肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

東京都荒川区の「ゆいの森あらかわ/吉村昭記念文学館」

 

東京都荒川区に新しくできた「ゆいの森あらかわ」、および内設の
吉村昭記念文学館」にかんたんしました。

 

東京都荒川区立図書館 ゆいの森あらかわ

 

吉村昭さんが好きですし、旅先の町の図書館に寄ってみるのも好きです。

吉村昭さんの記念文学館ができたという話を受けて、他の用事のついでに
荒川区まで足を延ばしてみました。

 

建物としては荒川区立図書館「ゆいの森あらかわ」が新たにオープンして、
その中に「吉村昭記念文学館」が設置されているという構造です。

 

順番に感想を申し上げますと、「ゆいの森あらかわ」(図書館部分)
新築なので当然きれいで席も多くて蔵書も多そうで羨ましい限りなのですが、
とりわけ

 ・絵本・児童書コーナーが充実している
 ・0歳~小学校入学前の乳幼児向けプレイルームがある
 ・館内に飲食OKの座席がある
 ・併設のカフェに貸出前の本が持ち込める

というところにかんたんいたしました。

家にちびっ子がいるとなかなか本も読めませんが、この施設に来れば
子どもをプレイルームで放牧しつつ読書を楽しむことができそうです。


オープンして1箇月とのことなのですが、これらの美点が早くも口コミで
広まっているのか、館内には子連れの親御さんがたくさんいらっしゃいました。

子どもで賑わっている図書館というのは素晴らしいことだと思います。
ぜひ本好きの次世代が増えていってくださいますように。



図書館でぱらぱら目についた書籍を眺めていたところ、
「世界の美しいボタン」という本が印象に残りました。

世界の美しいボタン / PIE International

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宝石のような美しいデザインのボタンですとか
野菜・果物型のかわいい子ども向けボタンですとか
いろいろ気になるボタンが掲載されているのですが、
まったく知らなくて「おお」と思ったのが「薩摩ボタン」です。

日本の幕末期、ヨーロッパではジャポニズムが起きていました。

その中で目ざとい薩摩藩は伝統の「薩摩焼」技術を活用して
西洋人向けのボタンをこしらえ、ばしばし輸出していたのだとか。

一説にはこのボタン輸出で戊辰戦争の軍資金を捻出したそうですから、
けっこういい値段で売れたんでしょうね。
写真を拝見すると確かにとてもきれいで、菊柄やあやめ柄のボタンなど
思わず欲しくなってしまいました。

 

 

続いて吉村昭記念文学館です。

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2-3階にまたがる施設で、吉村昭さんの経歴を紹介するコーナー、
書斎を再現しているコーナー、映像化作品を紹介するコーナーがございました。

とりわけ吉村昭さんの生い立ちや作品群については生原稿や取材日誌などを
豊富に陳列されていて、たいへん興味深かったです。


個人的に驚いたのは戦前の日暮里界隈(吉村昭さん生誕地)の古地図で、
狭い町内に映画館が3箇所もあったという点です。
現在は荒川区全域でも映画館は1つもないそうですから、
本当に、かつての映画は娯楽産業のど真ん中オブど真ん中だったんですね。


また、以前は別の荒川区立図書館に吉村昭さんコーナーがあったのですが、
なんと少し前に天皇陛下が見学に来られたのだそうです。

天皇陛下吉村昭さんがお好きなんでしょうか。

吉村昭さんの作品は事実を淡々かつ丹念に描写していくスタイルで、
あまり偏った主義主張は入ってこないという特徴があります。
加えて、災害や戦史や漂流や難工事などを通じ、人の生死や生命のありようを
深く深く探求していくテーマの作品が多いですから、天皇陛下の公務や祈念に
通じるものがあるのかもしれませんね。

 

この記念文学館は、荒川区長さんの強い思いで実現した様子でした。

いくら吉村昭さんが郷土の英雄とはいえ、いまどき特定の作家や芸術家を
行政方面からプッシュするのは勇気がいることだと思います。
(実際、生前の吉村昭さんは税金をつかって自分のコーナーをつくるのは
 固辞されていたとのことです)

それを、子どもも含めて全世代に親しまれそうな素敵な図書館の中に
記念館をこしらえ、自然な形で区民の生活に浸透させていこうという
計らいは、たいへん“粋”ですし、“意気”に感じます。

吉村昭さんは現在そこまでメジャーな作家さんではありませんが、
定期的に再評価されるに違いない方ですし、こうした記念館設置は
意義深いことだと思います。

このうまいやり方は、各自治体による地域の歴史とのつきあい方として
参考になるのではないでしょうか。

 

今回、まだまだ読んだことのない作品がたくさんあるなあ……と痛感しました。

数えてみたら、吉村昭さん作品を20冊程度は読んだことがあるのですが、
膨大な作品群の中では1合目か2合目を登ったばかりというところの模様。

これからも少しずつ気になる作品を読んでまいりたいと思います。

 

 

以上、荒川区の「ゆいの森あらかわ・吉村昭記念文学館」のご紹介でした。

東京駅や上野駅からも遠いのでなかなか行くのは大変ですが、
都電荒川線なんかを使ってぶらぶら出かけてみるのも楽しいですよ。
東京と思えないほど昭和な町並ですので、暮らすにはすごくよさそうです。



私の地元の図書館もいつかこんな感じにリニューアルされますように。
南北朝~江戸時代あたりの歴史を掘り下げるコーナーを併設してほしいです。

 

 

「幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版」青木直己さん(ちくま文庫)

 

漫画/ドラマ「ブシメシ」の原作、「幕末単身赴任 下級武士の食日記」に
かんたんしました。

 

筑摩書房 幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 / 青木 直己 著

株式会社リイド社 » 勤番グルメ ブシメシ!

