肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

小説「破船 感想」吉村昭さん(新潮文庫)

 

吉村昭さんの小説「破船」を読みまして、例によって救いに乏しい過酷な展開を淡々刻々と描写する筆致にかんたんするとともに、帰属する集団に自己が埋没する人間のありようがリアリティあり過ぎてぞくぞくしました。

 

www.shinchosha.co.jp

 

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二冬続きの船の訪れに、村じゅうが沸いた。しかし、積荷はほとんどなく、中の者たちはすべて死に絶えていた。骸が着けていた揃いの赤い服を分配後まもなく、村を恐ろしい出来事が襲う……。嵐の夜、浜で火を焚き、近づく船を坐礁させ、その積荷を奪い取る――僻地の貧しい漁村に伝わる、サバイバルのための異様な風習“お船様”が招いた、悪夢のような災厄を描く、異色の長編小説。

 

小野具定さんのカバーイラストが素晴らしいですね。

暗澹たる海の物語を見事に表現されているように思います。

 

 

ストーリーはほぼほぼ上記あらすじの通りですから、ネタバレを気にせずリアリズム溢れる文章を味わいましょう。

 

 

江戸時代、とある貧しい漁村。

穀物はまともに育たず、漁業と身売りで生計を立てている。

村には秘密があった。

冬季、あえて海が荒れた日の夜に浜で塩炊きをし、火を見て近づいた船を座礁させて、船員を殺害し、積荷を奪い、生計の足しにするのである。

村ではこの略奪行為を「お船様」と呼び、最大の慶事としていた。

 

しかしある冬に訪れた「お船様」には積荷がなく、船内の人間は既に死に絶えていた。

死者は皆、一様に赤い着物を着ている。

流行り病の病人を海に放逐したものとも察せられたが、村人には慶事である「お船様」をスルーする判断はなく、赤い着物を村人に分配した。

 

結果、村には天然痘(疱瘡)が蔓延し多数の死者が発生。

生き残った病人も、再発を防ぐため山へ追うことに。

 

人口が激減した村。

主人公伊作少年の家も、妹が死亡、母・弟は山へ追放となり、一人きりに。

そこへ、身売り奉公に出ていた父親が帰ってくる場面で物語は終了――

 

 

という内容です。

超ビター。

(フィクション作品です。元ネタの江戸時代初期の記録はあるそうですけど)

 

閉鎖社会における独特の因習、

破船略奪行為の因果応報で村が半壊する展開、

「隔離」「祈祷」しか対策がない時代の感染症の恐怖、

等々、読み応えあるポイントが満載の作品でして、分量も200ページちょいですから一晩で読み終えてしまいました。

 

 

 

もともと「漂流もの」作品が多い吉村昭さんですから、逆視点で漂流船を襲う作品を描くと残酷ぶりが一層引き立ちますね。

「仏はいくつあったんだね」

伊作は、岬の上から見下した二艘の小舟を思い浮べながらたずねた。

白湯を飲んでいた母が顔をあげると、

「海に落ちて溺れ死んでいた者が三人。船には傷を負った男をふくめて四人いたが、一人残らず打ち殺した」

と、低い声で言った。

「手向かいでもしたのかね」

伊作は、炉の火に映える母の顔をうかがった。

「初めからさからう素ぶりはなく、命乞いをしていたそうだ」

母は、抑揚の乏しい声で言った。

おそらく水主たちは、神仏の加護を求めて髷も切り落としていたにちがいない。ざんばら髪のかれらが膝をつき、船に乗り込んできた村人に手を合わせて助命を乞うている姿が想像された。

「情などかけてはならぬのだ。かれらを一人でも生かしておけば、災いが村にふりかかる。打ち殺すことは御先祖様がおきめになったことで、それが今でもつづけられている。村のしきたりは、守らねばならぬ」

母の眼に、険しい光が浮かんだ。

伊作は、神妙な顔でうなずいていた。

 

吉村昭さんが描いた大黒屋光太夫さんや長平さんたちももしかしたらこういう末路を辿っていたのかもしれませんし、彼らの小説で描かれた悲惨な漂流後にこんな展開が待っていたとしたらと想像すると救いがなさ過ぎて黙然とするばかりであります。

 

 

私としては、この作品は江戸時代の寒村を舞台にしたものではありますけど、特殊な(ブラック等)企業や(カルト等)集団にも通じるような、「自己が集団に埋没する、運命共同体的小社会の恐怖」が充分な現代性を有していて怖いな、と痺れました。

 

お船様」は、村にとっては慶事ですが、世の中からすれば「罪悪」であることは言を俟ちません。

そんな中、閉じた村で生まれ育った主人公伊作少年が、ずっと村にいたい、隣村等の他の地域には行きたくない、と感じるプロセスがリアリティあり過ぎでぞくぞくするんですよね。

ある種の洗脳教育小説じゃん、となります。

周旋人の家の土間で一泊してもどったが、再び峠を越えて山路から村を見下すことができた折の深い安らぎは忘れられない。かれは、村以外に自分の生きる場所はないことを実感として感じた。

廻船問屋の男たちが、行方知れずになった船の行方を探っているという話を聞いてから、隣村が得体の知れぬ恐しい地に思えてきた。隣村は島の一部で、さらにその島も海を越えた果しなく広い地に属しているという。それらの地には一定の掟があり、村の古くからうけつがれた定めとは異なったものらしい。

村の死者は、海の彼方に去り、時を得てその霊が村の女の胎内にやどるというが、霊は村以外に帰る地はない。慶事が悪事とされる定めの異なった地に戻るとすれば、ただ戸惑うばかりだろう。今後、所帯を持てば、当然、塩売りなどで隣村におもむかねばならぬが、出来るかぎり足を向けたくない。秩序立った定めの守られている村に、身を置いていたかった。

 

環境の違いが、生計手段の違いを生み、やがて倫理や信仰の違いを生んでいく。

弱く小さく閉じた社会で生きる者は、他の社会で生きることが恐ろしくなる。

どちらの社会で生きる者も、定めに従って生きているだけなのだけれど。

 

こうした人のありようを淡々と語られると、かなしい気持ちになりますね。

多様化が求められる現代にこそ、あえて読んでおきたい作品のように思います。

 

 

経済や技術の発展が、個人と個人間、社会と社会間での価値観の融和を促し、人類総体での安心量増加に繋がっていきますように。