私用で北陸に遠征(大成功)していたところ、念願の「斎藤実盛さんの首を抱え天を仰ぐ木曽義仲さんの像」を拝見することができてかんたんしました。
石川県の南端、小松空港や加賀温泉がある辺りに位置する篠原古戦場。
木曽義仲さんのサクセスロードのひとつで、火牛計伝説で有名な倶利伽羅峠の戦いの次戦が行われた場所であります。
平家方が総崩れになる中、老将斎藤実盛さんが小勢で奮戦するも、圧倒的な木曽義仲勢の前に遂に討ち取られてしまう戦いですね。
その老将斎藤実盛さん。
木曽義仲さんにとって幼い頃の命の恩人という関係でございまして、図らずも恩人を討ち取ってしまうことになった木曽義仲さんの心中は察して余りあるものがあります。
どこまでが史実でどこまでが物語なのかはよく分かりませんが、私はこういう運命が悲しい交じり方をする話が好きなのです。
斎藤実盛さんは白髪を黒く染めて出陣したと言われており、討ち取られた後、この池で首を清めたところ、みるみるうちに髪が白くなったのだとか。
三人の様子を描いた銅像がこちらです。
木曽義仲さんの物語の中で、私はこの場面が一番好き。
北陸新幹線の延伸にあわせてもし木曽義仲さんの大河ドラマをやるのなら、ここにこそ力点を置いてほしいと思います。
木曽義仲さんのアップ。
雨で銅像が少し溶けて、いっそう涙しているように見えてしまいますね。
こうしたシチュエーションの銅像は珍しいですし、ダイレクトなインパクトがいいと思います。
運命を哀しむ青年武将として造形されているだけに、木曽義仲さんのその後の運命まで思い描いてしまって何とも言えない無常感に襲われます。
状況的に気まずいどころではないと思いますし、それ以上に私のイメージするこの時代の武士は、主が悲しいときは家臣も同じだけ悲しい思いになって一緒に号泣していたんじゃないかなあと。
ちなみに樋口兼光さんは直江兼続さんのご先祖様とされていますね。
もはや何も語らない斎藤実盛さんの兜。
そして江戸時代に訪れた松尾芭蕉さんの句碑。
「むざんやな 兜のしたの きりぎりす」。
木曽義仲さんはともすれば豪快で乱暴なパリピ感高い方のように扱われがちですが、このエピソードや巴御前さんとの関係等、様々な面を持っている豊かな人物だと思いますからもっと人気が出るといいですね。
ちなみに篠原古戦場の近くには有名な安宅の関(勧進帳舞台)もあります。
むしろこちらの方が有名なので、義経・弁慶主従ファンに篠原古戦場も近くにあるんだよということをアピールしたいところです。
日本海に沈む夕陽がとてもきれいでした。
旭日将軍の銅像を見たあとに夕陽を見ると、物思いしちゃいますけどね。
これで、畠山重忠さんの銅像とともに、いつかは見てみたかった銅像を無事に拝見できて何よりでした。
「三好長慶さんの銅像」堺市南宗寺と大東市役所 - 肝胆ブログ
埼玉県「大里郡寄居町の鉢形城(長尾景春&北条氏邦)」と「深谷市の畠山重忠公史跡公園」 - 肝胆ブログ
そのうち大内氏関係史跡とか佐賀県とかにも行きたいと思っています。
が、どうせ行くなら何日か自由時間を確保したいですし、でも何日も確保しようとするとなかなか予定が立てられないですし。
難しいものでありますね。
運輸産業の方は大変な渦中にありますが、インフラの整備・保持とともに、庶民の旅の安心をこれからも支え続けてくださいますように。
いつも感謝しています。