幕末グルメ ブシメシ! | NHK プレミアムよるドラマ

 


2日続けて和歌山に縁のある話で、
先日紹介した土山しげる先生にもかかわる話になります。

 

漫画「ブシメシ」(土山しげる先生)、あるいは
少し前に放映されたドラマ「ブシメシ」(NHK)をご存知でしょうか。

私は例によって土山しげる先生のグルメ漫画を集めている関係で知りました。
江戸ものグルメ漫画としては「銀平飯科帳」(河合単先生)と並んでお気に入り。

ドラマ「ブシメシ」はいかにもNHKドラマらしい脚色演出でして、
草刈正雄さんと戸田恵子さんの夫婦演技がお気に入りです。


で、NHKドラマ「ブシメシ」の原作が土山しげる先生の「ブシメシ」で、
土山しげる「ブシメシ」の原作がこの「下級武士の食日記」で紹介されている
酒井伴四郎日記」であります。

なんかややこしい説明ですみません。



酒井伴四郎さんは幕末の和歌山藩の武士でございまして、
仕事は衣紋方……殿様などの衣装を取り扱う職務です。

この日記は万延元年(1860年)に伴四郎さんが江戸藩邸勤務となった際の
ものでございまして、当時の文化習俗や風聞、政治動向が分かる資料として
重宝されているものでございます。

 

1860年と言えばペリー来航から8年後、桜田門外の変が起こった頃です。
幕末真っ只中です。

幕末と言えば新撰組だとか龍馬暗殺だとか白虎隊だとか人斬り抜刀斎だとか
とりあえず不穏で血生臭い世情を想起する人も多いかと思いますが、
この日記はどちらかというとお気楽というか太平楽極まりない内容で、
なんか創作の幕末ものと随分印象が違うなあ……という代物なんですよ。


まず仕事内容がユルい。

江戸に向かう道中こそ大雨が続いて大変だったのですが、
江戸についてからは本当にユルいのです。
(なお、道中では六角義賢さん由来のうばがもちを召し上がってます
 「六角義賢と滋賀県草津市のうばがもち」 - 肝胆ブログ )



徳川御三家の殿さまの衣装関係業務と言えば難しくてかつ忙しそうなところ、

六月の勤務は午前勤務が計六日。
七月はまるまる休み。
八月の勤務は午前勤務が計十三日。
と、ほとんど働いていない。

当時の下級武士はポスト不足で日頃仕事がない者も多かったと聞きますが、
あらためてこう日数を確認してみるととんでもなく羨ましい会社にお勤めです。


ちなみにこの紀州徳川家という会社、役員対応もおおらかでした。

伴四郎さん、江戸付家老さんに赴任挨拶のアポを
取っておきながら、
「近所の祭を見物したい」

という理由で延期してもらっています。

これがまったく問題にならないくらい、風通しのいい職場のようです。
和歌山藩ホワイト企業だったんですね。



プライベートもユルいです。

幕末です。
仕事がない日は剣術の稽古でもしてるのかと思えば、やってることは
「買い食い」「観光」「銭湯」「三味線稽古」

まるで緊張感がありません。

このとき伴四郎さんは二十八歳です。
いわゆる幕末の若者です。
国を変えようと駆け回っているイメージの、あの幕末の若者です。


「六月十八日
 今日は色々あほ噺(はなし)をしました。」


……まるで緊張感がありません。

それにしても「あほ話」って最近っぽい物言いですが、
この頃からあった言葉なんですね。


後に伴四郎さんは「第二次長州征伐」に従軍するのですが、
その頃の日記からも「行きたくない」感がありありと読み取れます。
(ちなみに特に怪我することもなく無事に和歌山へ戻ってきたようです)

まあ幕末に限らず、熱い血をたぎらせて世の中を変革している者は一握りで、
大半の庶民はのほほんと暮らしているのが現実なのかもしれません。

 

その分、日記に描かれている庶民の暮らしっぷりはとてもリアルで、
共感の湧く内容ばかりです。



食べもの。

日頃は自炊して節制、ハレの日はパーッと外食or高級食材購入という感じです。

江戸前の魚や江戸野菜、そば、餅菓子など、江戸料理がたくさん登場しますよ。
この頃には肉食もだいぶ広まっていたようで、風邪薬と称してしょっちゅう豚鍋を
お召し上がりになっています。
ついでにいつもいつも昼間っから酒を飲んでいて幸せそうです。

日本橋の豪商「三井家」(のちの三井財閥)に衣装業務のレクチャーをして
御馳走を振舞ってもらう等、ちゃっかり職能を活かしたりもしています。


個人的に興味を持ったのは日常使いのさつま芋と人参で、
なんとなく江戸時代ではまだまだ高級食材なのかなと思っていたのですが。

さつま芋は一貫(3.75㎏)で五十文(1,000円)。
人参は一回購入分で八文(160円)。

安い!

