肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「戦国三大悪人 戦国のダークヒーロー松永久秀は本当に悪人だったのか?」片岡愛之助の解明! 歴史捜査(BS日テレ)

 

 

テレビで「松永久秀さん悪人じゃないよ説」をやっていてかんたんしました。

 

www.bs4.jp

 

下剋上の戦国時代。
裏切りと悪行に彩られた生涯を送った伝説の武将がいた。
戦国の大悪人と呼ばれた松永久秀
かの織田信長も、徳川家康に松永を次のように紹介したと伝えられる。
「この老人、これまで人のようせぬことを三つしよった。
まず足利将軍を殺害した。
主君三好家への謀反が二つ目。奈良の大仏殿を焼いたのが三つ目でござる」
江戸時代に作られた歌舞伎の演目「金閣寺」にも悪漢として登場し、
その人物像はダークヒーローとして広く定着した。

だが、最新の歴史研究で、
松永の悪人伝説は後世に作られたものだった事が判明!
現代に残された数々の証拠から、全く違う人物像が浮かび上がってきた!
悪名高き松永の東大寺大仏殿焼き討ちは冤罪だった!?
東大寺を舞台に繰り広げられた三好三人衆との攻防戦の真実とは?

さらに松永は、信長よりもはるか前に、
天守がある近代的な城を築いていたという。
安土城のモデルとなった久秀の革命的な城とは?
幻の名城を求めて、古都・奈良を現場検証。

そして、松永久秀を最も有名にしたのが、信長軍との死闘の末、
自らの居城・信貴山城の天守に立てこもっての爆死。
しかし、これもまた作り話だった可能性が!この伝説を否定する史料とは?
戦国のダークヒーロー・松永久秀の悪人伝説の真相を徹底捜査!

 

 


こんな番組があったんですね。


BSらしい、タレント出演費用を節約(番組タイトルには最大限活用)して製作スタッフが頑張って取材してくる系の番組のようです。

歌舞伎系の役者さんがこの手の番組をよく引き受けている印象がありますね。
収録が楽な割にギャランティーがよくてwin-winな感じなのでしょうか。

 

 

天野忠幸さんの監修・取材協力のもと、最近の松永久秀研究を1時間でざっと紹介する構成でした。

 ⇒「松永久秀」編 天野忠幸さん(宮帯出版社) - 肝胆ブログ



「三好家の忠臣説」要素も若干入りつつ、「悪事は冤罪だよ」「城づくりや茶の湯に長けた文化人だよ」という点がプッシュされていましたね。


テレビなので「信長以前に松永久秀が城づくりに革命を起こしていた!」といった大げさな表現がちょいちょい気になりましたが……。

天守閣などは久秀さん以前の畿内城郭にも存在した可能性があります。こうしたインフラ系の技術進展を誰か一人の功績に結び付けるのはそもそも無理があるような)

 

 

 

番組のまとめとしては。


「久秀さんの三悪事は冤罪である」


「多聞山城は超イケてる」


「信長さんとは当初同盟関係だった。手切れしたのは信長さんが筒井順慶さん(久秀さんのライバル)に大和支配権を与えたからである」


「久秀さんが悪人扱いされるようになったのは、三好家臣時代に長慶さんに並ぶほどの官位・役職を得ていたからである。こうした大出世は後の天下人や江戸時代人からすれば家格秩序を乱す“悪”でしかない」

 

「爆死はしていない」


辺りでしょうか。


従来天野忠幸さんが主張されてきたことを素直に紹介してくださっています。

「楠木正虎」さんなんてマイナーネームがテレビに出てきたのにもびっくり。

 

 

 

私の感想としましては。


あらためてテレビでつれづれ紹介されているのを見ると……

松永久秀さんって「歴代上司の人事政策の被害者」感が半端ないですね。

 

 

 

初代上司の三好長慶さん

(テレビや雑誌等で普通に天下人扱いされるようになってきましたね)


久秀さんが後世で悪人扱いされるようになった原因が、本当に三好家臣時代の従四位下就任(長慶さんと同格)」「相伴衆就任(長慶さんと同格)」にあると言うのなら……。

長慶さんの「任命責任」が大ということになります。



長慶さんは朝廷官位の「従四位下」を自分・息子の義興さん・親戚の三好長逸さん・家来の松永久秀さんに与えたり。

幕府役職の「相伴衆」を自分・息子の義興さん・家来の松永久秀さんに与えたりしています。

 
これらの待遇は基本的に名門守護大名の家柄の人にしか与えられないもので、当時の常識としては三好家程度の家柄の人に与えられるものではありません。
(ちなみに長慶さんのかつての主君「細川晴元」さんも従四位下です)

それを、自分自身はおろか、親戚や家来にまでばら撒いちゃっている訳です。

 


しかも昔から「守護不入」だった大和国を久秀さんに制圧させちゃうし……。

 


やっぱり長慶さん、ちょっと頭おかしいと思います。
(そんな長慶さんが好きです)

伝統権威をコケにし過ぎですよね。

こんなことしてたら、そりゃ伝統的偉い人たちから憎まれるに決まっています。
他の大名たちからすれば、こっちは先祖代々の勲功の積み重ねでやっと官位や役職をもらっているのに畿内では名もなきおっさん(久秀)がいきなり社交界デビューしてんのかよですからね。

ナポレオンさんが家族会議でヨーロッパ各国の王様を決めていたのに近い感じがしますよ。

 


こうした久秀さんへの栄典付与が、「主君の長慶さんと同格なんてけしからぬ」と後代の人による悪評を招いた。

合わせ技で、長慶さんも「久秀さんに下剋上された残念な人」扱いされるようになっていった。


もとをただせば長慶さんの人事政策が原因じゃねーかという……(笑)。

 

