肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「神秘主義 キリスト教と仏教 感想」鈴木大拙さん / 訳:坂東性純さん・清水守拙さん(岩波文庫)

 

鈴木大拙さんの著作を久しぶりに読んでみたところ、相変わらずの奥深い思索・弁舌ぶりにかんたんしました。

 

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キリスト教神秘思想を代表する修道士エックハルト、中国、日本の禅僧の問答、真宗の念仏者の極点・妙好人の信心の世界、これら東西三者を宗教の普遍的真理「神秘主義」に連なるものとして、自在に論じる。大拙が戦後、英文で世界に発信、欧米人を感嘆・魅了した晩年の代表作。初の日本語訳を文庫。(解説=安藤礼二)

 

 

鈴木大拙さんは欧米に「禅」を紹介したことで著名な宗教学者? さんです。

スティーブ・ジョブズさんが禅にハマったり、wizardry#7にマスター・ゼンが登場したりする源流には鈴木大拙さんがいらっしゃる気もいたします。

各著作をサラッと読んだ限りでは、実際の鈴木大拙さんは禅だけでなく大乗仏教全般、とりわけ浄土真宗の魅力を推していた気がしないでもないですけどね。

 

 

当著は鈴木大拙さんが晩年に英語で執筆した著作を日本語訳した逆輸入盤のような作品でして、東西の神秘主義について似通っている点を論じたり、後半は鈴木大拙さんが推す浄土真宗妙好人 浅原才市さんを紹介したりする内容になっています。

文章は非常に難解ですし予備知識なしには分かりにくいしですけれども、浅はかにでも読んでいると上質な問答・瞑想をしたような気分にはなれるので日頃忙しくされている社会人の方にはけっこうおすすめですよ。

 

 

さて、神秘主義とは「神などの絶対者を理性ではなく,内面で直接体験しようとする思想。東洋ではウパニシャッド哲学・仏教・道教神道にこの傾向が強く,西洋ではプロティノスに始まる新プラトン主義の影響の下に,正統キリスト教の異端としてエックハルトベーメらの神秘家を生んだ。(旺文社世界史辞典)」とのことであります。

 

おそらく人によって定義は異なると思いますけど、悟り、神との一体化、的な「体験」に重きを置くような信仰のあり方ですね。

 

で、その神秘主義について、西洋(ドイツ)のエックハルトさん、東洋の禅、似通っているところがあるよねというのがこの本の前半部分の内容になります。

 

例えばエックハルトさんのお言葉。

神が人間を創造された時、人の魂の中に、ご自身と等しい、魂の活動してやまぬ永遠の秀作を籠められた。それはあまりにも偉大な作品であったので、それは現にある魂以外の何ものでもありえなかったし、人の魂は神の作品以外の何ものでもありえなかったのである。神の本性とか、存在とか、神性と呼ばれるものは、皆、人の魂の内なる神の作品に依存している。神が人の魂の内ではたらきたまい、神が自身のはたらきを楽しまれることは神にとって何と幸せなことであろうか!

そのはたらきとは愛であり、愛が神なのである。神は自らを、自己自身の本質、存在、神性を愛したもう。そして、自らに対する愛のうちで、すべての被造物を被造物としてではなく、神として愛したもう。神が自ら帯びておられる愛の内には、神の全世界に対する愛が宿されているのである。

 

 

例えば仏陀さんの悟り。

すべての構成されたものは常に移り変わる。

人が智慧により(このことを)自覚する時、

悲しみ(のこの世)が気にかかることはない。

これが心を清める道である。

 

すべての構成されたものは苦である。

人が智慧により(このことを)自覚する時、

悲しみ(のこの世)が気にかかることはない。

これが心を清める道である。

 

ものみなすべてに実体はない。

人が智慧により(このことを)自覚する時、

悲しみ(のこの世)が気にかかることはない。

これが心を清める道である。

 

表現のニュアンスは少し違いますが、お互いに深い瞑想の果てにたどり着いた境地として、確かに似たようなことを仰っているのかもしれません。

 

とはいえエックハルトさんの思想は西洋・キリスト教のあくまで一端にすぎませんし、当著で紹介された内容だけをもって東西神秘主義の相似性を断じることには慎重であった方がいいようには思いますし、本を通して少しだけ東洋優位なように表現している点に違和感を覚えたりもいたしますしなのですけれども。

鈴木大拙さんの異常な量の引き出し、縦横無尽にそれらを組み合わせて楽しげに文章を紡いでいる姿は読んでいて非常に知的好奇心が刺激されますので、一読に値する本だと思う次第です。

 

 

 

ここからは当著から離れて個人的な雑感ですが。

 

神秘主義というのはなかなか刺激的な思想ですよね。

 

私自身は特に強くハマっている宗教はなく、実家は●●宗なんですよねとか神も仏もいるかもね見たことないけどとか寺も神社も教会も機会があれば行くよね毎日は行かないけどとかを口にするような平凡な姿勢でありまして、もちろん神秘的な体験をしたこともございません。

 

いっとき流行ったマインドフルネスとかもそうですけど、自分の中に神なり仏なり日頃気づかないピュアな意志なりがあって、何かしらの習慣や何かしらの修業や何かしらを捨て去ること等を通じてそれらに出会うことができる、

出会うことができた者は、多幸感や万能感や生き抜く姿勢のようなものを得ることができる、

という発想は興味深いと思います。

 

ただ、実際の仏陀さんや達磨さんやエックハルトさんや鈴木大拙さんがどうだったかは別にして、

こうした神秘主義は「これまでの生き方や習慣や価値観を大きく変えましょう」というメッセージ性を伴って紹介されることが多いので、極論すれば洗脳事件のように多くの人を傷つける結果を招くことも起こり得ますから、そこに危うさを覚えたりするのは否めません。

素人が軽々に手を出すのは危険な臭いがするぞ、的な。

 

それでも、神秘主義的な思想が現代でも多くの人を惹きつけているのもまた事実ですし、自分の中に未知の何かが眠っているという考え方に強いロマンがあるのも事実ですから、たまにこうした本を読むこと自体は楽しいんですよね。

 

当著の内容に戻って、

本の後半で紹介される浅原才市さんの多幸感溢れる手記は本当にすごいのです。

(あえて引用しませんので興味のある方は調べてみてくださいまし)

こういう人生、こういう考え方感じ方はひとつの到達点である、という鈴木大拙さんの視線にものすごく共感できます。

鈴木大拙さんは相対性の克服というか、ふたつの狭間で揺れることなく止揚を目指すというかな考え方をよく提示されていますが、浅原才市さんの事例は確かに念仏を通じて仏と人がひとつになっている感じがする。

こういう凄みのこもった素朴な文章、大好きです。

 

 

 

宗教者のいう神秘体験、

アスリートや格闘家のいう「ゾーンに入る」、

冒険家が偉大な光景を前にして言う「神からの授かりもの」、

芸術家や特級呪霊のいう「なんて新鮮なインスピレーション」、

 

こうした何がしかの体験を伴ったレベルアップ現象って、人のありようとして興味深いですね。とても文学的。

 

それぞれの世界で多幸感を得られるような人、多幸感を広められるような人が増えていきますように。