あくまで私の先入観とのギャップなのですが、室町時代や戦国時代とは
ずいぶん身近な食材が違うなあと驚きました。



観光。

大名行列見物、横浜異人見物、浅草や日本橋等の繁華街散歩、
武家庭園見物、見世物見物、落語鑑賞、土地土地の名物買い食い……。

すんごく楽しそうです。

完全に上京してはとバス乗っている感じです。

虎(実は豹)の子どもを見物したりもしています。
ネコ科猛獣の子ども、かわいいですもんね。

 

 

人間付き合い。

お友達との酒盛りや観光だったり、
初め仲よかった人がだんだん疎遠になったり、
上司兼親戚兼同居人の叔父さんのずうずうしさに苛立ったり、
家格の違いを超えた武士と庶民の仲睦まじさであったり、
現代と変わらぬ日常が繰り広げられております。

和歌山に残してきた娘と同い年くらいの捨て子がいたと聞けば涙したり、
基本は倹約してつましく暮らしていて妾もつくらないのに
単身赴任終了直前で同僚と風俗に行ってしまったりと、
いかにもなサラリーマン男子っぽさ。

江戸時代人も同じ人間、という感じがいたします。



旧暦ベースの風雅な年中行事。

五節句や六月十六日の嘉定など、日々に加えられるメリハリと季節感。

嘉祥 (行事) - Wikipedia

文中の嘉定の解説はさすが著者は元虎屋の社員さんという感じで
大変興味を引かれます。

解説でコメントされている「日本の季節行事は旧暦でないとピンとこない」
というのも、「まさに!」と完全同意してしまいます。

 ※ちなみに虎屋さんの和菓子に因んだ歴史HPはとても勉強になりますよ。
  歴史上の人物と和菓子 | 菓子資料室 虎屋文庫 | 株式会社 虎屋



そう、日記内容の他に、著者の青木直己さんのコメントがまたいいんですよね。

とりわけ文庫版あとがきで、古文書の収集と公開の重要性について語られている
パートは、短文ながら極めて意義深い名文だと思います。

伴四郎日記の内容とは直接関係しませんが、せっかくなので引用します。

個人が収集した古文書は、その人の死後に散逸するか、その後まさに死蔵されることが多いように思われます。そうしたなかで伴四郎の記録史料類が二つの公的な博物館に所蔵され、それぞれ翻刻公開されたことは僥倖と言わざるを得ないと思います。

私も江戸時代の古文書を随分と収集してきました。停年となった今、少しずつ整理して古文書目録を作ったり、収集した史料を使って論文を書いたり、あるいは大学の授業でも利用しています。しかし、いくら目録を作って論文を書いたとしても、私蔵(死蔵)であることに違いがないということに思い至りました。もちろん収集資料を積極的に公開して、コレクターとしての責務を十二分に果たされている方がいらっしゃるのも事実ではありますし、明確な主題をもったコレクターの収集資料の意義には大きいものがあります。それがどのようにして受け継がれていくかが課題なのでしょう。伴四郎の記録史料類は、そうしたことに気づかせてくれました。


いかがでしょうか。

先人が遺してくれた史料への理解と愛情、敬意を感じます。

時代区分関係なく、歴史好きや歴史にかかわる仕事に就いている方、
多くの人に読んでもらいたいなあと思ってしまいます。

旧家名家にお住まいの方は、お手数ですが古い襖とかそのまま捨てずに
裏紙に古文書が使われていないか等チェックしていただけると幸いです。

 

 

さて、伴四郎さんの日記はこの幕末期の一部しか残っていなくて、
明治元年以降の足取りはまったくの不明だそうです。

子孫の方とかいないんでしょうか。
まだまだマイナーな人物ですから、子孫ご自身もご存じないかもしれませんね。



そのうち新たな史料が発見されますように。
できれば没落士族としてやさぐれず、引き続き呑気に暮らしてはりますように。

 

 

「鷹将軍と鶴の味噌汁 江戸の鳥の美食学 感想」菅豊さん(講談社選書メチエ) - 肝胆ブログ

 

 

 

和歌山県海南市 平和酒造の日本酒「紀土(キッド)」

 

「紀土(キッド)」というお酒がおいしくてかんたんしました。

 

平和酒造株式会社 TOPPAGE

紀土 - Google 検索

 


最近は日本酒の静かなブームが続いていて、
次から次へと人気銘柄が出てきております。

色んなお酒に目移りし始めるときりがないものですから、
私はもっぱら昔なじみの「呉春」(大阪府池田市)と
「黒牛」(和歌山県海南市)ばかりを飲んでいます。

 

