肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

漫画「完全版ウルトラマンメビウス外伝+平成ウルトラマン作品集 感想」内山まもる先生

 

漫画「ザ・ウルトラマン」で名高い内山まもる先生の平成以降の作品を収めた単行本が発売されていてかんたんしました。

メロスの続編、写実性が非常に高まっている怪獣たち、内山まもる版TDG、グレた息子感の強かったデビュー直後のゼロの造形等々、見どころ多過ぎて悶絶です。

 

m-78.jp

 

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以下、ネタバレを含みますのでご留意ください。

 

ザ・ウルトラマンを読んで育った方はこんな記事を読んでいる暇があるなら本屋さんへ行くなりネットでポチるなりした方がいいと思いますよ。急ごう。

 

 

 

収録されているお話を引用いたします。

ウルトラマンメビウス外伝シリーズ>
「超銀河大戦 戦え!ウルトラ兄弟
「超銀河大戦 巨大要塞を撃破せよ!!」※
「アーマードダークネス ジャッカル軍団大逆襲!!」
「ゴーストリバース ウルトラ兄弟VS暗黒大軍団」※

 

<平成ウルトラマン作品>
「戦え!ウルトラ戦士 出撃!宇宙けいび隊」※
ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟
大決戦!超ウルトラ8兄弟」※
「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE」※
ウルトラマンティガ いざ鎌倉!」

 

※単行本初収録作品

 

 

 

見どころとしては

  • メビュームブレード超格好いい
  • マーゴドン登場
  • セブンに敬語を使うヒカリ w/アーブギア
  • むしろセブンが突拍子もない作戦を言い出したのでヒカリが混乱しているように見えなくもない
  • シレッとダイナマイトボールしている80
  • ウルトラキーをグレネードランチャーのようにぶっ放しながら登場するゾフィー
  • キーラやケルビムの写実描写がイカしている
  • 「あきらめないで。エース、いえ、星司さん…!」
  • ウルトラダブル!! → 次のページでやられるジャック
  • メフィラス星人兄弟オマージュ
  • メビウスユリアンのツープラトン
  • ファイタス、生きとったんかワレ!!
  • ジャッカル破かい光線の画力アップが凄まじい
  • マザー光線の効果がえぐい
  • グア軍団現る
  • ツリ目が強調されたゼロのヤンキー息子感
  • セブン・ゼロのノリについていけないゾフィー
  • 内山まもる版のTDG、マドカ・ダイゴ、アスカ・シン、高山我夢
  • ウルトラ銀河伝説を34ページでキッチリまとめあげる構成力
  • 巻末で広告されている石川賢ウルトラマンタロウ

 

等々、マジで多過ぎて書ききれない。

ザ・ウルトラマンのセルフオマージュ展開も多過ぎて嬉し過ぎます。

 

 

個人的に一番驚いたのはファイタスさん再登場です。

生きてたことに驚き、

生きてる理由がヒカリというのに更に驚き、

ファイタスさんが素顔をさらしたことに一層驚きました。

 

 

あとは、内山まもるさんの描いたTDGやゼロを見れるというありがたさですね。

内山まもるさんのウルトラマン作品は漫画として純粋に完成度が高いので、もっと長生きして彼らやニュージェネレーションの作品も生み出していただきたかった……。

 

 

とりあえずウルトラ兄弟好きには間違いない漫画なので興味がある方は手に入るうちに買いましょう。

さいきん舞台やボイスドラマで内山まもる作品要素がちょいちょい登場していますし、この復刊もあんがいゾフィー無双展開やメロス登場の布石だったりしないかなあ。

 

 

ウルトラマンの人気が高まりつつあるいま、内山まもる作品のリバイバルも進んでいきますように。

 

 

 

映画「街の野獣(1950) 感想 薄っぺらい男の追い詰められっぷりが最高」ジュールズ・ダッシン監督

 

イギリスを舞台にしたノワール(犯罪)映画「街の野獣(Night and the City)」を初めて観たところ、主演リチャード・ウィドマークさんの薄っぺらいのに憎めない演技と悲惨な追い詰められ方が最高でかんたんしました。

あと、必要以上に出てくるプロレスシーンが大好き。

 

 

 

以下、ネタバレを含みますのでご留意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お話としましては、

  • キャバクラ的なお店の客引きをやっている詐欺師系の小悪党が、
  • 往年の名レスラーをスカウトしてプロレス興行を打とうとするも、
  • 不誠実な資金の集め方でもともと乏しい信頼を更に失い、
  • 加えて街の興行利権を牛耳るギャング的な方に睨まれ、
  • しかも名レスラーは横死してしまい、
  • しかもギャングのボスは名レスラーの息子で、
  • 最後はギャングたちから盛大に追い詰められる……

 

という救いのない内容になっています。

 