 

 

二代目上司の三好義継さん(&足利義昭さん)。


長慶さん死後の三好家を急遽治めることになった気の毒なピンチヒッターです。


この方も面白い方で……

三好三人衆の力を背景に、足利義輝さんを弑逆したり松永久秀さんと戦ったりしていたのですが。

三人衆と不和になった(子ども扱いでもされたんでしょうか)からと、三好三人衆方から松永久秀方に寝返り。

「三好家当主が」寝返り


…………。


久秀さんも嬉しい反面、微妙な思いも抱いたんじゃないでしょうか。

まったく、父親の額を見てみたいものです。

 

 

義継さんはその後も足利義昭さんを匿って信長さんに攻められてしまいます。

最期は壮絶に暴れ回って討死を遂げたそうで、織田方からも武勇を称賛されています。
大大名というより「剛の者」という印象ですね。


まったく、父親の額を見てみたいものです。

 


義継さんが滅びたことで、久秀さんの本来筋の後ろ盾が消失。

このことが久秀さんを追い詰めていったことは想像に難くありません。


そういう訳で、久秀さんは二代目上司からも散々に振り回されたことになります。

 

 

 

三代目上司の織田信長さん


テレビでも紹介されていた通り、大和支配権を筒井順慶さんに与えたことで久秀さんのマジ切れを誘発します。
昨今よく言われている、「部下の地雷を踏むことに定評のある信長さん」というやつでしょうか。

まあ、個人的には信長さんの人事判断ミスというより、筒井順慶さんが大和の地にしっかり根付いた勢力を有していたことであったり、三好家没落により久秀さんの力もまた目減りしていたことであったりの結果なんだろうなとは思いますけど。


むしろ、この頃になると信長さんも久秀さんの扱いに困っていたんじゃないかとすら思います。


長慶さんの手で異常なまでに出世して、とんでもないランクの栄典保持者で。

義継さんの手で異常なまでに振り回されて、最近はかつてほどの力はなくて。


言い方は悪いんですけど……信長さんの治める若い職場に「役職定年した昔は偉かった人(買収した企業の元重役)」がひとり混じっている感じ

後期織田家はM&Aを繰り返した急成長大企業のようなもんですから、管理者としての信長さんはさぞ大変だったことでしょう。

 


かくして久秀さんは三代目上司の人事政策に反発して命を散らすことになりました……と。

 

 

 

 

だらだら色々書きましたが、ほら、久秀さんってけっこう被害者感ないですか。


なまじ有能だったために。

なまじ長慶さんに見出されたために。

弟の長頼さんは先に戦死しちゃうし……。

 

 

 

梟雄!


ダークヒーロー!!

 

 


からの……

 

 


忠臣!


気の毒お爺ちゃん!!

 

 

 

振れ幅が大きすぎますね。


これから各種創作で久秀さんがどういう風に扱われていくのか楽しみです。

 

 

現代での扱われ方がどうであろうと、史実の久秀さんは安らかに成仏してはりますように。

 

 

 

 

「透明人間の骨 第一話・第二話」荻野純先生(少年ジャンプ+)

 

ジャンプ+の「透明人間の骨」がてっきり読み切りだと思っていたら第二話が掲載されていてかんたんしました。

この作品、とてもアトラクティブですよ。

 

shonenjumpplus.com

 
(↓そのうち見れなくなると思います)

shonenjumpplus.com

 

 
詳細なネタバレは避けますが、異能力ものと家庭問題ものがフュージョンしたような内容になります。

第一話を読んだ時に「おもしろい読み切りやなあ」とかんたんしていたんですが、まさか普通に連載が続くとは。

 


キャラクター造形が大変魅力的かつ生真面目ですから、連載していくには展開・着地ともに難易度が高いと思うのですけど……。

是非このクオリティを保ったまま、話を積み重ねていって欲しいですね。


現時点でも、数か月後にブレイクし、「映画化」等に繋がる姿が具体的にイメージできる作品だと思います。

原作の真摯なテキスト、透き通るように美しい線のテイストを再現するのは難しいでしょうから、映画化してもファンのバッシングを浴びそうですけど。

 

 

絵がいいですね。

線の誠実さ、白と黒のバランス。
読みやすさと個性が同衾できているところが凄いと思います。


主人公の女の子「花(あや)」さんはしっかりとかわいい。
第二話の最後に出てきた同世代の女の子も続きが気になるほどかわいい。

それ以上に主人公のお母さんが健気な佳人でして。
娘世代を差し置き一番人気を取れるポテンシャルを感じます。

 

 

それ以上に秀逸な点は、主人公の花さんが自身の感情、魂の芯の部分にしっかりと向き合っているところ。

異能力を手に入れた! この力で無双してやるぜイエーイみたいな空疎感はまるでなく。

力を持つこと、力を使って起こした結果を……じっと見つめて、観察して、懸命に受け止めようとしている姿。
異能力ものでありながら「能力の強さ」を掘り下げるのではなく、主題はあくまで主人公の「心魂の強さ」の掘り下げにあるようです。


なるほど、こうした主人公の描き方があるんだなあと胸を打たれました。
今日的なヒロイックのあり方を示してくれているのかもしれません。

これは……追随できるクリエイターは少なそうだ。

 


いかんせん第二話の時点ですから、あまりだいそれたことは言えないのですが。

花さんが自分の人生を全うする……幸せな方向に進んでいくことを祈ります。

 

 

 

併せて、ジャンプ+で第二話まで連載が進んだ「星の王子さま」(作画:漫☆画太郎先生、原作:サン☆テグジュペリ先生)。

 

(↓そのうち見れなくなると思います)

shonenjumpplus.com

 

第一話の原作再現度にも笑ったのですが、第二話がギャグ漫画のお手本のような勢いで吹き出してしまいました。

 


逆~~~~~ッ!!!