が、最近日本酒好きの知人から教えていただいたこの「紀土」というお酒、
「黒牛」の名手酒造さんの近くでこしらえているということだったので、
ついつい浮気して手を出してしまいました。

(黒牛の名手酒蔵さん)
http://www.kuroushi.com/



とりあえず何本か買ってみて、「純米大吟醸 山田錦」というのを開けてみます。


吟醸香……って言うんでしたっけ。

華やかな、でも華やか過ぎない落ち着いた香りがします。
香りだけで「気が合いそう」という第一印象です。



口に含みますと。

先ほど来の香りが膨らんで、それから切れ味が走って、
続いて豊穣な味わいで口の中が満たされます。


おいしい。


軽すぎず、重すぎず。
ミドル級です。ミドルキックです。
めっちゃいい香りのムエタイ選手のミドルキックをミットで受けている感じ。
姉ちゃんのビンタでも力士のぶちかましでもありません。



晩ごはんのおかずの、たけのこの煮物と合わせてみます。

……合います! 無論です!


ミドル級の味わいですから、ご飯にあう料理なら何にでもいけそうな印象です。
おお、こいつはいい酒だ。

もう。
呉春・黒牛の二股でも罪悪感があったのに……。

三つ股になってしまいそう。

 

 

 

ところで、「和歌山の日本酒おいしいですよ!」って主張しても
誰も信じてくれないんですよね。

まあ、黒牛しか飲んでこなかった私が言っても説得力がないのですが。
(黒牛ひとつを論拠に和歌山の日本酒の味をアピールしてきた私)


この平和酒造さんの紀土もこんなにおいしいということは、
もちろん杜氏さんたちの腕前や努力あってのことだとは思うのですが、
ひょっとして海南市の水と風土がお酒造りに適しているのでしょうか。

黒牛の名手酒蔵さんは幕末から続いているらしいのですが、
和歌山に酒どころの印象ってないですよね。
関西人の私にもないんだから、他地方の方にはなおさらないと思います。


冷静に考えたら紀州徳川家のお膝元ですし、
その前から根来寺だの高野山だの熊野三山だの独自文化がある土地柄ですし、
むしろ洗練されたフード文化があっても不思議ではないのですけど。

でも、醤油や金山寺味噌や梅干しやらの質実フードは盛んなのに、
和菓子とか料亭料理とかの華やかフードが盛んな印象はないなあ。

やっぱり吉宗さん系というか、紀州は質素倹約な文化風土なんですかね。

 

 

こんなことを書いていると、和歌山に久しぶりに行きたくなってきました。

季節は過ぎちゃいましたが、南部梅林は最高ですし。
これから季節が来ますが、白浜での行楽は定番の楽しさですし。

 


いつか、ぶらくり丁に往年の賑わいが戻ってきますように。

 

 

※翌日('17/4/28)追記


冷蔵庫で冷やして飲むと、甘みがものすごく強くなりました。
高級吟醸酒な感じです。

 

面白いですね。
常温だとしみじみご飯に合わせるようなおいしさ、
冷たいとキャッキャパーティ感のある甘さ。

 

 

 

「アパート融資問題と高齢者の商取引問題」日経新聞  アパート融資で利益相反か 建築業者から顧客紹介料

 

日経新聞の昨日の記事「アパート融資で利益相反か」にかんたんしました。

 

アパート融資で利益相反か 建築業者から顧客紹介料 :日本経済新聞

アパート融資とは 相続税対策で需要急増、銀行が力 :日本経済新聞


私はこのアパート融資事案に関心を持っていて、ニュースなどを
趣味的に追いかけています。

というのも、年に数回、東北の被災地に行く用事があるのですが、
行くたびに現地の方々から世間話としてこの話を聞くものですから……。

(別に利害関係者ではありません。あくまで世間話です)

 

アパート融資問題とは。

クローズアップ現代とかで特集されたこともあるので
ご存知の方も多いと思うのですが、

アパート建築が止まらない ~人口減少社会でなぜ~ - NHK クローズアップ現代+

端的に言うと

「人口減なのにわざわざ借金してアパート建てて
 後から悔やむお年寄り増加問題」
であります。


えっ……
人口減っていくのにアパート経営なんて素人には難しいでしょう、
都心部とかターミナル駅前とかよっぽど場所がよけりゃともかく。

と、知らない方なら思ってしまうと思います。
私もそう思います。

しかもこのアパート、どう考えても採算が取れなさそうな
地方部でもいっぱい建ってるんですよね……。



なんでこんなことになるのか。

色んな事情が絡んではいるのですが……。


①'15年の相続税制改正で、小金持ちの人も課税対象になった。

  -相続税基礎控除の金額(遺産が以下基準内なら相続税対象外)が、
   それまでは5,000万+(1,000万×法定相続人)だったのが、
   '15年から3,000万+(600万×法定相続人)と厳しくなりました。


②農地とかを中途半端に持っている小金持ちのお年寄りが困る。
 (子どもに相続税負担を残したくないという思いやりの気持ち)


