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かんたんにかんたんします。

「アイデンティティが人を殺す 感想」アミン・マアルーフさん / 訳:小野正嗣さん(ちくま学芸文庫)

 

アイデンティティが人を殺す」というエッセイを読んでみたところ、まこと現代世相にフィットした考察や意見が記されていてかんたんいたしました。フランス語の原文には触れていませんが、小野正嗣さんによる訳もすごくいい気がいたします。

このテキストは、高校生の現代国語とか、大学一般教養の題材とかに使うと今後の世界を生きる若者的にもいいんじゃないかなあ。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

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著者アミン・マアルーフさんの作品は、前に「アラブが見た十字軍」を読んだことがあります。

「アラブが見た十字軍」アミン・マアルーフさん / 訳:牟田口義郎さん・新川雅子さん(ちくま学芸文庫) - 肝胆ブログ

 

かの本も著者の高い知性やフェアな感性を感じることができる名作でしたが、この「アイデンティティが人を殺す」は著者の人間的な魅力・スタンスを一層感じとることができていいですね。

 

 

 

当著は200ページ弱の小品でして、

宗教や国家や民族や言語等々、アイデンティティとは?

アイデンティティが時には戦争や弾圧や虐殺を招く事実をどう思うか?

今後の世界を生きる者はアイデンティティをどう飼いならしていけばいいのか?

等々についてをテーマに、ご自身の考えを記されています。

 

著者のアミンさんはレバノン生まれ※でフランス在住、一族はイスラム教徒で自身はキリスト教徒とのことです。

レバノン・フランスという二国にまたがった経験、

イスラム教とキリスト教の二大宗教に接した経験があればこそ、

ある程度アイデンティティというものを客観的に見つめることができるのでしょう。

 

※そういえばゴーンさんもレバノン由来の人ですね。彼もレバノン・ブラジル・フランス・アメリカ・日本と、各国をまたいで活躍してきた人物です。日産事件について現在週刊漫画ゴラクで白竜さんが仕切り始めているのが楽しみでなりません。

 

 

 

アイデンティティ、宗教、民族、国家、言語……的な話をすると、一般的な日本人には馴染みにくく感じるかもしれませんが、日本人とて出身県や地域、学校、会社、方言、性癖、推し、クラスタ、界隈、右と左等々、様々な属性を帯びて日々誇ったり争ったり内輪ノリを築いたりしている訳ですので、決して縁遠くはないと思うんですよね。

さすがに人の死亡にまで繋がる事案は多くないと思いたいですけど……。

 

ので、以下でアラブとか英語みたいな話が出てきて、もう一つノリについていけない場合は、適当に「大阪生まれ」「関西弁」とかに脳内変換してお読みください。

 

 

 

それでは、本の中で印象的な箇所を引用しつつ、私見を付記していきます。

 

 

私のアイデンティティとは、私がほかの誰とも同じにはならないようにしてくれるものです。

アイデンティティは例外なく複合的なものなのです。

 

要するに、アイデンティティを問われた際、得てして人は「●●人です」「●●教徒です」となりがちですが、実際の個々人は●●人で●●教徒で●●語を話し●●出身で●●の性的嗜好を持ち●●の趣味を……と複合的な帰属先を有しているものなので。

●●人、●●教といった1つの帰属先だけに着目して「●●人はこんな奴ら」「●●教を追い出せ」とかやるのは変だよね、ということを書いてくれています。

アイデンティティってとても大事、でもそのうちの1パーツを抜き出してラベリングするのはちょっとね、的な。

 

まったく仰る通りですけど、同質性の高い日本社会でもこういう思考をしがちですから人間のバイアスってのはなかなか根深い陥穽でありますね。

 

 

 

私たちには、いちばん攻撃にさらされる帰属におのれの姿を認める傾向があります。

傷つけられたコミュニティのそれぞれに扇動者が現れるのは自然の流れでしょう。

 

「心の傷」としてアイデンティティを実感する、というのは慧眼だと思います。

誰かを攻撃している人は、相手に傷つけられていると感じているから……という場面、実際に見たことある方も多いのではないでしょうか。

 

 

 

イスラムが他の諸文化と共存しあい豊かに交流しあう巨大な潜在能力を持っていることは歴史的にはっきり証明されています。しかし昨今の歴史が示しているように、後退は起こり得るし、その潜在能力が長いあいだ、まさに潜在的な状態にとどまり続ける可能性もあるわけです。

影響というのは相互的なものです。社会が宗教を形成し、すると今度は宗教が社会を形作るのです。

近代化が非西洋地域の人々のアイデンティティに与える傷

 

「アラブが見た十字軍」にも表れていましたが、著者は自分のルーツであるアラブ社会の近代化の遅れを冷静に認識しています。

一方、その要因のひとつとして、近代化=西洋文明受容とは、自身のアイデンティティを傷つける面を孕んでいる……という点までをも冷静に見つめている視野の広さにはかんたんしますね。