 

 


ちなみに、星の王子さまの原作は青空文庫で読むことができますよ。
(訳:大久保ゆうさん)


アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery 大久保ゆう訳 あのときの王子くん LE PETIT PRINCE

 

 

 

鳥獣戯画」、「罪と罰」、そして「星の王子さま」。

イキってる女性が好きそうな文学作品と画太郎漫画のマリアージュは相性抜群なことに定評がありますね。


ジャンプ+の連載が失敗したら、次は「東京カレンダー」辺りで連載が始まりますように。

 

 

 

 

週刊SPA!の「ぼっち村 第167話 ぼっち村オールスターズ」市橋俊介先生

 

 

クオリティペーパー「SPA!」で連載している「ぼっち村」の最新話がガジェットと田舎暮らしの融合感に溢れていてかんたんしました。

 

www.fusosha.co.jp

 

 


ぼっち村は「SPA!」の2ページ連載で、漫画家の市橋俊介先生(中年独身男性)が限界集落に暮らすエッセイ漫画です。


実体験と鬱憤が詰まったおもしろい漫画で、田舎暮らし特有のさまざまな課題・問題・孤独・喜びに正面から向き合っている感じがするものですから、私は毎号楽しみにしています。

(単行本も買いましたよ)

 

 

今号の内容は、山の畑が頻繁に荒らされるので「トレイルカメラ」を設置してみたら……という話です。

 

トレイルカメラ - Google 検索

 


凄いですね、トレイルカメラ。

作者の市橋先生もそれほど期待していなかったそうなんですが、カメラに仕込んだSDカードをパソコンで再生してみたところ……。

 

 

お山の動物たちがきっちりくっきり映っていたんです。

(漫画には動物の写真画像が挿入されています)

 


動物たちはこぞって畑のトマトをパクついている訳なんですが。

侵入者のバリエーションが半端ないですよ……!

 

 

カラス。


ニホンザル


ガビチョウ(?)。


ヤマドリ。


イノシシ。


タヌキ。

 


それに……人間の野菜泥棒まで!!

 

 

 

トレイルカメラの威力とは、ごっついもんですね。


ハイビジョン級な画像の肌理細やかさ。

音声付きの動画撮影機能。

屋外環境放置OK。

夜間撮影OK。

広角100°・範囲20mの高性能センサーで動体を検知、自動録画。

 


これ、ご近所トラブルとかストーカー対策にも効果を発揮しそう……!


こんなガジェットがいまは個人でも手に入るんですね。

サラッと調べたところでは、1-2万円で購入できるみたいです。
監視カメラ設置より安いじゃないか。

 


それにしても、市橋先生はこれからどうするんだろう。


基本的に「殺生はしたくない」というスタンスでこれまでやってきてはりましたが、こんなけ動物に襲われてるんなら生半可な対策では効果が出そうにありません。

まして野菜泥棒なんて……(顔見知りの犯行かどうかでも展開が変わりそう)


最悪、またしても住居・畑の移転に追い込まれるのかな……。

ぼっち村と言いつつ、なかなか一つ所に腰を落ち着かせられない流浪の民感。


来週以降も楽しみです。

 

 

 

今週のSPA!、他にも「スーパーから魚売り場が消える!」という日本の鮮魚流通の問題を取り扱った記事が面白かったです。


SPA!って言うと風俗特集とか中年がモテる方法とか悲惨な中年特集だとかばかり掲載しているイメージがありますけど、意外にちゃんとしたビジネス記事や独自取材記事が載っていたりもするんですよ。

以前もなぜか宇喜多秀家さんの生涯を追う特集をしていましたし。
孤独のグルメ」も2巻部分はこの雑誌で連載していましたし。
まんしゅうきつこ先生の「湯遊白書」もおもしろいですし。

政治的な記事も保守的なのかリベラルなのか分からないというか、各記者の好きなように書かせている印象です。

なかなかカオスな、闇鍋感のある雑誌で楽しいですね。

 

 

 

とりあえず、市橋先生が生活していけるよう、ぼっち村連載が長く続きますように。

 

 

 

 

倉木麻衣さんの「Time after time〜花舞う街で〜」と「名探偵コナン 迷宮の十字路」

 

 

倉木麻衣さんの「Time after time」を聴きたくてコナン君の映画「迷宮の十字路」を視聴し、想像以上に面白くてかんたんしました。

 

www.mai-kuraki.com

 


 
「Time after time」は「迷宮の十字路」の主題歌(エンディングテーマ)なんですが、私は世代的にコナン君をあまり知らないので、いままで映画は観たことありませんでした。

 


この歌、名曲なんですよね……。

倉木麻衣さんならではの通り抜けるような歌声と、切ないながらも凛とした恋の姿が浮かびあがる世界観。

 


Time after time。


「繰り返し」「何度も何度も」。


歌詞から繋がるイメージは「輪廻」と言った方がいいでしょうか……。

花御堂や巡る季節というモチーフは、「二世の契り」という古い日本語を想起させます。

昔の人は「夫婦の縁は来世まで続く」という言い方をしていたんですよ。


「生まれ変わるなら他の人を選ぶ」という意見もよく聞くところではありますが(笑)、私は生まれ変わっても同じ人を選びたい派です。

 

 

 

好きな曲なので、主題歌として採用されたコナン君映画も好きな内容だろう……

と思いついて、映画を観てみました。

 



「迷宮の十字路」、素直に面白かったです。

十代の頃に観れたらなおよかったなあ。

 


京都を舞台に連続殺人事件の謎を追うストーリー。

西の高校生探偵「服部平次くん」がコナン君と同じくらいに活躍する展開。

 