③大手不動産会社が小金持ちにアパート建設を提案する。
 「アパートを建てれば土地(遺産)の評価額が下がる、
  毎月家賃の現金収入が入ってくるから年金代わりにもなるんですよ!」


④「でも、アパート経営とかよう分からんし、入居者も埋まるかどうか……」と
 小金持ちが反論する。


⑤「安心してください! 当社が全部屋借りて又貸ししますから、
  家賃は全額保証させてもらいますよ!」と不動産会社が後押しする。


⑥「でも、アパート建てるお金がないし……」と小金持ちが反論する。


⑦「安心してください! ●●銀行が好条件で融資してくれますよ!
  しかも債務を抱けば遺産を更に圧縮できますよ!」と不動産会社が後押しする。


⑧「そっかあ、いい話だべなあ」と小金持ちが納得し、
 銀行からン千万の借金をし、アパートを建てる。
 (不動産会社の利益が確定)


⑨数年後、案の定部屋は埋まらない。
 そして小金持ちのところに訪れる不動産会社。

 「いや~経済情勢も変わったんで全部屋借りて又貸しして家賃保証という話、
  見直させてください。具体的には保証額は●●%オフということで」
 「そんな! 話が違うじゃないか!!」
 「は?(半ギレ) オーナーはあんただろ? あんたの経営努力不足を
  棚に上げて
弊社に文句言うんですか? うっわ、面の皮あっつ!」

  -契約書的には不動産会社の言い分が通ります


⑩元小金持ち(借金多数)「鬱だ死のう……」

 

以上です。


こう書くと不動産会社が邪悪なように思えますが、
真っ当な商取引ですから、一番悪いのは小金持ちさんです
うまい話に乗っかってしまうのは自己責任なのです。


また、登場人物を一旦小金持ちさんと不動産会社さんに絞りましたが、
実際は

 ・人口増を夢見て宅地許可を乱発する自治体

 ・融資成績をあげたい銀行

という方々もこの風潮にドライブをかけまくっています。

 


冒頭の日経新聞の記事では、銀行が不動産会社から手数料を受け取っていたことが
新たに判明しました。

銀行さんは小金持ちのお客さんをいっぱい抱えています。
大昔は預金してもらって融資に回してお金を稼いで、
ひと昔前は投資信託の回転売買で手数料を稼いで、
最近は生命保険を販売して手数料を稼いで……と、
銀行のビジネスモデルがどんどん厳しくなる中でもあの手この手で
収益を得ようとしてきたのですが。

小金持ちのお客様を不動産会社に紹介して手数料を受け取る、
一種の不動産営業の肩代わりまでしていたということです。


……これも、銀行さんに罪はありません。
まっとうな商取引です。金融ビッグバンの成果です。



地方自治体は、この期に及んでも「我が町だけは人口が増えていきます」という
能天気な中期計画をつくっていたりします。

アホか、と誰もが思っているんですが、

「我が町はどんどん人口減って衰退していきます」とは計画に書けませんから
(書いたら議会や住民から袋叩きにあってしまう)、
とりあえず建前上は人口増の計画をつくって、それに基づいて宅地造成に
手を貸したりしているのであります。

アホか、と誰もが思っているんですが、なかなか普通の人には流れを変えられません。
分かっちゃいるけどやめられない、というやつです。

 

以上、この事案、現代世相をたいへんよく表しているように思えます。

 

……東北の某被災地では、けっこうな勢いでこういうアパートが建ってるんですよね。

復興で働く人がたくさん来ている状況下でも、部屋の入居率は半分くらい。
工事関係者が去った後はどうなることやら。

絶対「禍根を残す」と地域住民がひそひそ言っています。

 

「息子や孫に相続税で迷惑をかけたくない」という善意から始まったはずが、
残ったのは「入居者が少ない赤字アパートと大借金」という笑えない結末。

もちろん都市部とかでは経営が順調なアパートオーナーも多いのでしょうが、
地方部過疎部のオーナーの未来は暗いでしょう。

自己責任だとは思いますが、気の毒と言えばあまりに気の毒です。

 

ただ、私見ですが、「小金持ち=高齢者が気の毒だ!」「税金で救済しよう!」
「お年寄りを食い物にする民間企業は悪だ! 糞だ!」みたいな流れには
なってもらいたくありません。

何度も言いますが、アパート建設をジャッジしたのはあくまで小金持ちです。

PCデポみたいな事例も、国が補償したりはしてません。
そもそも、老後にコンビニやらのフランチャイズオーナーになる、
長年の夢だった喫茶店やら古本屋やらを開業する、
大量の株や投信を買う、果ては馬券や宝くじを買う、
そうした行動とアパートオーナーになることはそう変わりませんから。

商取引はどこまでいっても自己責任であるべきだと思いますし、
税金で補償することになれば、それは現役世代に更に迷惑をかけることになるのです。

 

幸い、いまのところは金融庁が銀行の融資焦げ付きを警戒しているくらいで、
行政が本格的に被害者救済などを検討している様子はなさそうです。

 