この辺の記述は、日本の古代史ファンや幕末・明治史ファン、戦後復興史ファンの方々等にも刺さるものがあるかもしれません。

 

 

 

加速するグローバル化が、その反動として、アイデンティティの欲求を強くさせていることは疑うべくもありません。

不信は、間違いなく私たちの時代のキーワードのひとつです。イデオロギーに対する不信、よりよい明日というものに対する不信、政治、科学、理性、近代に対する不信。進歩の概念に対する不信、二十世紀――有史以来前例のないほどの偉業を成し遂げてきた世紀、しかし許しがたい犯罪とかなえられなかった希望の世紀――を通じて私たちが信じてきたほとんどすべてのものに対する不信。さらにまた、グローバルだとか世界的だとか地球規模だとか形容しうるすべてのものに対する不信。

「人間はもはや彼らの父親の息子というよりは彼らの時代の息子なのだ」と歴史家のマルク・ブロックは言いました。おそらくそれはいつの世でも真実だったのですが、今日ほどそれが真実になった時代はありません。

実のところ、私たちがこれほど激しくみずからの差異を主張するのは、まさに私たちがだんだんとたがいにちがわなくなってきているからなのです。

 

アイデンティティが心の傷に呼び起こされるのならば、世界が急激に変化し、自身が得てきた価値観が揺らぐ場面が増える現代こそ、もっともアイデンティティについて自問せざるを得ない時代なのでしょう。

これは、日本国内にあっても、例えば東京型文化の普及だとか、どの県でも国道沿いの店は似たような店ばかりだとかで、各都道府県らしさが揺らぐ……みたいなのがありますもんね。

 

 

 

パリやモスクワや上海やプラハの大通りを歩いていれば、確かに「ファースト・フード」という看板がすぐに目に入ってきます。しかし世界中どこでも、昔から海外に広まっていたイタリア料理やフランス料理や中国料理やインド料理ばかりでなく、日本料理やインドネシア料理や韓国料理、メキシコ料理やモロッコ料理やレバノン料理など、この上もなく多様な料理に出会る機会が増えているのもまた事実なのです。

 

著者は、グローバル化は下手したらアメリカ文化が世界を画一的に塗りつぶすことになるのではと懸念しつつ、こうした多様性の価値を見出していたりもします。

この本の原著は1998年刊行とのことで、2021年現在は当時ほどアメリカ一強でないようにも思いつつ、特定の強力な文化が世界を覆っていくのでは的な懸念はいまも議論されていますもんねえ。

 

 

言語には、アイデンティティの要素であると同時にコミュニケーションの手段でもある、という素晴らしい特性があります。この事実に目を向けていただきたいのです。だからこそ、宗教に関して私が願っていることとは反対に、アイデンティティを構成するものから言語的なものを切り離すことなど考えられないし、そうすることが有益だとも思えないのです。言語には、文化的アイデンティティの軸となる使命があるのです。そして言語的多様性には、あらゆる多様性の軸となる使命があるのです。

知へのアクセスという巨大な領域に目を移すと、事態は複雑になります。若者たちが世界の他の地域の出版物を、英語ではなくアイスランド語で読み続けられるようにするために、アイスランドはたえずコストのかかる努力を強いられています。

今日、この世界で安らぎを感じるために、そして世界を理解するために、自分のアイデンティティの言語を捨てなくてはならないようなことがあってはなりません。誰であれ、本を開くたびに、画面の前に座るたびに、議論し考えるたびに、「故郷から離れる」気がするようなことがあってはなりません。誰もが近代を他者から借用していると感じるのではなく、近代をわがものとすることができなければならないのです。

 

著者の、言語への熱い思いが伝わるパートです。

留学経験のある方とか、地方から東京の大学に進学した方とかならピンと来やすいかもしれません。

私個人としても、祖父世代が話していたマイナーな方言が滅んでいっているのを感じているので少し複雑です。

 

 

 

現在生まれつつある共通の文明から、誰ひとりとして排除されていると感じることがあってはなりません。各人がその共通の文明のなかに自分のアイデンティティの言語を、自分自身の文化を表すシンボルのいくつかを見出せるようでなくてはいけません。そしてまた各人が理想化された過去に避難するのではなく、周囲の世界にいままさに生まれつつあるものに、たとえわずかでも一体感を感じられなくてはなりません。

 

いいこと仰いますね。

自分もまた、そのように生きていけたらいいのですが。

 

 

 

 

どうでしょう。

面白そうと感じた方は、ぜひ手に取って読んでみてくださいまし。

世相にフィットした文章だと思いますので、こういう本を読んで物思いにふけってみるのも有益だと思いますよ。

 

 

アイデンティティを傷つけられた気がして誰かを攻撃しようとしている方が、本当にアイデンティティを傷つけられたのか、攻撃することがアイデンティティを癒すことに繋がるのか、一呼吸おいて考えられるような風潮が広がっていきますように。