肝胆ブログ

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「枢密院 近代日本の「奥の院」 感想 ガバナンスに関心がある方であれば超面白い本」望月雅士さん(講談社現代新書)

 

大日本帝国憲法下に設置されていた「枢密院」の歩みや果たした役割や生の議論を詳らかにご教示いただける新書が売っていてかんたんしました。

正直言って万人受けする本ではまったくないと思いますけど、行政や企業やNPO等々の機関設計・ガバナンス・内部統制に関心のある方にとってはめちゃくちゃ面白い実例だと思いますのでそういう方には超おすすめです。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 

「仮普請」の近代国家=明治日本。未熟な政党政治の混乱から「国体」を護るための「保険」として、枢密院は創られた。しかし「制度」は、制度独自の論理により歩みはじめる。そしてついにはようやく成熟し始めた政党政治と対立し、政治争点化する。伊藤博文による創設から第二次世界大戦敗北、新憲法成立による消滅まで、その全過程を描く、新書初の試み。

 

 

枢密院と言われても第4次スーパーロボット大戦くらいしか思い浮かばない方も多いことかと思いますが、日本史における枢密院とは、大日本帝国憲法において「天皇の諮詢に応え重要の国務を審議す」と規定された天皇の最高諮問機関であります。

 

現在の日本国憲法に受け継がれなかった機関なのでピンとこないかもしれませんが、例えば現代でも取締役会の他に「社長と社外取締役と社外有識者だけで構成される諮問委員会」を設置している大企業は多かったりしますし、大相撲の世界でも相撲協会の諮問機関として「横綱審議委員会」を設置したりしている訳ですから、政府を牽制するための機関としてこういうご意見番的な組織を作ってみようぜという発想は分からないでもありませんね。

(ほぼ伊藤博文さんの独断で作られた組織みたいです)

 

 

当著では、こうした特殊な位置づけの機関である枢密院が、明治時代~昭和時代にかけてどのような役割を果たしたかを解説いただけます。

 

枢密院設置初期の、意味合いがよく分からずスルーされていた時代。

政党政治が形成される中、藩閥の力を防衛するかのような役割を果たした時代。

明治末期、柔軟・迅速に政治決断を進めたい政府に対して、憲法の番人として手続の厳格性を求め、対立した時代。

そして満州事変以後、戦争に突き進む政権に対してブレーキをかけるかのような役割を果たした時代。

 

機関としての位置づけは変わっていなくても、時代や政治情勢が変わる中で果たす役割が変わっていったのが面白いですね。

こういうのは人選の問題なのか、機関設計の問題なのか、判別しにくいところはありますけれども、総じて枢密院メンバーは天皇の最高諮問機関という「格」の高さゆえに前世代の重鎮が任命されることが多かったみたいですから、時代時代の政権に対してひとつ前の世代が保守的・慎重論的な意見を浴びせる的な構図になることが多かったような印象です。

 

本を読んだうえでの個人的な感想としては、国のかじ取りという重責な訳ですから、枢密院のような諮問機関を置くという発想そのものに違和感はそんなにありませんし、実際に果たした役割としても諮問機関として相応に納得感の高いものが多かったように映ります。

一方で、「立法」「行政」「司法」のいずれにも属さない枢密院なる謎組織があるおかげで、戦前の政治が非常に複雑化したことは否めなく、代々の政権も枢密院対策に多大なるカロリーを蕩尽してしまったみたいですから、日本国憲法に引き継がれなかったのもさもありなんとは思っちゃいますね。

そりゃ、前世代の重鎮がガミガミ言ってくる組織なんて誰も好き好んで望まないでしょうし。そもそも大日本帝国憲法の時代から天皇陛下の位置づけも大きく変わっている中で、「天皇の諮問機関」なんて残せないでしょうしかといって「総理大臣の諮問機関」にするのも変ですし。

 

こういうことを考えていると、ガバナンスブームのなかでご意見番的な第三者組織を設置することが称賛されがちなこのご時世、実際に枢密院なる格の高い諮問機関を設置した戦前の政治がどのようなメリットデメリットに接したのか、学ぶ意義はおおいにあるんじゃないですかね。

 

 

意思決定のシンプルさや迅速さと、適切な歯止めや自制とが、いい感じに釣り合うイケてる機関設計を人類がそのうち編み出していけますように。

 

 

伊東巳代治さんに少し関心があるので、この本で枢密院顧問官時代の活躍が知れてよかったです。