だんだん、お年寄り相手の商売は難しくなってきています。

高額の売買時は家族が同席しなければならないとか、
大量の「分かりました」書類に押印しなければならないとか。

現役世代の働いている人には、さぞ面倒をかけていることでしょう。
コンプラコストもますます増えて、グローバルな競争で不利にしてしまって
いるのでしょう。


これは、高齢者の当事者からしても不自由が増えているということなのです。

老い」は個人差がありますが、商売のルールはすべて弱者基準に染まっていく。
そうなると若い時から節制して、自己管理して、判断力を維持して……と
努力してきた人が馬鹿みたいじゃないですか。

十把一絡げにお年寄りは弱い! 救わねば! という論調になるのは、
はなはだ不都合です。



と、そんなことを偉そうに言っている私がいの一番にオレオレ詐欺
ひっかかったりするんでしょうね。
本当にすごい営業力や詐欺力をもっている人には誰も敵いませんし。


どうか悪賢い人に遭遇することなく余生を過ごせますように。
(最後は運頼み)

 

 

週刊ダイヤモンドの特集「不動産投資の甘い罠」 - 肝胆ブログ

 

 

生の「羆」とご対面

 

 

動物園で本物の羆と対面し、その迫力と重量感にかんたんしました。

 

近頃、吉村昭さんの「羆嵐」を読んだり、
たまたま羆話で知人と盛り上がったりして、
生の羆をどうしても見てみたくなったのです。

 

「羆嵐」吉村昭さん - 肝胆ブログ

 

 

羆さん。

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やーー、これは立ち向かえないっすわ。

日本最大の哺乳類……体重200㎏以上ですって。
自動車並の速さで走る逸ノ城ですよ。
こんな化け物に襲われたらそりゃ集落のひとつやふたつ滅びますよ。

しかも火を恐れないとか、
数km先まで匂いを嗅ぎ分けることができるとか。


アイヌの世界では神様扱いだそうですが、それも納得です。


猟銃一丁で対峙できるマタギさんはいったいどんな肝胆をしているのでしょう。
一発外したら確実に殺されることが実感できる相手。
パンツァーファウストがあろうがガトリングガンがあろうが私なら逃げます。
逃げても3秒後には追いつかれるのでしょうけど。


やっぱり本を読むだけではなくて、読んだ内容を生で見てみるというのは
勉強になりますね。



世の中には「動物の写真」という趣味があるようで、
私の知人もそういう沼に嵌まっています。
目当ての動物が現れるまで、じーーーっと待っているそうな。

動物写真を撮る上で北海道は最高らしいですが。

……森の中、熊さんに出遭う可能性もあるそうです。ひぃぃ。



話は変わりますが、動物と言えば
世の中にはハダカデバネズミという不思議な生き物がいるそうです。

ハダカデバネズミ | 動物の情報 | 上野動物図鑑

 

見た目も毛がなくて極端な出っ歯でけったいな感じなのですが、
このネズミ、なんと齢を取らないのだとか。
なにその羨望の特性。

ネズミに生まれ変われば加齢の悩みがなくなるのか……。



最近ドーキンス博士の「進化とは何か」という進化論の入門書を読んだのですが、
生き物が「遺伝子を運ぶ・複製する」ために存在するのだとしたら、
進化とは「偶然・突然変異の積み重ね」によって成されてきたのだとしたら、
成熟するほどに少子化が進む人類はあまり利口な進化をしていないのかもしれません。

環境変化を起こしまくって試行錯誤しまくって知性を高めまくってという人類と、
環境変化の少ない地中で暮らして団子になってぬくぬく暮らすハダカデバネズミ

案外、一万年後でも元気に暮らしているのはネズミの方かもしれませんね。

羆は喧嘩最強でも燃費が悪すぎますので、あっさり絶滅危惧種になっちゃうかも。

 

進化とは何か | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン


※文系人間の私にも分かり易かったです。

ドーキンス博士の講義は、聖書・創造論の克服が裏テーマなようです。
 西洋社会における科学と宗教の葛藤というのはなかなか興味深い問題ですね。

 


今日は天気が良かったので、色んな生き物をぼぉっと眺めるのは楽しかったです。

麗らかな日差し、若やいだ青葉の輝き、快調にうんこをひり出すニホンザル
ほんにいい季節であります。



一万年後も人類が生き長らえていますように。

できればゲッター線とか大いなる意思の加護とかではなく、自分たちの力で。

 

 

 

「食キング」土山しげる先生

 

10年ぶりに読んだ「食キング」にかんたんしました。

食キング - Google 検索

コンビニのペーパーブックスで再販されていて、つい集めてしまったのです。
せっかくなので、食キングの思い出を語ろうと思います。

 

 


食キング。

京都の五条通のコンビニでたまたまコミック1巻を見つけて、
そこから土山しげる先生の世界観にハマったことをよく覚えています。
(この頃から週刊漫画ゴラクを欠かさず読むようになりました)

