「馬鹿……」
「馬鹿?」
「そのようなことを、ふいに言うものではない、博雅――」
「何故だ」
「おれの心にも準備というものがあるからだ――」
「ふうん」
ごちそうさまです!
等々。
夢枕獏さんは、いつもグッとくる場景を描き続けてくれていて、本当にすごいですね。
安定的にヒット作を世に出している方自体が不思議な存在ですわ。
また平安時代の大河ドラマも始まるみたいですし、平安時代を巧みに活かしたコンテンツがこれからも登場してくださいますように。
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