この小悪党を演じるのが往年の名優リチャード・ウィドマークさん。

独特のシニカルな笑い方、時折見せる愛嬌がたまらない方ですね。

「死の接吻」での殺し屋役は印象に残りまくりました。

 

 

ストーリーは小悪党が一瞬浮上しかけるも見事に転落していく……というものですが、役者陣の演技や演出のテンポよさがめちゃくちゃ快くて見入ってしまいます。

口はペラッペラにまわるけど人間性もペラッペラな男、そんな男に振り回される気の毒な彼女、そんな男を徹底的に追い詰める巨悪……という要素は充分な現代性を有しています。

白黒映画ではありますけど、古さやジュネレーションギャップは特に感じることなく最後まで楽しめますよ。

 

 

 

少しお気に入りの場面を貼りますと。

 

主人公がペラッペラの嘘で観光客をだましたり名レスラーをだましたりするところ。

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絶妙に可愛くてイラっとしてちょっと格好いい表情だと思います。

リチャード・ウィドマークさん本当に好き。

 

 

 

 

そんな彼を的確に表現する隣人。

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「彼は作品のない芸術家だ」。

エモーションはあるけれども何も生み出してはいない、男としてはつらい状況だと直球のコメントを主人公の彼女に送ります。

 

たぶんエンディング後は、残された彼女とこの隣人さんで付き合い始めたりするんでしょう。そうでないと彼女さんに救いがなさすぎるし。

 

 

 

 

製作者陣の溢れるプロレス愛を感じる場面。

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レスラー同士の果し合いの決着をベアハッグでつけるというのが最高であります。

犯罪映画のアクセントとしてかなりの尺をプロレス場面に割く、というのがたまんないのでプロレスファンも一見の価値があると思いますね。

ていうか犯罪映画の脚本に「グレコローマンは偉大な芸術だ」というセリフが出てくること自体が面白すぎます

 

 

 

 

 

で、なんやかやあって主人公に懸賞がかけられます。

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ギャングの手下が運転しながらスピーディに街の情報屋へ指示を出していく場面が格好いい。指示内容をいちいちセリフで説明しないのが超いい。

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余計なセリフなしに何をしているのかが充分伝わる演出っていいですよね。

主人公を追い詰める冷酷な場面の始まりなんですけど、それとは関係なしにロンドンの夜景の美しさが際立っているのが対比としても演出としても超いいの。

 

 

 

 

追い詰められる主人公。

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出資してくれと頼んでも誰も出してくれない。

助けを求めても即裏切られる。

夜の街で顔だけはよく知られているのに、なんら信頼を得ることができていなかった男の哀しさが胸を打ちます。

 

 

 

 

だんだんどうにもならないことを覚悟し始める主人公。

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「本当に惜しかったんだ」と主人公は言いますが、視聴者から見ればそれは嘘八百で手にしかけたものでしかなく、努力や実力や実務の積み重ねで得かけたものではないことがよく分かっています。

憎めない男ながら、憐れでなりませんね。

 

 

 

 

最後は、せめて懸賞金を彼女に遺そうとしますが……。

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往生際に僅かな善性をみせるところまで本当に小悪党。

彼の人生に堂々としたものは一かけらもありません。

 

そんなチンケさや薄っぺらさが、我々庶民からすると共感しまくりで憐れで哀しい。

序盤では気取って格好つけていた表情が、どんどん崩れていくのも見応えあり過ぎ。

 

 

眼を離せない、いいノワール映画でした。

演技も演出もテンポもいいので、まじおすすめですよ。

 

 

怠惰や惰弱を直そうとしないままにデカいことだけは成したがるような若者につけこむ悪い人が減っていきますように。

 

 

 

「下剋上 感想」黒田基樹さん(講談社現代新書)

 

黒田基樹さんによる戦国時代の代表的な下剋上事例を紹介する新書が発売されていまして、長尾景春さんを取り上げていてくれたり新たな視点で伊勢宗瑞(北条早雲)さんが高く評価されていたり最近の研究を採用して三好長慶さんのことも高く評価されていたりしてかんたんいたしました。

 

 

bookclub.kodansha.co.jp

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表紙画像。

"なぜ「主殺し」は、引き起こされたのか?”

しかし、上杉謙信朝倉孝景斎藤道三三好長慶織田信長と、全員「主殺し」というよりは「主追放」系の方が並んでいるのはいかがなものか笑。

本の中ではきちんと「主殺しをした長尾為景さんや陶晴賢さんは苦労したよね……」と「主殺し」と「主追放」を区別して記載されていますので、おそらく著者ではなく広告担当者さんあたりの筆が乗り過ぎたのでしょう。

 

 

 

内容紹介をオフィシャルHPから引用いたします。

戦国時代、なぜ、主殺しは引き起こされたのか?