見どころとして、京都の美しい景観……再現度が凄かったですね。

よい取材をされたのでしょう。
京都駅や寺社、橋、通り……がめっちゃリアルでした。
仏光寺が出てきたのは個人的に嬉しい。

かつて京都に縁があった身としては、映像だけでしみじみ感じ入るものがありました。

 

 

コナン君と服部君はよい若者コンビですね。

お互いの初恋事情を語るシーン、いいなあ。
ティーンだなあ、いいなあ。

 

 

アクションシーンがよかったです。

とりわけバイクチェイスシーンと弓矢シーン全般。
コナン君が小さい身体でぐりんぐりんアクションするところは想像以上に格好良かった。

服部君の彼女的な人「和葉さん(かわいい)」がブラックジャックを使いこなしているのも凄味がありましたね。

 

 

灰原哀さんが一人で一条戻橋を見物していたのも不思議な情感がありました。

数多の京都名所が登場する中、戻橋だけ由緒がテロップ表示されたのも何故だかグッときます……。


それにしても、どうして哀さんは一条戻橋を見物していたんでしょう。

……安倍晴明ファン? 千利休ファン?


大人の身体に「戻りたい」とかなんですかね。

原作……灰原哀さんのキャラクターに造詣が深い方なら何か考察できるんだろうか。

 

 

あと、真犯人が動機を白状するシーンが意味不明で面白かったです(笑)。

 

 

 

そうして、最後に流れるエンディングシーン。


毬を手にして駆ける少女と、倉木麻衣さんのTime after time。

 


…………

 


ああ、これいいわ。


いい映画だったわ。


いい京都だったわ……と。

 


きれいなものを観た、という印象が残りました。

 


コナン君ファンの間でも評判がいいそうですが、さもありなんです。

 

 

 

 


京都はいいですね。


何がいいって、こうした名曲や名作映画をつくりだすだけの憧憬を集め続けているのが素晴らしい。

倉木麻衣さんも立命館大学出身ですし。

 

私ごとですが。

昔、某所の研修で「奈良の東大寺に、観光客を増やすコンサルをしなさい」という課題を出されたことがあります。

奈良から見れば……京都の文化的憧憬は強敵過ぎるんですよね。


同じ古都なのに京都ばかり……くすん。


という気持ちになったことを覚えています。
(あくまで研修上の脳内シミュレーションです)

 

 

京都がこれからも人々を惹きつけ続けるとともに、奈良や滋賀にももう少し光が当たりますように。

 

 

「老年について」著:キケローさん / 訳:中務哲郎さん(岩波文庫)

 

古代ローマの政治家・弁護士・哲学者キケローさんの著作「老年について」が味わい深くてかんたんしました。

 

老年について - 岩波書店

 


本文78ページ・解説28ページの小品ですので読みやすいです。


内容はタイトル通り、「老いること」についての考察を古代ローマの大政治家「大カトー」さんの言葉を借りて著述されております。

日本人にとっては分かりづらいのですが、大カトーさんが紀元前234年生まれ、著者のキケローさんが紀元前106年生まれの人ですので、ざっくり100年ちょい前の有名人の名前・人格を拝借している訳ですね。

 


主に論じられる主題は以下のとおりです。

 さて、わしの理解するところ、老年が惨めなものと思われる理由は四つ見出される。第一に、老年は公の活動から遠ざけるから。第二に、老年は肉体を弱くするから。第三に、老年はほとんど全ての快楽を奪い去るから。第四に、老年は死から遠く離れていないから。もしよければ、これら理由の一つ一つがどの程度、またどのような意味で正当かを、検討してみようではないか。

 

いかにも弁術家キケローさんっぽい構成ですね。

テーマを掲げて、一つひとつの要素を検証・論破していき、「だから老いは惨めではない」とまとめるやり方です。

 


この前口上通りに、本文では様々な古代ギリシャ・ローマ著名人のエピソードや演劇の引用などを繰り返して「老年が惨めなものと思われる四つの理由」を否定してまいります。


説得力がある部分も怪しい部分も混じりながらですが、おおきくは現代にも通じる価値感……自身の努力や克己によって老いの惨めは回避可能、むしろ老年とはよいものだというスタンスに立ってはります。

この点、西洋世界で「老年賛歌」を謳い上げたのは当著が初めてかもしれぬそうですよ。
ギリシャ哲学などでは「老いはつらい・醜い」がスタンダードのようですので。

 

 

本文の中で、こういった物言いは私好みです。 

 わしがこの談話全体をとおして褒めているのは、青年期の基礎の上に打ち建てられた老年だということだ。そこからまた、これは以前にも述べて大いに皆人の賛同を得たことだが、言葉で自己弁護をしなければならぬような老年は惨めだ、ということになる。白髪も皺もにわかに権威に摑みかかることはできぬ。まっとうに生きた前半生は、最期に至って権威という果実を摘むのだ。

 自然に従って起こることは全て善きことの中に数えられる。とすると、老人が死ぬことほど自然なことがあろうか。同じことが青年の場合には、自然が逆らい抵抗するにもかかわらず起こるのである。だからわしには、青年が死ぬのは熾んな炎が多量の水で鎮められるようなもの、一方老人が死ぬのは、燃え尽きた火が何の力も加えずともひとりでに消えていくようなもの、と思えるのだ。果物でも、未熟だと力ずくで木から捥ぎ離されるが、よく熟れていれば自ら落ちるように、命もまた、青年からは力ずくで奪われ、老人からは成熟の結果として取り去られるのだ。この成熟ということこそわしにはこよなく喜ばしいので、死に近づけば近づくほど、いわば陸地を認めて、長い航海の果てについに港に入ろうとするかのように思われるのだ。

