スッラという古代ローマの男にかんたんしました。
以前書いた「ローマ人の物語」感想の続きになります。
私の一番好きなローマ人、スッラさんを紹介します。
ルキウス・コルネリウス・スッラ。
政治家であり、軍人であり、独裁者であり、
虐殺者であり、快楽主義者。
しかもそれらすべてで一流という希有な才覚の持ち主であります。
活躍した時代は共和政期と帝国期の狭間。
ハンニバルと対峙したスキピオ。
帝政への道を切り拓いたカエサル。
その超有名な両者の間を埋める英雄のひとりがこのスッラさんなのです。
名門コルネリウス家に生まれたのですが、
若い頃は大変貧乏だったそうです。
一戸建ての家を買えず、現代で言う賃貸アパート暮らしだったとか。
ただ、めちゃくちゃ頭がよかった。
コミュ力も抜群に高かった。
何より、匂い立つような美少年だった。
娼婦の姉ちゃんたちに貢いでもらって学問を深めたという
羨ましい逸話が残っているくらいです。
有能で人柄のよい没落貴族のイケメン、そりゃモテますよね。
そういう訳で貧しい生まれ育ちながら、
このスッラさんはすくすくと出世していったようです。
この頃のローマは。
ハンニバルさんを輩出した大国「カルタゴ」を滅ぼし、
地中海の覇者となった後なのですが。
急速に広がった領地をもうひとつ上手く纏めていくことができず、
対外戦争と内乱がそれぞれ頻発していたのです。
そして、スッラさんは内乱と対外戦争を同時に抱えながら、
最終的に両方で大勝利するという異次元の戦果をあげるのでした。
エピソードの一つひとつがまた面白い。
大雑把に時系列で書いていきますと。
内乱で失脚したかと思えば、躊躇なく首都ローマを武力占拠(ローマ史上初)。
不安定なローマを後にギリシアへ遠征。
ローマでは案の定スッラに敵対する派閥が巻き返すも、これをシカト。
ギリシアの神殿から財宝を奪って戦費調達し、そのまま対外戦争に突貫。
三万(スッラ)vs十一万(敵対国)で戦って、あっさり勝利。
敵の戦死者と捕虜は合わせて十万、味方の戦死者は十二名という訳の分からなさ。
続く第二戦でも圧勝。敵軍を片っ端から捕虜にして売り飛ばして戦費調達。
そろそろ内乱の方にも手を付けなければならないスッラさんは、
いいタイミングで敵国の王を恫喝して和平成立。
交渉術も格好いい。少し長いのですが、ローマ人の物語から引用します。
迎えたスッラは、王に椅子を勧めるどころか、差し出された手も受けずに問いかけた。
「わたしの提示した条件で、あなたは講和を受け入れるのか」
礼儀を無視されて、ミトリダテス(注:敵国王)は、怒るよりも不意を突かれた。不意を突かれて、彼は黙ってしまった。スッラは待たなかった。
「問いかけられた側が、答えるべきである。勝者は、無言でいることもできるのだ」
ミトリダテスは(弁明が続く。省略)
「ポントス王のミトリダテスは、演説の名手であるという評判は以前から聴いていたが、その評判の正しさを、今わたし自身が納得する想いだ。しかし、この場ではそのようなことをしている暇はない。あの条件での講和に、是か非かだけを聴きたい」
不意を突かれっぱなしのミトリダテスは、思わず「イエス」と答えていた。
ここではじめて、スッラは、六歳年下のミトリダテスの右手どころか両腕までとり、手をとっただけではなく肩まで抱きながら、調印の卓に伴ったのである。
塩野七生さんによる脚色も多分に入っているとはいえ、
実際にとんでもないスケールの男だったのでしょう。
この後も快進撃は続きます。
イタリアからやってきた反スッラ派の軍勢を相手にしたと思ったら、
相手軍勢三万五千人が全員スッラに寝返り。
集団脱走に気づいた相手の敵将は、気の毒なことにそのまま自死を選んだそうです。
さあ、対外戦争を片付けたスッラさんがイタリアに帰ってきました。
反スッラ派は大慌てです。
スッラはゆっくりとイタリアを掌握しながら進軍し、
敵方の軍勢をすべて粉砕した上で、再びローマを制圧します。
ここからスッラさんの虐殺が始まります。
反スッラ派の面々は全員「処罰者名簿」というリアルデスノートに名を記され、
カエサルなどごく一部の例外を除いて、ことごとくが処刑されました。
ひでぶ。
その数、一説には四千人を超えるとか。
更にスッラさんはローマ史上例のない「任期無期限の独裁官」に就任します。
……これ、ほぼ皇帝ですよね。
スッラの虐殺から逃げ延びたカエサルさんも後に終身独裁官になりますが、