 

<主な内容>
はじめに 下剋上の特質は何か
新たな身分秩序の形成/中世に頻繁だった

 

第一章 長尾景春の叛乱と挫折
――下剋上の走りは、太田道灌の活躍で鎮められた
転換をもたらした享徳の乱/「遷代の論理」と「相伝の論理」の衝突/主君としての器量を問題に

 

第二章 伊勢宗瑞の伊豆乱入
――「下剋上の典型」とは言いがたい名誉回復行為だった
書き換えられた「北条早雲」像/今川家の家督をめぐる内乱/茶々丸のクーデター

 

第三章 朝倉孝影と尼子経久の困難
――守護家の重臣が主家から自立し、実力で戦国大名化した
朝倉孝景と斯波家/越前国主としての確立へ/尼子経久と京極家/出雲の有力国衆を服属

 

第四章 長尾為景景虎上杉謙信)の幸運
――頓挫もした親子二代での下剋上には、幸運が重なっていた
上杉定実の擁立/最初の大きな危機/家督を晴景に譲る/晴景から景虎へ/景虎の思わぬ幸い

 

第五章 斎藤利政(道三)の苛烈
――強引な手法で四段階の身上がりを経た、戦国最大の下剋上
暗殺、毒殺、騙し討ち/十七年かけて戦国大名へ/嫡男義龍との抗争へ

 

第六章 陶晴賢の無念
――取って代わる意図はなかったのに、なぜ主君を殺したのか
西国最大の下剋上/主従関係の切断/隆房のクーデター/思わぬ戦死

 

第七章 三好長慶の挑戦
――将軍を追放して「天下」を統治し、朝廷も依存するように
戦国大名と幕府との関係が問題に/足利義晴細川晴元の和睦/細川家からの自立/将軍の反撃とそれへの妥協

 

第八章 織田信長から秀吉・家康へ
――下剋上の連続により、名実ともに「天下人」の地位を確立
将軍足利義昭の追放/独力で「天下」統治へ/羽柴秀吉下剋上徳川家康下剋上/最後の下剋上

 

おわりに 下剋上の終焉へ
「上剋下」の事例/封じ込められた下剋上

 

 

錚々たるメンバーが取り上げられていますね。

詳しい方であれば各章の見出しでなんとなく内容が推察できるかもしれません。

各領域のさいきんの研究を幅広く取り入れてくださっているので、ザっと知識をアップデートできる戦国時代本としてもおすすめです。

 

 

 

記述としましては、各章ともに冒頭で各人物の略歴と下剋上概要を紹介いただき、次いで詳細を解説いただく流れになっています。

 

 

個人的に好きな点を3つほど。

 

1つ目は長尾景春さんで、もともと意地や寂しさを感じる彼の生涯が好きなので、こういうオールスター本、多くの人の眼に触れるであろう新書の冒頭に取り上げてくれるだけでもう嬉しいです。

「戦国時代の始まりを示す象徴的な事例」と評されるのも納得感が高いと思いますし、長尾景春さんを学ぶと自動的に太田道灌さんスゲェな」となれるのも好ましいポイントだと思いますね。

 

 

2つ目は伊勢宗瑞さんで、いわゆる創作の北条早雲さんではなく解明が進んだ伊勢宗瑞さんとしての事績をしっかり紹介いただいた上で、

宗瑞のこの行動は、主君に取って代わるものではなかった。しかし室町幕府の政治秩序の構成要素であった堀越公方足利家を、幕府の承認のもととはいえ、それを討滅し、その領国を自らのものとして戦国大名に成り上がったことは確かである。

大名の身分になかったものが、隣接する勢力を打倒して戦国大名化したのは、間違いなく宗瑞が最初の事例であり、何よりもその領国に基盤を全く有していなかったものが、戦国大名化した事例としては、戦国時代の中でもこれが唯一である。

 

と高く評価されているのがいいですね。

確かに……伊勢宗瑞さん以外でそういう事例はパッと思い浮かばないです。

あえて言えば松永久秀さんとかでしょうか。
(こういう下剋上本で松永久秀さんがノミネートされないのも世の中変わった感ありますね)

 

俗説は俗説だとしっかり整理しながら、だからと言って短絡的に評価を下げるようなことをせず、実像をベースに新たな視点で評価する……という著者の姿勢が好き。

 

 

 

3つ目は三好長慶さんで、長慶さんによる前例が後の織田信長さんたち天下人の登場に繋がった……という内容なんですけど、そうした評価を関東戦国史の良質な研究で著名な黒田基樹さんに採用いただいていること自体が嬉しいです。

(おもねるような表現で恐縮です)

 

以前取り上げた列島の戦国史シリーズの「織田政権の登場と戦国社会」もそうでしたが、何となく畿内や四国の内輪で盛り上がっているような印象がなくもなくだった三好長慶さん再評価が、直近ではだんだん各方面の戦国時代研究者に採用されてきていて、ああ着実に定説化に向かっているんだなあと。