 

豊かな老後は青年期の頑張りあってこそ。

その上で、農業や創作に励み、死後の魂の不滅を信じて暮らせば……
老年期になんの惨めなことがあろうや。


そんなメッセージに彩られた名文なんですよ。

 

 


とりわけ農業……葡萄づくりに関する部分の記述は素晴らしいです。

迂闊にこの本を読んだら、「よっしゃ老後は田舎暮らしや!」と言ってしまいそうになります。

伴侶がそういう夢追い人になったら困る方は読ませない方がいいでしょう。

 


また、こうしたささやかな願望は現代シニアの共感を強く惹起すると思います。 

 一見取るに足らぬ当たり前のようなこと、挨拶されること、探し求められること、道を譲られること、起立してもらうこと、公の場に送り迎えされること、相談を受けること、こういったことこそ尊敬の証となるのだ。


こうした尊敬を勝ち得た老人は、古代でも現代でも稀なんでしょうね……。

 

 

 

早世しない限り、老いは誰のもとにもやってきます。

こういった本を読んでみるのもたまにはいいと思いますね。

 

 

 

 

それに。


この著を記したキケローさん自身が、「言葉で自己弁護をしなければならぬような老年は惨め」「果物でも、未熟だと力ずくで木から捥ぎ離される」という老年期・最期を迎えた方であります。

言うなれば、この本はキケローさんの「理想の老後」であり、「こうなりたかった姿」……願望を形にしたものなんですよ。

 


リア充が異世界に行って無双する的な……


現実ではカエサルさんやアントニウスさんたちに追いかけ回されながら……

著作の中では共和政ローマの善き頃に思いを馳せているという……

 



非常に人間臭い作品とも言えるのです。

 


キケローさんはスッラさん独裁~第一回三頭政治~第二回三頭政治というローマ版戦国時代において、けっこう「危なっかしい」「損な役回り」を演じてしまう人でした。

弁論上手なんですけど、時代のヒーローを敵に回す方向に弁が立ってしまう感じで。


そんなこんなで政治家としての評価は英雄カエサルさんたちの「当て馬」扱いになりがちなんですけど……


こうしたピュアな理念・情念に満ちた名文章を多く遺されているところはもっと評価されてほしいと思いますね。

 

 

 

老いの教科書としても、人間キケローさんに思いを馳せる材料としても、優れた書籍だと思います。


キケローさんが理想としたような立派なお年寄りが増えて、世代間の不毛な争いが少なくなりますように。

 

 

 

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ちなみにキケローさんが自身の理想を託した「大カトー」さんは。


どんなスピーチをしていても最後は必ず「だからカルタゴは滅ぼさねばならぬ」で締めくくったことに定評のあるおじさんです。

 

大スキピオさんがカルタゴの英雄ハンニバルさんを破ってイエーイした後。

カルタゴの猛烈な復興スピードを目の当たりにして危機感を強めはったということで。
敗戦国がすごいスピードで経済成長するのって、古代からよくある事例なんですよね。

 


太平洋戦争後、アメリカに大カトーさんがいなくてよかったと思います。

 

 

 

「法のデザイン 創造性とイノベーションは法によって加速する」水野祐さん(フィルムアート社)

 

 

表題の書籍がすこぶる良著でかんたんしました。

 

filmart.co.jp

 


この本、いいですよ。

ビジネス関係書籍でこんなに「おもしろい!」「すごい!」と唸った本は久しぶりです。


著者の水野祐さんはクリエイター界隈で有名な方ですが……

クリエイターさんに限らず、ビジネスパーソンや官僚・政治家などの中で、物事を「前」に進めることに関心のある方全般に広く読んでいただきたいと思いました。

 


但し、本の内容は「実践的な手順を教えてくれる」「何をしたらいいのか教えてくれる」類ではありません。

水野祐さんが法律家の立場から、世の中の流れと、今後求められていくであろう法や社会制度のあり方について「視点」を提供してくれる本となりますので、「何をしたらいいのか考えたい人」向けの書籍と言えるでしょう。

決して万民向けではありませんけど、熱意や知性に溢れた人材にとっては素晴らしい気づきを得られると思いますよ。

 

 

本は大きく二部構成になっていて、一部では「法のデザイン」に関する総論が、二部では様々な領域におけるトピックスと著者の考察が書かれています。

 

 

 

第一部

 

いきなりカタい話から始まりますが。


著者のスタンスとして、高度情報社会、あるいは成熟した社会では、人間の活動を規制する四要素「規範・慣習」「法律」「市場」「アーキテクチャ※」、とりわけ法律やアーキテクチャが硬直的になりがちであり、「余白」が生まれにくいということを述べられております。

 ※アーキテクチャ……物理的・技術的な環境。
  たとえば技術的にデジタルデータをコピーできなくする設計、
  ホームレスが寝られないような形状のベンチ、
  ファーストフード店の椅子の硬さなど。


その上で、イノベーションや創造性は「余白(コモンズともいう)」から生まれるものなんだと。

ガチガチに各種権利を守るような規制をつくってしまったら身動きが取れなくなる。
もちろん余白を広げ過ぎても社会秩序が維持できなくなる。

「程よい余白」をみんなで考えてみようよ。
法律だって上手く使えばガチガチ部分と余白部分を使い分ける設計ができるんだよ。

 


という趣旨のことが書かれています。

 

 このような情報化社会において、法律や契約を私たち私人の側から主体的にデザイン(設計)するという視点が重要になる。「リーガルデザイン(法のデザイン)」とは、法の機能を単に規制として捉えるのではなく、物事や社会を促進・ドライブしていくための「潤滑油」のようなものとして捉える考え方である。