こうした「プレ皇帝」はスッラさんから始まったのです。
では、独裁者になったスッラさんが皇帝染みた政治を行ったかというと。
実はまったくの逆なのです。
これまでの内乱はざっくり言うと「元老院派」と「民衆派」の争いだったのですが、
スッラさんは「元老院派」。
貴族などのエリート層による合議で国を運営しようというスタイルです。
スッラは2年ほどをかけて、この元老院派の権力を強化しまくります。
独裁者でありながら、貴族や新興騎士たちの力を存分に高めはったのです。
そうして、独裁官就任の僅か2年後、「政界を電撃引退」。
暗殺されることもなく、別荘に引き籠って、釣りや散策や回想録執筆などに耽ったり、
喜劇役者や喜劇作家や喜劇詩人やらときゃいきゃい楽しくご飯を食べたり、
三十五歳年下の妻と乳繰り合ったり、男娼といちゃいちゃしたりして過ごすのです。
そのまま1年ほど面白おかしく暮らして、ぽっくり死亡。
遺体は恩顧の軍兵によってローマに送られ、国葬の扱いを受けます。
燃えあがる火の手を眺めながら、スッラに心酔していた者も敵対していた者も、このときばかりは抱いた想いは同じだった。死に方といい、前代未聞の壮麗な国葬といい、スッラはやはり幸運な男であった、と。
墓碑にはスッラさん自身が考案した碑文が彫り込まれました。
「味方にとっては、スッラ以上に良きことをした者はなく、敵にとっては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし」
……いかがでしょう。
実にユニークでグレートな男だと思いませんか(笑)。
塩野七生氏は彼の能力を充分に認めながらも、こう評しています。
スッラは、「元老院体制」としてもよいローマ特有の共和政という「革袋」を、懸命に修繕しようと努めたのである。あちこちのほころびもただ単に古くなったがゆえであり、丈夫な皮きれをあてて補強した革袋の中には、新しい葡萄酒を入れれば、まだ充分に使用可能であると信じていたのだった。(中略) 「革袋」はもはや捨てるしかなく、捨てて新しいものを創り出すしかないという考えは、彼らの理解を越えていたのである。
他のローマ特集などでもスッラさんは概ね似たような見方をされていて、
「本人は有能だったけど、死後、スッラが成した元老院体制はすぐに崩壊した」
「やっぱりカエサルのように帝政へ進まないとね。元老院派じゃダメだよダメダメ」
みたいなコメントがつくことが多いように思えます。
ここからは完全に私見ですが。
……皆さん、男という生き物を真面目に捉え過ぎだと思います。
「才覚ある人物はその生涯を政治なり仕事なりに費やすべき、費やしたはず」という
前提で議論されているのだと思うのですが。
実際、大抵の才覚ある人物はそのように生きているかもしれないのですが。
スッラは、そんな単純な人物ではないように思えるのです。
私は、スッラが人生で最も実現したかったのは晩年の1年間の暮らし、
趣味やトークや愛欲に塗れた暮らしだったのではないかと妄想しています。
特に根拠はないです。
そう考えた方が面白いからです。
恋人が待っているから、徹底的に反対派を虐殺して政局を安定させるスッラさん。
老後の時間が欲しくて、「王」「皇帝」という終身職には就かなかったスッラさん。
もうここまでやったからええやろと、独裁官から突然引退しちゃうスッラさん。
元老院派とか民衆派とか正直どうでもよくて、近道を選んだだけのスッラさん。
なんといってもスッラさんは古代の人間ですから。
古の神々、多神教の神々ってこんなキャラクターばかりですしね。
だいたい、スッラほど頭が良ければ、自分が死んだ後のことくらい
概ね想像がついてそうなものだと思うのですよ。
少し真面目なことを言えば、政治や経営って試行錯誤の連続になる訳ですが、
ときには「極論に振る」というプロセスも必要なんです。
極論に振って上手くいけばそれでよし。
上手くいかなかったら、「極論でも駄目だったのだから」という風を利用して
大きく方向転換するもよし。
なんかそんな心理だったんじゃないかな、と。
素人がこんな妄言吐いていると怒られちゃいますかねえ。
いずれにせよ、こんな魅力的なスッラさんがドマイナーなのは残念です。
少しずつ少しずつ、スッラさんの知名度が向上していきますように。
「スラ(スッラ)」モンタネッリ版ローマの歴史より - 肝胆ブログ