こういう動きを見つめていると、更に何年かすれば、戦国時代以外の歴史研究者や歴史ライターにも取り上げていただけるようなことが増えて、注目の高まりが更に研究の促進に繋がって……という風になるかもしれません。

まさに今日、飯盛城が国史跡に指定される的なニュースもありましたし、流れが続くといいなあ。

 

「織田政権の登場と戦国社会 感想」平井上総さん(吉川弘文館 列島の戦国史⑧) - 肝胆ブログ

 

www.sankei.com

 

 

この本で取り上げられた人物の中で唯一、

こうした事態になったことに、長慶はどのように思ったであろうか。その心情を伝えてくれるような史料は、いまのところはみられないようである。成り行きで「天下」統治までも担うようになってしまい、戸惑いは生じなかったのであろうか。逆に、意気揚々としたのであろうか。実際にはどうであったのか、ぜひ知りたいところである。

 

と「彼の実際の心情知りたいよね」と書いてくれていたのも嬉しいです。

三好長慶さんの生涯って、こちら側の人生観とかを試してくるところがあると思う。

 

 

 

あと、好きな点というより、今後に向けた関心という点でひとつ。

 

家格や官位について。

尼子家は経久の時は実現されなかったが、後継者晴久の時に守護職に補任された。朝倉家や長尾家、織田信長は後者の守護家相当の家格を獲得した。斎藤家も利政の時は実現されなかったが、後継者義龍の時にそれを獲得した。三好長慶も、室町幕府から最有力大名の家格を認められた。

室町幕府が滅亡すると、それに代わる「天下人」として織田信長が確立する。それまでの身分秩序は、室町幕府将軍家を頂点にして構成されたものであったから、将軍家不在により、そうした身分秩序への編成は行われなくなった。

もっともその後も、慣習的には戦国大名は「守護家」と表現され、あるいは国主と認識され、それなりの身分秩序観念は残存した。しかし信長は、それに取って代わるような、諸国の戦国大名に対する政治秩序の編成方法を確立するところにいかないまま、その生涯を閉じた。

だがその萌芽はみられていた。自身の「天下人」の地位は、朝廷官職によって正当化された。政権内部でも、官位による序列化がみられ始め、諸国の戦国大名にも官位推挙を行うようになっていた。これを引き継ぎ、明確な政治秩序編成の手段としたのが、信長の「天下人」の地位を引き継いだ羽柴(豊臣)秀吉であった。

 

と、段階的な秩序の変容を紹介してくれていまして。

 

下剋上した人は室町幕府のお墨付きを求めていたんだけど、

三好長慶さんや織田信長さんにより室町幕府秩序が崩れていくと、

徐々に朝廷の官位や官職による秩序が形成されていった、

ということです。

 

私自身、家格や官位の重みについてまだまだピンと来ていないところも多いので、引続きこうした当時の社会的評価に関する相場観は学んでいきたいですね。

最終的に室町幕府は滅んだので、私のような素人目線だと室町幕府栄典を過小評価して朝廷官位を過大評価しがちな気がしないでもないですし、その相場観も戦国時代の節目節目で違うみたいですし。

 

 

 

 

それにしても新書で、下剋上をテーマにしたガチ歴史本が出るとは。

この本を読んだビジネスパーソンや官僚はどんな風に受け止めるのでしょう。

 

とりあえず、優秀な人へ安易に下剋上をそそのかしたり、上の人に「あいつ下剋上しようとしていますよ」とか注進したりする風潮が起こりませんように。

我々が学ぶべきなのは杉重矩さんの事例(通説)かもしれない。

 

 

 

 

 

「じゃりン子チエ 文庫版17巻 感想 猛威を振るう危険酒"ばくだん"」はるき悦巳先生(双葉文庫)

 

じゃりン子チエ文庫版17巻。

これまでにも時々登場していた怪しいお酒「ばくだん」がますます話をかき混ぜるようになってきてかんたんしました。

いまよりは多少おおらかな昭和時代とはいえ、「ばくだん」を小学生が売っている姿を堂々と掲載していいのだろうか……笑。

 

 

www.futabasha.co.jp

 

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17巻収録の話は次のとおりです。

 

  • 商売繁盛のきざし
  • 良い子は木刀で育つ
  • 雑誌の「チエちゃん」
  • 「下駄ばきグルメの店」繁盛記①
  • 「下駄ばきグルメの店」繁盛記②
  • 「下駄ばきグルメの店」繁盛記③
  • 「押し売り出版」は二度テツをくすぐる
  • 「押し売り出版」倒産計画
  • 「押し売り出版」はどこじゃ
  • 突撃「押し売り出版」
  • 帳面の怪
  • コケザルの入院!?
  • 闇に動くモノ
  • 夏の責任
  • 責任の逆噴射
  • サービスの配達
  • 始業式まで夏休み
  • 宿題後遺症
  • ピアノ・リサイタルの夜
  • 恐怖がまた来る
  • 文潮新人賞
  • 「花井拳骨」論を読む
  • 続「花井拳骨」論
  • 地獄のバースデイ・パーティー