 さらに言えば、リーガルデザインとは、国家が一方的に定めるルールに従うのではなく、私たち私人の側から自発的にルールメイキングしていく、という考え方であり、その手法のことである。 

 「コンプライアンス」は、企業などの組織が、その組織に求められる社会的な要請や責任を法令等のルールに従って、適切に実現していくためのプロセスや枠組みのことをいう。そして、創造性やイノベーションを標榜する個人、企業、そして政府などであれば、これらの個人または組織に求められる社会的要請をいかに実現していくのか、そのプロセスを戦略的に実践する枠組みこそが新しいコンプライアンスの形と言える。このような新しい形のコンプライアンスは、まだ体系化こそされているわけではないが、GoogleTwitterFacebook、近時ではUberAirbnbなど、主に米国で世界を変えてきたサービスや企業による実践のなかですでに世界中に広まりつつあるように思われる。よく知られているように、彼らは時に大胆な法解釈の読み替えや社会的要請を背景に強力なロビー活動を行ってきた。それは決して「法令順守」という思考停止からは生まれてこない。彼らはそのような大胆な法解釈の読み替えが自らに課せられた社会的な要請を実現するため必要だと判断し、それを遂行してきたのだ。この読み替えやロジックの組み立ては法の潜脱や違法の助長とは異なる。自らのビジョンやアティチュードを社会的意義のなかに位置づけるということを、社会のルールである法は時代とともに変化しうるということを当然の前提として行っているのである。
 私たちはそろそろ、「法令順守」に代わる新しいコンプライアンスの訳語を発明する必要がある。その新しい訳語は、リーガルデザインの概念とも相似するのではないだろうか。

 リーガルデザインは二十一世紀の知財戦略であり、法的視点からのビジネス戦略であり、文化論でもある。私たちはルールメイキングの舵取りを自らの手に取り戻す必要がある。そのために、法に従いながら、法を「超えて」いく必要がある。

 

 

この時点で私が日ごろ法律家に期待していることがそのまま記されていたので、非常に高い満足を覚えました。

こういう思いで働いてはる弁護士さんがたくさんいれば、ビジネス側ももっと顧問料なり相談料なり支払いますよ!

 

 

 

第二部

 

各分野のトピックス・考察が続きます。

すべてを紹介していたらキリがありませんので、各分野で私が特に印象に残った箇所に絞って紹介して参ります。

 

 

1 音楽

「サウンドの権利」と「リミックス文化」に興味を抱きました。


サウンドに関する著作権のあり方について。

 過去の楽曲の大胆なサンプリングは、一九八〇年代後半から一九九〇年代前半において、サンプリングした側が相次いで敗訴したことから、一部高額なライセンス料などを支払える有名ミュージシャン以外は使用できなくなり、下火になった

 著作権の問題によりサンプリングが弾圧された後にミュージシャンに残されたサンプリング手法は、いかに「細かく」するか(バレないようにするか)、または、いかに権利が生じていない部分を発見して切り取るか、の2パターンにならざるを得なくなった。

 音楽史が進む中で、メロディやコードといった有限な部分を権利で縛っていけば、やがて作れる音楽はなくなってしまうだろう(少なくとも、自由に使える部分は減っていくのは間違いない)。短期的な視点に基づく著作権の過剰な強化は、一部の権利者を利することはあっても、音楽文化を衰退させ、著作権法の目的である「文化の発展」(著作権法第1条)に反する結果を招来することはすでに自明である(権利の保護以外にも、著作権者に対価を分配する方法はある)。

 


その一方で音楽のオープン化、リミックス活性化を図る動きも。

 日本における事例としては、テクノ・ポップ・ユニットperfumeが、モーションデータや音楽データ、ボディ・スキャンデータなどをオープンソースにして公開する試みが注目された。これまで、音楽におけるオープンソースのプロジェクトは、初音ミクのようなキャラクターものか、一部の作家性の強いミュージシャンが取り入れるにとどまってきたが、このperfumeによるプロジェクトは、ポップ・ミュージックにおけるオープンソースの試みとして画期的な先例と言えるだろう。

 


JASRAC関係もよく話題になりますが(無責任にJASRACを叩いている人も多いと思いますが)、権利者保護と文化活性化の両面からちょうどよい落としどころを探る姿勢が必要なんでしょうね。

リミックスについては、オリジナル作品への敬意があまり感じられない作品も多いので、その辺はなんとかならんかなと思いますが……(笑)。

 

 

2 二次創作

初音ミクさんがしばしば「オープンソース」として扱われるんだけど、実際はイラスト部分が条件付きでオープン化されているだけで、ボーカロイドとしての音声ソフトウェアの部分はしっかり権利保護されていてマネタイズされているんだよ、という部分を読んで、あらためて「巧みやなあ」とかんたんしました。

二次創作は「放置」か「黙認」を選択することになりがちですが、上手くコントロールできればコンテンツをおおいに盛り上げることができるというやつですね。

 

 

3 出版 

欧米では出版者が作家から著作権の譲渡を受ける場合が多いけど、日本では作家に著作権が残るケースが多いので、権利を一元化できておらず、結果として出版者が作家の著作権を上手に活用できていないケースが多いんじゃないかという記載になるほどど思いました。

確かに、「行方不明の作家さんを探してます」みたいな話が時々ありますもんね。

出版社が作家に信用されていないからだ、ということかもしれませんけど……。

 


4 アート 

フランスで制度化されているという「追求権」に関心を抱きました。
(これはどちらかというと権利保護強化の話です)

アーティストって、ギャラリーなどの一次市場に作品を売却した後は、オークションとかの二次市場からはお金が入ってこないですよね。
フランスでは二次市場以降の転売でも、売買金額の一部がアーティストに届くみたいです。

