肝胆ブログ

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「信長上洛~京都・織田信長入京から450年~展の感想」京都文化博物館

 

松永久秀さんや織田信長さんによる足利義昭上洛作戦の本を読んだところ(前記事)、ちょうど京都で信長上洛展をやっていたので別件のついでに観に行ってきました。

 

そしたら、三好長慶さんや松永久秀さんがまじめに京都の治安を守っていたことが偲ばれる文書を見ることが出来たり、有名な三好宗渭(政康)さんのおしどり型の生花押を見ることが出来たりと、思った以上に満足度の高い展示でかんたんしました。

 

 

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開催要項


 永禄11年(1568)9月26日、織田信長足利義昭を奉じて京都の東寺に入りました。室町幕府の実権を握っていた三好勢は各所で抵抗を試みますが、織田の軍勢に圧倒されて敗退を重ね、間もなく京都は織田信長が制圧するところとなったのです。そして10月18日には足利義昭征夷大将軍となり、室町幕府は信長の軍事力を背景にようやく秩序を回復させたのです。この後、信長は抵抗する諸勢力と戦いを繰り広げ、ついには足利義昭を京都から追放し、天正10年(1582)に本能寺で最期を迎えるまでおよそ14年間京都周辺を中心に活動しました。
 織田信長の上洛は、日本史上の大きなインパクトとして広く知られています。旧来の秩序を破壊し新たな時代を切り開いた改革者としての織田信長の人物評は、おそらくこの上洛の一件以降の事象から想起されたものでしょう。信長の上洛をもって近世が始まったと唱えた歴史研究者もあり、信長の上洛はその事実以上に大きな意味を後世にもたらしています。果たして「信長上洛」とは何だったのでしょうか。
 この展覧会では、織田信長の上洛前後の様相を伝える古文書を中心に、当時の京都の世相を伝える資料を展示すると共に、織田信長という人物とその行動が後の世にどのように語られていったのかについて、検証してゆきます。

 

 

 

京都文化博物館京都市の中心部にあるので、アクセスがよくていいですね。

日本銀行京都支店を転用した建築も見応えがあります。

 

信長上洛展は総合展示コーナーの一角でやっている小規模なものですので、通常展示と合わせて500円で見ることが出来ます。

現地に行ってみるとまったくアピールされていなくて、本当にやってるのかな……? と不安になるレベルです。

お客さんも数人しかいませんでした……。

 

 

特別展の西尾維新さんのやつはすごく盛況で若い人がいっぱい来てはりましたけどね。

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パンフの1ページ目。

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織田信長弾正忠さん上洛時の禁制(東寺に乱暴しちゃ駄目よ文書)ですね。

画像では分かりにくいかもしれませんが「天下布武」印も押されております。

 

これも有名な文書ですから信長さんファン的には必見ではないでしょうか。

 

 

 

パンフの2ページ目。

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実際の展示はこの「信長上洛前夜」から始まります。

 

少しずつ三好時代の努力が知られるようになってきており、この展示でも「応仁の乱以降京の治安は乱れていたが、三好長慶は治安維持に努めた、ただ彼の死後は再び……」という紹介のされ方になっているのが嬉しいですね。

 

パンフやHPでも三好長慶松永久秀の書状が紹介されておりますし、実際の展示では三好長逸・宗渭連名の書状や三好康長さんの書状なんかも出ております。

 

三好長慶さんの折紙書状の内容は

「東寺で徴税担当をやっていた親子が不正をしたあげく証拠の升を持って逃げたのは言語道断である、そいつらの一族を捕らえ調べ上げなさい、新しい升をつくるのは許可しましょう」的な内容。

 

松永久秀さんの書状は

「盗っ人を捕らえたのは立派なことです。ただ、他の仲間は逃げたままなので、しっかり調べ上げて仲間も捕らえますように」的な内容です。

 

私の適当意訳なので内容は正確ではありませんのでご留意ください。

 

それにしても悪いやつが多いもので、三好家単独で京の治安維持を担っていた長慶さん久秀さんのご苦労を思わずにはおれません。

あるいは己の曽祖父も京の治安を乱していた張本人なのでこれも因果なんでしょうか。

 

久秀さんは他にも「落雷で塔が焼けたのは大変だったけど気落ちせず、来世のためにも再建に努めるのが肝心だと思いますよ」みたいなお寺への書状が展示されていて、きめ細やかなお仕事ぶり心配りぶりが察せられますよ。

 

 

 

この三好家関連コーナーの目玉は、個人的には三好宗渭さんの書状だと思います。

展のHPにも載っていないので見に行っていただくしかないのですが、あの有名なおしどり花押が生で見れますからね。

三好政康 花押 - Google 検索

 

まことにユニークなかわいいデザイン。

後の伊達政宗さんの鶺鴒花押とかにも通じるような。

 

刀の目利きといい、ほんま宗渭さんはセンスいい人やったようです。

お父さん(三好宗三)ゆずりの数寄心なんでしょうね。

 

 

 

パンフの3枚目。

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信長さん上洛後の行政文書を中心に展示されています。

後期(8/7-9/2)になると明智光秀さんの書状なんかが多く展示されるようですよ。

 

個人的に印象に残ったのは、細川藤孝さんの書状類。

とりわけ、織田信長さんと足利義昭さんの関係が悪化した頃のお手紙には織田信長の出方をよくよく見極めることにしょう」みたいなことが書かれていて、幕府と信長さんの間に挟まれた彼の難しい状況に思いを馳せずにはおれませんでした。

 

 

 

「その後の「織田信長」と京都」の展示では、明治時代以後に信長さんが勤王の人として人気が出てきて、建勲神社が設立されたり、時代祭で信長さん上洛シーンが再現されたり……と確かに京都らしい内容の記録が紹介されております。

時代祭の写真、信長さん役の男性がけっこう優男系のハンサムさんで、しばらく眺めてしまいました(笑)。

 

 

 

 

信長上洛展の隣でやっている「後藤家の軌跡展」では、同じく戦国時代末期に金工で知られた後藤勘兵衛さんと、加藤清正さんや小堀遠州さんとの手紙のやり取りなんかが展示されていて興味深かったです。

 

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虎狩りで知られる加藤清正さんに「虎皮」をお贈りしていたり、小堀遠州さんに「松茸を贈りますね、この前のやつと違って瑞々しくてうまいよ!」とアピールしていたり、当時のプライベート感あるお付き合いの様子がなんだか面白いんですよ。

 

 

 

京都文化博物館は建物もいいし、漆喰製のまゆまろさんもいますし、素敵ですね。

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おいおい祇園祭の宵宮や山鉾巡行もありますし、観光がてら文化博物館に立ち寄って「信長上洛展? ふーん、三好家ってのもいたんだね、クールじゃん」と覚えてくださるような奇特な人が少しでも現れますように。