 

以下、ネタバレを含みますのでご留意ください。

 

 

 

 

 

 

前半は、雑誌でチエちゃんの店が取り上げられて大繁盛する話と、裏側でテツとコケザルがヤクザを強請る話。

中盤後半は、マサルのオジさんにかかわるお話を軸にバタバタと様々な騒動がおこる展開となります。

 

 

まずは各登場人物の名ゼリフを。

 

 

チエちゃん

服なんか着がえるより

"ばくだん"でもひっかけたい気分やわ

 

マサルの誕生日会に呼ばれ、小学生が言ってはいけないセリフを吐くチエちゃん。

マサルの母の暴走で、チエちゃんヒラメちゃんはもとよりマサル自身も憂鬱極まりない状態になっているのが笑えます。

 

 

 

マサル

オレが悩んでるのはお母はんがメチャメチャ機嫌ええからなんやど

オレとこのお母はんええこと続き過ぎて完全に自分を見うしのうてしもてるんや

あ・・あれっ

あれっ

な・・

あ・・

あ~~脱ける~~~

髪の毛が脱ける~~

 

ストレスで円形脱毛症になってしまったマサル

さすがにここまでいくと可哀想すぎますね。

 

 

 

雑誌記事

マイナーなホルモンにパワフルなバクダン

ノレンをくぐるとベアナックルのリングサイドにいるようなワイルドなフィーリング

 

チエちゃんのお店が雑誌で取り上げられ、女子大生等が大挙してやってくることに。

ベアナックルのリングサイド、という表現が秀逸だと思います。

 

それにしても雑誌記者が絶賛するくらい、チエちゃんの店のホルモンはおいしいんですね。おバァはんの仕込みが上手いのでしょうか。

 

 

 

テツ

女学生

ばくだん呑んで

退学生

 

ばくだんを吞み始めた女子大生を見て一句読むテツ。

意外な文学性を発揮しますね。

 

この後の回で、悩める文学青年たるマサルのオジさんを救うのもテツの隠れた人徳でしょうか。

 

 

ヤクザでも五発どつかれたらサラリーマンにサービスするで

 

夏休みの宿題に励むチエちゃんにちょっかい出して、ソロバンで五発も殴られたテツ。スイッチの入ったチエちゃんは無敵であります。

 

 

 

おバァはん

これは悪い酒でっけど通の者はけっこうばくだんを注文しまっせ

これこれ

嫁入り前の娘はんが

あの…

ばくだんは下品な酔い方しまっせ

 

ばくだんについて的確に勧めたり止めたりするおバァはん。

ばくだんを扱うお店サイドの認識が伺えますね。

 

 

 

お好み焼屋のオッちゃん(百合根)

アル中のプロとして忠告するけどな

ばくだんのチャンポンは人間変わるぞ

さぁばくだんで仕上げよかい

コップでばくだんは素人や

どんぶりもらおかい

 

ばくだんと言えばこの方ですね。

別れた女房に引き取られた息子関係で、案の定荒れ狂います。

アル中のプロ、という表現も今日的には全然あかん気がしますね笑

 

 

 

 

 

さて、このように猛威を振るう「ばくだん」。

 

これはやっぱり、同名のまっとうな方のお酒ではなくて、戦後に粗製乱造されたカストリ的なやつの方なんでしょうね……。

 

文庫版15巻でチエちゃんがお好み焼屋のオッちゃんにばくだんを注ぎながら

これやこれや

ははは

悪酔いして暴れるんやったらこの「ばくだん」が一番なんや

オッちゃんやったら一本呑んでも眼ェつぶれへんやろ

 

とコメントしてはりましたが(オッちゃんのアル中化にチエちゃんも確実に寄与している気がする……)、「眼ェつぶれる」という表現が出るあたり、この「ばくだん」は限りなくメタノールに近いアカンやつということなんでしょう。

チエちゃんとおバァはん、どこで仕入れてるんでしょうか……。

 

 

こんな酒を出してチエちゃんが補導されたりお店が潰されたりしたら不幸っぷりにますます磨きがかかってしまいます。

チエちゃんのばくだん酒提供がおおっぴらにならず(雑誌に載っちゃいましたけど)、これからも慎ましく暮らしていくことができますように笑。

 

 

 

「じゃりン子チエ 文庫版16巻 感想 ヒラメちゃん最高やなとなる鉄下駄編」 - 肝胆ブログ

「じゃりン子チエ 文庫版18巻 感想 おバァはんの謀略がエグい」 - 肝胆ブログ

 

 

「光と風と夢 感想 特に後半が好き」中島敦さん(青空文庫)