余計な具を入れない親子丼とか、カレーによく馴染む薄めのトンカツとか、
しょっぱなからすごくおいしそうだったんですよね。


土山しげる先生は現在も「ブシメシ!」とか「流浪のグルメ」とか精力的に
作品を発表されていて、とりわけ原作者付きの作品は完成度も高く好評です。

すっかり料理漫画のトッププレイヤーとして定着なされまして。

 

一方、この先生の原作者抜きの作品は、

 ・勢い任せのストーリー
 ・インパクトのある展開を優先、全体構成はしばしば破綻
 ・飽きてきたらあっという間に連載終了

という特徴があり、昔ながらの漫画らしい漫画という感じがするものですから、
私はこちらのテイストも大変愛しております。

この食キングも迷走を重ねた挙句解散っ!!」の一言で終わりましたし、
極道めし」はメシバナ大喜利が始まったと思ったら終わりましたし、
「食いしん坊!」は喰輪杯(クイリンピック)で失速してそのまま終わりましたし。


でもそれでいいと思います。

飽きてきたら下手な延命をせずに連載をさっさと畳んで、
数か月後に新連載開始。

そのやり方で中ヒット作を連発されておりますし、
安定・安心感のあるおっさん漫画界の巨匠になられている訳ですから。

 

食キングは

 ・函館のレストラン「五稜郭亭」の名シェフ北方歳三さんが、
  全国のダメ料理店を再建して回るというストーリー
  (たぶん愛の貧乏脱出大作戦をパク……モチーフにしたもの)


 ・修行方法がネタに走っていてネットのごく一部で話題になる

   -卓球をしたら親子丼づくりのオペレーション能率が上がった!
   -ダンスダンスレボリューションをしたらうどんを上手く打てるようになった!
   -スーダラ節を歌っていたらお好み焼きを上手に焼けるようになった!

   ⇒「「ありがとう北方さん!!(涙)」」


 ・ネタが尽きてきたのか、北方さんの実家「五稜郭亭」を舞台に
  弟との対決話に移行……するはずが、
  弟は能無しで、五稜郭亭の乗っ取りを狙う支店長やイギリス人との
  料理対決に移行

   -「Wショッキング!!」「香辛料が利き過ぎですゥ!」など、
    明石というおっさんに萌える漫画になっていく
    (トーリーそのものに対する評価は加速度的に低下


 ・飽きたのかイギリス人との対決は“誤解でした”で幕を閉じる。

   -左手の握手が無効であることを私はこの漫画で学びました  


 ・再び料理店再建ものに回帰……と思ったら、
  唐突に「このままでは日本の食は崩壊する!」と真面目なことを言い出し、
  これまで登場してきたキャラクターが全員集合して
  「北方さんに対する抵抗勢力も組織されたので皆で戦おう!」的な展開になるも、
  「戦わんでいい! 解散っ!」で今度こそ本当に連載修了

 
 ・その後「極食キング」という続編が始まるも、
  なぜか最後は漫才漫画になって連載終了

  「極食キング」土山しげる先生(日本文芸社) - 肝胆ブログ

 

という壮大な流れを楽しませてくれた作品であります。

あの頃は空飛ぶピザ機能を実装したファンサイトとかもありました。
いま想えば、土山しげる料理漫画ブームの萌芽だったのでしょう。

 

 

近頃は漫画を読む人の目が肥えてきて、ストーリーの整合性とか
張り巡らされた伏線とかが評価されがちですが、
勢い任せ、インパクト重視、成り行きが生み出す面白さというものも
忘れてはならないと思うのです。

その点、土山しげる先生は勢い任せの漫画と原作者付きのしっかりした漫画の
両方をハイペースで制作し続けており、希有な漫画家だと思います。

 

食キングを軽く読むのなら序盤の料理店再建編、
迷走を楽しむなら「おにぎり編」「小樽五稜郭亭編」辺りがおすすめです。

肌が合うようでしたら「喧嘩ラーメン」や「食いしん坊!」まで
手を広げるのもいいと思いますよ。
「喧嘩ラーメン」はいま見るとラーメン業界黎明期の熱さがあって楽しいですし、
「食いしん坊!」は名古屋カレーうどん編が傑作だと思います。



うっかり買いそびれて未読になっている「怒りのグルメ」が再版されますように。

 

 

               ⊂_ヽ、
             ∴  \\
             ∴    \\
            ∴      \\
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             ∴        .\\ Λ_Λ
                        \ ( ´Д`)
           ∴              >  ⌒ヽ
           ∴             /    へ \
                        /    /   \\
                        レ  ノ     \\
           ∴           /  /        \\
            ∴          /  /|          ヽ_つ
           ∴          ( ( 、
                       |  |、 \
               ./■\         | / \ ⌒l
          ( ;´Д`)        | |   ) /
           ( つ  つ      ノ  )   し'
          ( ̄__)__)      (_/

 

 

 

 

 

「六角義賢と滋賀県草津市のうばがもち」

 

滋賀県草津市の名菓「うばがもち」の由来にかんたんしました。

 

うばがもち物語|うばがもちや

 

と言っても食べたことはないのですが……。

 