これ、美術流通の透明化の観点ではいいかもしれませんね。
ギャラリーフェイクのような闇マーケットはダメージを受けそうです。

 


5 写真 

肖像権やパブリシティ権が強くなり過ぎてプロによるスナップ写真が死滅しかかっている一方、素人がInstagramFacebookにアップするスナップ写真は花盛りだということが紹介されています。


少し法律論から離れますが、

 情報技術により、人が一生かかっても見切れない量の写真が日々生産されゆく時代。写真がますますイメージとして我々の生活に氾濫し、溶けていくとき。そのような時代に、写真家は世界の何を切り取り、何を撮るのか? 写真というアートフォームは作家の思考をあまりにもシンプルに表出する(してしまう)からこそ、そのようなことを考えると、なんだか写真がこれまで以上に魔力的な魅力をもって迫ってくるように思えるのだ。


こういう著者のコメント、いいですね。

この章に限らず、そもそも水野祐さんはクリエイターやアーティストのことが好きなんだろうな、リスペクトしているんだろうなということが伝わってきます。

だからこそ、そうした業界の方々から頼りにされているんでしょう。

 


6 ゲーム

三國志Ⅲ事件」「ときめきメモリアル事件」といった懐かしい事例を挙げつつ(さすが弁護士)、ゲームを「映画の著作物」と見続けるのか、「プログラムの著作物」と見做すように変わっていくのか、ということを書いてはります。

一般には映画として扱った方が権利保護上よいと考えられている訳ですが、オープン化、MOD、実況、といった昨今の要素を踏まえれば一考の余地があるのかもしれません。

とは言え、ゲーム業界はいまも権利侵害勢と血みどろの争いをしていますので、個人的にはゲームメーカーは首を縦に振らないような気がしますね……。
ゲームに対価を払う発想のない人がなぜか世の中には多いみたいです。
私もよく中古ソフトを買いますので偉そうなことは言えないのですが……。

 


7 ファッション

ファッション界でも型紙やデザインのオープン化事例が出てきているんですね。
存じませんでした。

そもそもファッション業界が大きく成長してきたのは、お互いのデザインをパク……参考にし合う、フリーカルチャー性にあったのではないかという指摘は新鮮です。
オープン化した「今年の流行」でユーザーを席巻できるからこそ、どのブランドも服がよく売れるのかもですね。

 


8 アーカイヴ

土地の話に似ているのですが。
権利者不明で死蔵せざるを得ない作品……「孤児作品」の増加は深刻な問題であります。

強引に公開して、文句を言われたら取り下げる「オプトアウト方式」はまだまだ世間様の理解を得られておらず。
「何のために収集・保存してるんだ!」という感じなのですが、分かっちゃいるけどやめられない式にどんどん孤児作品が増えています。

個人的には、一定期間に亘って権利者不明な作品(や土地)はオープン使用を認めるか、公的競売に流しちゃっていいと思いますけどね。


こういうことこそ有権者で話し合って、行政に声を届けるべきなんでしょう。
何の意見もなければ、行政はリスクを取ることなんてできませんし。

著者の思いもそういうところにあるんだろうなと思います。

 


9 ハードウェア

「PL法厳し過ぎ」問題が挙げられています。

大企業ならともかく、ベンチャーなクリエイターにはキツすぎる、だから海外勢に負けるんだ的な感じでしょうか。

有名な都市伝説「日本の電機メーカーもルンバを創る技術はあったが、仏壇に当たって蝋燭が倒れて火事になったらどうしようということで作らなかった」に繋がりますね。


これも、有権者が「事故が起こる⇒行政が規制しろ」を言い続けてきた結果、裏側では「イノベーションが起こりにくい社会を築く選択をしてきた」ということなのでしょう。

うーーーん。

「経済成長の芽を潰さないためなら、ちょっとくらい爆発する製品が増えてもイイよ!」という有権者が増える気はしないなあ……。
子どもが減る中、命のインフレは止まりそうにありません。

 


10 不動産

家あまりの時代に、「新築至上主義」な諸規制が不整合を起こしている、という本当その通りなトピックスに頷きました。

リノベーションは少しずつ普及してきていますけど、減築ももっと話題になってほしいですね。

 


11 金融

必ずしも金融的な話題ではありませんが……。

ブロックチェーン技術が普及し、あらゆる領域に適用されていけば、記録管理が客観的・硬直的になり過ぎて、何かしら余白が足りない問題が起きるかもなあ、どんな問題かは分からんけど、という著者のコメントが面白かったです。

例えば、プライバシーに関わる領域とかでは「消せない・誤魔化せない過去」は不都合極まりない気がします。
国によっては国籍・戸籍管理方面で厳正管理が進めば困る人も増えるでしょうね。

 


12 家族

家制度の崩壊やLGBT認知の向上、戸籍制度のレガシーさといったトピックスが挙げられております。


家制度……「長男」「本家」といった言葉に付随する意味が消えていったとしたら。
私の愛する時代劇や中世史が更に取っつきづらいものになってしまう気が……。

 「家督争い? 先生、意味が分かりません」
 「大奥なんて金の無駄じゃないですか。意味が分かりません」


という風潮がますます進むんだろうなあ。
日本史の先生は大変だなあ。

 