 

中島敦さんの南洋もの小説「光と風と夢」を読んでみたところ、はじめは西洋人の日記文学エミュレーターっぷりすげぇなと感心していたのですが、後半に進むにつれ主人公の自我の起伏がえらいことになってそれがまた大層美しいなとかんたんいたしました。

 

www.aozora.gr.jp

 

 

 

内容としましては「宝島」「ジキルとハイド」の著者として有名なイギリス人ロバート・ルイス・スティーヴンソンさんの晩年、南洋のサモアで過ごした日々を描く内容となっています。

 

以下、展開のネタバレを含みますのでご留意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

序盤はスティーヴンソンさんが回顧するかたちで彼の半生や病弱っぷりを紹介したり、南洋の暮らしを紹介したりします。

 

遠く西洋社会を離れてそれなりに快適な療養生活をサモアで送っている訳ですけれど、話のあう友人が少ないのがたまに胸にくる、という描写がリアルですね。

友人! 何と今の私に、それが欠けていることか! (色々な意味で)対等に話すことの出来る仲間。共通の過去を有った仲間。会話の中に頭註や脚註の要らない仲間。ぞんざいな言葉は使いながらも、心の中では尊敬せずにいられぬ仲間。この快適な気候と、活動的な日々との中で、足りないものは、それだけだ。

 

会話の中で余計な注釈が要らない関係、という友情の表現が好きです。

 

 

 

中盤はサモアにおける西洋諸国・現地人が入り乱れる政争に介入したりします。

 

政争介入時のスティーヴンソンさんは大変人道的な計らいをする方として描かれているのですが、それよりも印象的だったのは内紛で傷ついた現地の若者に対する描写。

二度目に病院に寄った時、看護婦や看護卒は一人もいず、患者の家族だけだった。患者も附添人も木枕で昼寝をしていた。軽傷の美青年がいた。二人の少女が彼をいたわり、共に左右から彼の枕に枕しておった。他の一隅には、誰も附添っていない一人の負傷者が、打捨てられ、毅然たる様子で横たわっていた。前の美青年に比べて、遥かに立派な態度と映ったが、彼の容貌は美しくはなかった。顔面構造の極微の差が齎す何という甚だしい相違!

 

サラッと古今東西変わらぬ現実が胸をえぐってきますね。

中島敦さん、こういう事象も拾うんだなあ。

 

 

 

そして、後半は急速に体調が悪化し、それにつれて精神面も躁鬱気味にアップダウンが激しくなる様が描かれます。

 

特に好きな場面がふたつありまして、

 

ひとつは16章で、酔っぱらってぶっ倒れたら、サモアの風景が故郷エジンバラに見えてしまったという箇所。

その時、うっすらと眼覚めかけた私の意識に、遠方から次第に大きくなりつつ近づいて来る火の玉の様に、ピシャリと飛付いたのは、――あとから考えると全く不思議だが、私は、地面に倒れていた間中、ずっと、自分がエディンバラの街にいるものと感じていたらしいのだ――「ここはアピアだぞ。エディンバラではないぞ」という考であった。此の考が閃くと、一時はっと気が付きかけたが、暫くして再び意識が朦朧とし出した。ぼんやりした意識の中に妙な光景が浮び上って来た。

私はよろよろ立上り、それでも傍に落ちていたヘルメット帽を拾って、其の黴臭い・いやなにおいのする塀――過去の、おかしな場面を呼起したのは、此のにおいかも知れぬ――を伝って、光のさす方へ歩いて行った。塀は間もなく切れて、向うをのぞくと、ずっと遠くに街灯が一つ、ひどく小さく、遠眼鏡で見た位に、ハッキリと見える。そこは、やや広い往来で、道の片側には、今の塀の続きが連なり、その上に覗き出した木の茂みが、下から薄い光を受けながら、ざわざわ風に鳴っている。何ということなしに、私は、其の通を少し行って左へ曲れば、ヘリオット・ロウ(自分が少年期を過したエディンバラの)の我が家に帰れるように考えていた。再びアピアということを忘れ、故郷の街にいる積りになっていたらしい。暫く光に向って進んで行く中に、ひょいと、しかし今度は確かに眼が覚めた。そうだ。アピアだぞ、此処は。

 

病の進行、寿命の僅かさ、あるいはホームシック的な感傷が生んだ幻覚でしょうか。

小説執筆や政治関与で精神がいかに摩耗しているか、こうした描写からひしひし伝わってくる気がします。

 

 

もうひとつは、19章のラスト、いよいよスティーヴンソンさんの心身が限界を迎えつつある局面での風景描写。

夜はまだ明けない。
私は丘に立っていた。
夜来の雨は漸くあがったが、風はまだ強い。直ぐ足下から拡がる大傾斜の彼方、鉛色の海を掠めて西へ逃げる雲脚の速さ。雲の断目から時折、暁近い鈍い白さが、海と野の上に流れる。天地は未だ色彩を有たぬ。北欧の初冬に似た、冷々した感じだ。