滋賀県草津市
立命館大学絡みの用事で、一度か二度くらい行ったことがあったかな……。

大津や近江八幡と違って草津は郊外の住宅地というイメージでしたから、
このような歴史あるお菓子が存在することを知りませんでした。


いま読んでいる本で触れられていてたまたま知ったのですが、
江戸時代には既に当地の名物として有名だったそうな。

あんころ餅の親戚のようで、白餡と山芋の練り切りが乗っているところが
独特の風貌ですね。

滋賀県に行く用事は滅多にないのですが、機会があれば味見してみたいものです。

 

↓18/12/30追記。おいしかったです。

滋賀県栗東市「鈎の陣跡」と草津市「うばがもち」 - 肝胆ブログ

 

 

由来は何通りかあるようで、いずれも六角義賢(1521~1598)に因みます。


基本的な伝承としては、六角義賢本人、あるいは義賢の子孫が、
お家滅亡の際に曾孫を乳母に預けて逃がしたと。

乳母はひとり、街道の茶屋で餅を売って生計を立て、その曾孫さんを育てたと。

その美談は江戸時代初期には既に有名になっていて、大阪の陣に向かう
徳川家康もこのうばがもちを賞味して褒美をくださったと……。


事実関係は分かりませんが、なかなか人の興味を引く物語です。

 

 

六角義賢という人物は、戦国時代の中では比較的メジャーな方だと思います。
三好長慶のライバル、足利義輝の庇護者、織田信長に滅ぼされた一人……という感じで、
色んな場面で登場してきはるのです。

とりわけ同時代の方々から見れば文句なしの大大名だったはずで、
何と言っても近江佐々木源氏の本家筋を受け継ぐ人物ですから。
全国の佐々木さんや京極さんからの憧憬を集めて然るべきお家柄なんですよ。

戦国時代ものの小説やゲームではやられ役のように扱われがちですが、
河内畠山氏同様、過小評価されている部類だと思います。


浅井長政との戦いでは2万を超える兵力を集めたと言われています。
この時代に2万人を集められる大名なんてほとんどいませんからね。
……まあ、寡兵の長政に負けてしまったんですが。

同じく2万を超える兵力を集めて三好家を京から追い出したこともありますからね。
一時的にせよ、天下(畿内)の頂点に君臨した人物なのです。
……まあ、数か月後に三好家が巻き返してきて近江に撤退したんですが。


どうも六角義賢さんは能力が足りないとか驕り油断があったとかではなくて、
「持ってない」という印象があります。

要所要所で、けっこう適切なタイミングで適切な行動を起こしているのですが、
なぜかいっつも上手くいかない。
ついてない男、気の毒な男なんです……。

三好長慶織田信長が時代の追い風に乗った男なのだとしたら、
六角義賢は時代の向かい風に翻弄された男なのかもしれません。

これはこれで、人々の同情を買えそうな境遇です。

 

そんな義賢さんルーツのお菓子が残っているということは、
やっぱり地元ではけっこう愛されていたんでしょうね。
なんと言っても近江源氏の本家さんですし。



とは言え、このお菓子の件にしても謎が多いと思います。


六角義賢の曾孫ということは、ひと世代20年としたら1580年代誕生になります。
ちょうど織田信長本能寺の変でお亡くなりになる頃です。

このタイミングで……曾孫を乳母に預けて逃がす必要があるのかなあ?
逃がしたとしても、秀吉に仕えた辺りで呼び戻しそうなものです。

更に言えば、佐々木源氏の正統を継ぐ子どもがいるのだとしたら、
江戸時代に佐々木氏筋の家から全力でウェルカムされそうなものだと思うのです。
一説には、旗本になった六角氏は跡継ぎ不在で断絶したそうですし。
お家断絶になるくらいなら、この子に目をつけますよね。
しかも徳川家康に褒められるくらい有名なお店なのだし……。



こういう伝承をもとにあれこれ想像を巡らせたら、
一本くらい小説を書けそうでわくわくします。


例えば老境に入った義賢が迎えに行ったんだけど断られてしまったんだとか、
なぜなら乳母は実は乳母ではなくて義賢の側室だったんだとか、
生まれが卑しいから表には出せないんだけど義賢は本気で彼女を愛していたんだとか、
彼女には彼女の意地があって、曾孫は曾孫で既に武家に見切りをつけていて、とか。

そうして義賢死後、大阪の陣のタイミングで、近江の没落国人が曾孫を拉致って
彼を旗印に大阪城に入城しようと企むんですが。
婆さんになった乳母が無双して牢人どもを追い散らすんです。
それを後で耳にした家康が乳母に褒美を取らせたのがうばがもち伝承の真相なんです!
とか。

乳母の素性を日置流の使い手とかにしたら辛うじて話を成立させられそうです。


うばがもちやさんに訴えられそうだから書きませんが笑

 

 

こんなことを考えながら六角氏の研究書を何冊か立ち読みしてみましたが、
義賢・義治父子以降の動向はやっぱりよく分からないようです。

滋賀県石田三成のCMをつくるくらい歴史に理解がある訳ですし、
次は六角家の研究にも力を入れてくださいますように。