13 政治

ここまでを読んだ方なら、「政治」という章に書いてあることも想像できると思います。

 情報化社会において、法律の解釈・運用により生まれる「余白」や契約をいかに設計・デザインしていくかというリーガルデザインの思想が本書のテーマであるが、単に法律や契約を設計するだけでは無意味であり、それを使う私たち個人、ひいては国家の法に対する認識のアップデートも同時に求められる。その際に重要なことは、法律の解釈・運用や契約を活用することにより、個人がルールの形成過程に積極的に参画していくというマインドである。そのような参画がやがて法制定や法改正の過程に反映される。そうした循環・エコシステムと、私たちの法に対するマインドセットの更新が必要になってくる。
 オープンガバメントは、本書が提示しているリーガルデザインという思想の前提として重要な意味を持つ。もはや、私たちは、技術的には、個人や企業間の契約のみならず、国と私たちの契約である法律も、私たち自身で主体的に設計・デザインすることができる時代を生きている。そのような時代にあって、リーガルデザインの考え方は、民主主義社会における政策決定プロセスを再生させるための有効な武器になり得るのではないだろうか。


こういうスタンスの有権者が増えたらいいな、と私も同感します。

 

 

 

 

 


以上、さまざまな知見を得られる良著でありました。

 


世の中には賢人さんがいらっしゃるものですね。

著者さんはあとがきで「私たちの社会に存在する多様で複雑な事象が、多様に複雑なまま成立し、受容されるしなやかさのある社会」が良い社会・豊かな社会ではないかと仰っていて、本当にその通りだと思います。

 

 

私見では。


余白が認められるためには、多様性が受容されるためには、景気がよくないとどうしようもありません。

残念ながら、仁徳や知性を磨くだけでは人は寛容にはなれない……寛容であり続けられない……
ということを人類の歴史が証明しております。


皆で頑張って働いて景気を良くする ⇒ 余白や多様性が生まれる ⇒ イノベーションが起こる ⇒ もっと景気がよくなる


という美しいサイクルが生まれるといいですね。


やーほんま、生まれてくれますように。

 

 

東京藝大で「皇室の彩 百年前の文化プロジェクト」……大正期の皇室献上品アート展をやるそうです(美術手帖の記事より)

 

 

10月の末から東京の上野にある東京藝術大学大学美術館で面白そうな展覧会をやるとのニュースにかんたんしました。

 

bijutsutecho.com

 

東京藝術大学大学美術館のサイト

皇室の彩(いろどり)

 

およそ 100 年前。大正から昭和最初期の頃に、皇室の方々の御成婚や御即位などの御祝いのために、当代選りすぐりの美術工芸家たちが技術の粋を尽くして献上品を制作しました。中には、大勢の作家たちが関わった国家規模の文化プロジェクトがありましたが、今日ではそれを知る者がほとんどいなくなっています。いったん献上されたそれら美術工芸品は、宮殿などに飾り置かれていたために、一般の人々の目に触れる機会が極めて限られてきたからです。
古くから皇室は、日本の文化を育み、伝えてきましたが、近代になってからは、さまざまな展覧会への行幸啓や作品の御買上げ、宮殿の室内装飾作品の依頼などによって文化振興に寄与してきました。皇室の御慶事に際しての献上品の制作は、制作者にとって最高の栄誉となり、伝統技術の継承と発展につながる文化政策の一面を担っていました。大正期には、東京美術学校(現、東京藝術大学。以下美術学校)5代校長・正木直彦(1862 ~ 1940)の指揮下で全国の各分野を代表する作家も含めて展開された作品がこの時代の美の最高峰として制作されました。本展では、宮内庁に現存する作品とともに、その制作にまつわる作品や資料を紹介いたします。
また本展は、東京美術学校を継承する東京藝術大学の創立130周年を記念して、東京美術学校にゆかりある皇室に関わる名作の数々も合わせて展示いたします。皇室献上後、皇居外で初めて公開される作品を中心に、100年前の皇室が支えた文化プロジェクトの精華をお楽しみください。

 

 

 


これは楽しみですね。

スケジュールを合わせて行ってこようと思います。

 

⇒行ってきました('17.11.11追記)

 (感想)「皇室の彩 百年前の文化プロジェクト」東京藝大美術館 - 肝胆ブログ

 

 

上村松園さんなど明治大正期の芸術家の文章を読んでいると「献上品を制作している」旨がサラッと記載されていたりして、前から気になっていたんですよね。

美術手帖の記事には上村松園さんや横山大観さんの絵が展示されるとありますし、絵画以外にも蒔絵や飾り棚といった工芸品の数々が公開されるとのことで。

 

皇居外で公開されるのは、作品献上後、今回が初めてとなる。


たいへん貴重な機会です。

一品一品が至宝レベルなんでしょうし、意気込んで見てこようっと。

 

 

 

 


「100年前の皇室が関わった文化プロジェクト」という文化事業の面も興味深いですね。

 


アートは、文化は、誰のものなのか。

 


よく出るような話題ではありますけれども。

 


経産省がクールジャパンと言っていたり
企業メセナが定着しそうでそうでもなかったり
無償でネットに作品をアップするクリエイターが増えたり
クラウドファンディングを活用したアート制作なんかも始まったり


一方で


昔ながらに大寺社や大金持ちがアートを発注していたり
地域地域の伝統文化がしっかり継承されていたり。

 

 

アートって、スポンサーも楽しむ人もものすごく広がってきていますよね。


そんな中、「皇室が関わった大正期の文化プロジェクト」って……

逆にとても新鮮な響きがございます。

 

 

「現世の最高権威へ献上するために作品を制作」ですよ。

商業性やメッセージ性がどうしても前に出がちな現代文化から見れば、ものすごく珍しい切り口ですよ。


きっと、現代では珍しくなってしまったタイプの気概や気品を感じ取ることができるのではないでしょうか。

こういった展示会は、クラッシックな趣味の方だけではなくて、むしろ前衛的なクリエイターこそ見に行ったら刺激になると思います。

 

 

開催までまだ一箇月ありますが、とても楽しみです。


展示会の内容が期待以上のものでありますように。

わくわく。