一時間もそうしていたろうか。
やがて眼下の世界が一瞬にして相貌を変じた。色無き世界が忽ちにして、溢れるばかりの色彩に輝き出した。此処からは見えない、東の巌鼻の向うから陽が出たのだ。何という魔術だろう! 今迄の灰色の世界は、今や、濡れ光るサフラン色、硫黄色、薔薇色、丁子色、朱色、土耳古玉色、オレンジ色、群青、菫色――凡て、繻子の光沢を帯びた・其等の・目も眩む色彩に染上げられた。金の花粉を漂わせた朝の空、森、岩、崖、芝地、椰子樹の下の村、紅いココア殻の山等の美しさ。
一瞬の奇蹟を眼下に見ながら、私は、今こそ、私の中なる夜が遠く遁逃し去るのを快く感じていた。

 

南洋ならではの美しい夜明けとスティーヴンソンさんの内面とが素晴らしくリンクしていて、物語のクライマックスとして充分過ぎる味わいがあるように思います。

 

 

こうした鮮やかな場面を中島敦さんが描いているというのがまたいいんです。

中島敦さんといえば「李陵」「山月記」が著名で、漢文調のストイックな文章を紡ぐ印象が強いのですけれども、こうした西洋人風の文章や南洋極彩色な描写もたいへんお上手なんですね。

本当に懐の深い作家さんで、33歳で早世されたのが惜しまれます。

 

 

中島敦さんという素晴らしい入口を通って、中国古典や南洋社会へ好奇心を抱く方がこれからも多くいらっしゃいますように。

 

 

 

「めとろ庵の春菊天そば 関西人にこそトライしてもらいたい美味さ」

 

東京メトロの立ち食いそば「そば処 めとろ庵」の春菊天そばが異常においしくてかんたんしました。

 

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「春菊天そば」。

 

関西人にはあまり馴染みのないメニューかもしれません。

 

 

私の場合、10年くらい前に「めしばな刑事タチバナ」の1巻で韮沢課長(好き)とタチバナさんが

「やっぱり外せないのが富士そばの春菊天だな」

「基本でしょう!」

 

と会話しているのを読んで 、初めて春菊天そばという概念を知りました。

 

その後、関東の立ち食いそばでは比較的メジャーなジャンルということを知って、物珍しさもあって何回か食べたことがある程度の理解、「ああ、けっこう美味いんだね」と思うくらいの愛着だったのでございますが。

 

 

めとろ庵の春菊天そばを食べて、衝撃が走ったんですよね。

うますぎて。

 

細かく刻んだ春菊が、かき揚げと同じく平たい丸型で揚げられており。

サクッとかじっても春菊フレーバーが爽やか美味い。

つゆにつけてジュクっと散らしても春菊フレーバーが爽やか美味い。

食べやすくて美味い。

 

しかも、めとろ庵は立ち食いそばとしては蕎麦もつゆもけっこうおいしいので。

やや甘めの味&やや固めのそばと、春菊天の相性が実にいいんですよ。

 

 

春菊の爽やかさが力強いので、ちくわ天なりイカ天なりを加えてもヘビィにならないのもいい。

春菊はビタミン豊富なので罪悪感を抱かない、むしろ身体にイイことしている感が出るのもいい。

 

 

美味い、爽快、身体にイイ。

完全食かよ春菊天そばァ! と盛り上がること間違いなしです。

 

 

 

真面目に、なんで春菊天って関西で流行っていないんでしょうね。

すき焼きには春菊入れるのに。

 

讃岐系を含め、うどん屋でもあまり見かけない。

うどん好きは野菜不足になりがちですから、春菊天を普及させたらいいのに。

 

まったく見かけない訳ではないんですけどね、たいてい春菊を素材の形そのまま揚げていて、味はいいけどカサ高くて食べにくかったりするんですよ。

味はいいんですけどね。

めとろ庵スタイルみたいに、刻んでつゆに溶けやすいかき揚げにしている方が好き。

 

 

そもそも関東の立ち食いそば自体が苦手という関西人も多いと聞いたことありますけれども、先入観抜きに食べてみたらどの店もたいていおいしいし、どうせなら珍しい春菊天そばにトライしてウマァ! するのも幸せだと思います。

 

めとろ庵の春菊天そば、初めて食べたのは去年で、コロナ禍もあって出かける機会が減って全然再会できなくて、「早く春菊天を」「苦しい」「春菊天のことしか考えられなくなります」状態だったので久しぶりに味わうことができて何よりでした。

 

 

春菊天の魅力が全国区になって、そこかしこのそば屋やうどん屋にじわじわ普及していきますように。

 

 

 

 

「今川のおんな家長 寿桂尼 感想」黒田基樹さん(平凡社)

 

黒田基樹さんによる寿桂尼さんの評伝が気になる視点盛りだくさんでかんたんしました。今後、こうした論点提起に基づく後発研究が進むことを楽しみにしています。

 

www.heibonsha.co.jp

 

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「おんな戦国大名寿桂尼の発給文書から、今川家の当主代行としての政務とは何か、「家」妻の果たす役割は何かを明らかにする。

 

 

 

以前読んだ同著者による瑞渓院さんの本が面白かったので、こちらも手に取ってみた次第です。

「北条氏康の妻 瑞渓院 政略結婚からみる戦国大名」黒田基樹さん(平凡社) - 肝胆ブログ

 

 

 

当著は寿桂尼さんの生涯を記しつつ、寿桂尼さんによる発給文書等の一次史料を通じて彼女が今川家で果たした具体的な役割を評価していく内容になっています。

 

寿桂尼さんの生涯はざっくり知られている気もしますが、「おんな大名」等と表現されたりする寿桂尼さんのお仕事・お役目の実態まではよく知らなかったので、とても興味深く読み進めることができました。

 

 

本の終盤で

本書では、寿桂尼の場合について、当主の妾を含む「奥」の統括、当主への取り成し、子どもたちの処遇の差配、台所の管轄、近親一族の菩提の弔い、他大名との外交での内意の伝達、といったことが認識された。もちろん「家」妻の役割は、それだけではなかったであろう。その全容の把握は、やはり他の事例とあわせることで遂げられることになる。

寿桂尼が「おんな家長」として存在したのは、嫡男氏輝が当主になったものの、氏輝が体調不良によって政務が執れなかった時期においてみられたものであり、断続的なものであった。そこでは、当主氏輝が決裁できない状況にあって、今川家として決裁しなければならないものを、寿桂尼が当主を代行して家長権を行使したのであった。しかし、寿桂尼による保証は永続的なものとは認識されておらず、その後、男性家長によってあらためて保証をうける必要があった。そのため、寿桂尼による保証は、当座のものにすぎなかったとみなされる。

 

とまとめられている役割それぞれについて、発給文書を一つひとつ取り上げながら説明いただけるので実に面白い。

 

これは個人的な印象ですが、寿桂尼さんが果たした「家妻」って、現代の会社で言えば総務・秘書担当副社長のように映りました。

内向けのことに強い権限を有している一方で営業(軍事)の権限は有さない的な。

現代の行政機構や企業でも「トップがぶっ倒れた場合は誰々が代行する」というルールを定めて周知している訳ですし、戦国時代当時もそうしたルールや相場観が存在したのでしょうかね。

 

 

当著では史料が豊富な寿桂尼さんを題材にこうした戦国大名家における家妻の役割を考察しているのですけれども、その上で「史料的限界で分からない」「寿桂尼さん以外の他の家でもそうだったかは分からない」と誠実に書いてくれているところに好感を抱きます。

こういう振り出しをしていただけると、他の大名家における女性研究が進むきっかけになってすごくいいことだと思いますの。

 

この本の中でも、後の豊臣家や江戸時代になると家妻的機能は見られなくなっていき内向きのことも男性家臣が担当するようになっていく、その女性の役割の変遷を今後も研究していきたい、と書かれていて大変意義あることだと感じ入りますね。

時代の段階差という考え方もあるでしょうし、組織規模の違いという考え方もあるでしょうし。

いち戦国時代ファンとしては女性が果たしていた役割がクリアになればなるほど想像・解釈・創作が膨らむので歓迎です。

 

 

 

そのほか当著で印象深い点としては、

花蔵の乱について「寿桂尼さんが恵探派だったという説もあるが、当初から承芳(義元)派だったと考えられる」と考察を述べられているところ、

瑞渓院殿を例に「婚姻同盟の両家が敵対してしまうと結婚も破綻すると思われがちだが、実際は家妻としての役割等もあるんだから離縁したりしないんだよ」と紹介されているところ、

等々でしょうか。

 

後者については、確かに最近では「北条氏政室の黄梅院さん、同盟破綻後も実家の武田家に帰っていなかったっぽい」という新説も伺いますし、なるほど感がございます。

しかし、そうなると三好長慶さんや浅井長政さんの事例は……。

彼らには彼らの事情があったためか、彼らの人柄に帰するような話なのか、東国と畿内周辺との地域差か。

本当にこうした家制度下の女性研究が早く畿内に波及してもらいたいものです。

 

 

 

今川家や北条家や武田家は滅んだ大名家にもかかわらず、多くの意欲的な研究者の手でさまざまな角度から研究が進んでいるのがすごいですよね。

 

これから先も新たな視点や解釈の提示が続き、それが他地域の研究にも波及して、戦国時代観がより立体的になってまいりますように。